聖書はどのような人が幸福な人であるのかを 次のように教えています。
世の基準とはまったく違いますが、これこそが本当の幸せです。
その人の心の状態によって幸福になることができます。
(1)心の貧しい者 ( 例: 新約のヨセフ ≪マタイの福音書1:18-20≫ )
マタイの福音書5:3 ―― 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
・キリストは心の貧しい者でした。
第1ペテロ2:22 ―― キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
(2)悲しむ者 ( 例: ヨブ )
マタイの福音書5:4 ―― 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
・キリストは悲しみの人でした。
マタイの福音書26:37-38 ―― それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」
(3)柔和な者 ( 例: モーセ ≪民数記12:3≫ )
マタイの福音書5:5 ―― 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
・キリストは柔和な人でした。
ヨハネの福音書13:4-5 ―― 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。
(4)義に飢え渇いている者 ( 例: パウロ )
マタイの福音書5:6 ―― 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
・キリストは義に飢え渇いている人でした。
ヨハネの福音書4:34 ―― イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行い。そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。
・自分の欲望を満たすことが優先、罪の快楽を求めて生きる人は、不義に飢え渇いている者です。
パウロは義に飢え渇いた人でした。彼の告白を聞くと それがわかります。
ピリピ1:21 ―― 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。
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