昭和初期から昭和25年ごろまで日高地区は各地でクローム、石綿などの採掘がおこなわれ鉱業が大いに栄えた時代でした。
「にわかにクローズアップされたのは、太平洋戦争が開始される昭和16年前後で、戦時軍需資材としてマンガン、クローム、石綿などの需要が増大したからである。とくに日高村のクローム鉱は良質だったといわれ、軍艦、飛行機、船舶、自動車、砲弾などの要部に、・・・当時の軍需物資に関することはすべて軍の機密に属していたので明らかではないがそうとうな生産量を示していた・・・しかしこうした隆盛も昭和20年の終戦を境に急速に衰退していく。」----日高町史より
町史によると三井鉱山、八田鉱山など8つの鉱山が記録されています。
昨日はその形跡を訪ねて町の地域経済課の高橋さんの移住体験ハウス在住者の案内に同行しました。
国立青少年自然の家から三号の沢の林道に入り6kmほど登った所から笹を分け入って沢に下ります。
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沢の左側にトンネルが現れました。八田鉱山に通じる道路のトンネルです。平成15年の大洪水で、それまでハイキングコースとしても使われていた道路のほとんどが流されてしまったのですが、このトンネルだけ残ったそうです。内部は大型トラックが通れるほどの大きさです。
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そこから少し下ると「サンゴの滝」の水源となる分流地点、鉱山に通じる道路を作るため沢の流れをトンネルを掘って変えた、それが「サンゴの滝」となったそうです。
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右が本流、左が「サンゴの滝」の水源となる水路。水路はもともと石垣でできていたそうですが平成15年の災害で流され、一時滝は流れなくなってしまったのですが重機が入れないため人力で土嚢を積んで復旧、毎年修理しているそうです。
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水路のトンネルは人の背丈ほどの大きさです。この向う側に滝があります。
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滝の名前の由来は昭和45年にここでサンゴの化石が発見されたこと、三号の沢にあることから名付けられたそうです。国立少年自然の家から林道を歩いて約50分くらいの所にありハイキングコースになっています。
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これは町内にある鉱山工場跡地の鉱石を運ぶためのケーブル鉄塔の基礎だそうです。ここから正面の北日高岳左側の三号の沢からケーブルで運んだそうで当時の隆盛を伝える貴重な遺産です。富岡地区に住んでいたその方は「子供だったけどそれは巨大なもので運搬している様子を見るのが市街に来る楽しみだった」と言っていました。