エゾリスくるみちゃん便り

ふるさと紹介

  北海道沙流郡日高町 (旧日高町)

穂別高校創立50周年の時に・・・

2017年11月28日 20時51分50秒 | 愛はかなしみとともに

2002年、当時の教頭先生の石塚耕一さんが大和書房から出版の「愛は悲しみとともに」を題材に「銀のしずく」という曲を作ってくれました。

その曲を穂別高校創立50周年記念式典(2002、10月)で歌ってくれたそうです。

そのことを知ったのは2008年頃で、この故郷で第二の人生をと決心していた頃でした。

2009年3月末にUターン、その年に石塚先生の協力も得て、2009年12月に本を再販することができました。

今日、姉の高校時代のお友だちのお話をきいて、姉がみんなの心の中で生きていてくれていることを感じ嬉しく思いました。

また姉が生きていた証をこうして本に出来たこと、皆様のご協力に改めて感謝です。

この冬の季節になると、姉の詩を思い出し、15歳の頃の私に戻ってしまいます。

 

 


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北海道穂別高等学校は今・・・

2017年11月28日 16時15分25秒 | 愛はかなしみとともに

私の三つ年上の道子姉は穂別高校を卒業しました。

今日、姉の高校時代の友人が訪ねてきてくれることになっていました。昨日丁度、穂別で「農村ツーリズム出前講座」があり、会場から近かったので

穂別高校まで行ってきました。

現在、生徒数が減少していて全校生徒3学年合わせて58名だそうです。

今日の午後、同級だった友人が札幌から来てくれました。

姉の文章が載っている文集や姉が出した手紙を見せてくれました。

約50年近く前の頃を思い出し、涙が出てしまいました。

ひだかくるみちゃんハウスは私の実家です。

姉のみっちゃんが住んでいた家です。高校時代のお友人がきてくれて喜んでくれていることでしょう。

 

昭和44年(1969年) 卒業間近の文集です。

校舎の形は昨日の写真とあまり変わっていませんね。右側の木は表紙に描かれているのと同じ木でしょうか?

穂別高校までは我が家から48㎞離れています。当時、国鉄富内線があって列車で通学していました。

姉の卒業アルバムを見ると44年に卒業した生徒数は144名でした。

右の松の木さんは、ずーと学校や生徒さんのことを見守ってきたのですね。

あれから約半世紀、変わらないのは山並みだけかな?山並みも少しは変わっているのでしょうね。



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日高山脈の山並み(振内橋の近くにて)

2017年11月28日 09時09分01秒 | 愛はかなしみとともに

:00 外気温 -1℃ 今日日中はプラス5℃まで上がる予報です。

昨日の午後、穂別まで行ってきました。

振内の国道から白く連なる日高山脈の山並みがくっきりと見えました。

川は沙流川、遠くに橋が見えますが振内橋です。右の高い山が幌尻岳です。

14:08

登ってみたかった山ですが数年前に腰を痛めてから足腰に自信がなくなり、眺めるだけの山になってしまいました。

山頂は真冬ですね。 毎年、くっきりと見える冬にこの場所から写真を撮っています。

今年は根雪が早いようで、数日前から少しずつ降った雪が残っていますよ。

 

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