七草セリと猫の部屋

猫と料理に夢中な漫画家のグダグダ日記

悩みの時間

2014-06-24 06:29:47 | 日記
この話は、本来はB面(七草セリのラッキーノートをB面でやっとります)で
書くべきかなぁ、と思いつつ…
でも今回はこっちのA面で(^^;;

ジミヘンさんとこのコメ欄に、毎日迎えられるいつもの朝が究極の幸せ、と自分で書き込んで気がつきました。
なんでそう思うようになったか、というきっかけ。

あの東日本大震災の時です。
母が何度も震災前の昨日に戻りたい、と言っていたので。
同じ朝が毎日やってくることは、実は奇跡の連続のようなものだ、
と目からウロコだったのです。

内陸部の花巻は、確かに津波もなかったし家に深刻なダメージがあったわけでもないし。
これといった被害がない地域だったわけですが。

停電が続き、食料も底をつきそうになり(物流が途絶えたので、スーパーも閉店していた)
家族が通勤に使っていた公共の乗り物もストップして、車を使うしかないけど
ガソリンが手に入らない…
どうしよう、と頭を抱えて過ごしていた数日間。

沿岸部の被害を考えると、贅沢な話です。
誰も大変だ、とは口にしなかったと思います。
それでもつい…震災前の…
いつもの日々が続いていた昨日に戻りたい、という本音が出たのだと思います。
(戦時中みたいだ、と仰っていたおばあさまもいたとか)

いつもの朝がなんてありがたいものだったのか、私も身に沁ました。
どうやって食べていく?
どうやって生きていく?
そんな追い詰められた状況では、大概の悩み事は姿を消します。

悩んでいる、その悩みで苦しんでいる…というのはクルリと視点を変えると、
衣食住足りて時間もあって環境が整っているからできることでもあるな、と。

毎日普通が続くと、当たり前になってしまうけど、実は普通が一番ありがたい(^-^)
こう考えると、まぁいいかと流せることは結構あるかもしれない。
今日も一日ちゃんと生きてこれたし、ご飯も食べた。
お風呂だって入れたし、なんて幸せという感謝。

アタシッて恵まれている、と実感して生きていると
不思議なことに考え方がシンプルになってきて、悩み事も減っていきます。
いちいちひっかかることがなくなるというか。
厄介な自我がナリを潜めるようになるんでしょうね。

私が私が、という自我がひっこめばスンナリ通過できるポイントが増えるんですよね(^ ^)
苦しんでいる人の原因の大半は自我が全面に出てしまって
許せないなんて気持ちになってしまっているから。
こうでなくちゃいけないと思う、なんて真面目に考えてしまうから。

自分て、超余裕があるじゃん、と自分を俯瞰してみると肩のチカラが抜けるかも。
とりあえず今朝も同じような朝を迎えられたアナタ。
かなりラッキーですよ~*\(^o^)/*




夕方になると、縁側の外からタビくんが鳴きます。
「外で一緒に遊ぼう」というお誘いです。
忙しい時はスルーだけど(ゴメン)時間がある時はなるべく付き合います。
お酒片手に少し早い夕涼み。

いつも柿の木の下の縁石部分に腰かけて、
猫たちを撫でたり自由に遊ぶ姿を眺めたり。
そしたらば、ふと眉間の辺りに圧を感じました。
神社に行って御神木さまにお参りする時に感じる独特な圧と同じ。

あ、そうか。
この柿の木は、我が家のシンボル的存在で、
私が小さい頃からずっとここにいて、家族を守っている我が家の御神木なのかも。
夏になると日陰を作り、猫や人が寛げるスポットも提供してくれる。
ありがたい存在なんだよなぁ、

なんで今まで気がつかなかったかな(^^;;
ちょうど剪定と消毒も済んだ後で、
柿の木さんから「助かったよ」というメッセージをいただいたのかな。
何か柿の木さんから発するエネルギーを感じる気がしました。

喜んでいただけたのなら、こちらも嬉しゅうございます(^∇^)
これからもヨロシクですm(_ _)m




病気だったにも関わらず、今年もたくさん実をつけています。
この秋に、うちの柿を配る予定のお宅も何軒かあるのであります。
諸々何かとヨロシクお願いするであります( ̄^ ̄)ゞ