夫は日高町富岡地区(旧岡春部地区)の出身です。
昭和42年12月の写真です。
「この辺りの昭和の家はどこもこんな造りで母屋以外は近所の人たちに手伝ってもらい、馬小屋など自分たちで建てていた。
馬、牛、ニワトリ、豚、羊、やぎなど少しずつ飼っていて賑やかだった。水はつるべ井戸でした。
写真には写っていないけど母屋と馬小屋の間に薪小屋があり、ストーブも炊事も風呂も薪を使うため常に薪小屋がいっぱいになっていないと
生活できないので薪切り、薪割りが子供の重要な仕事だったね。」(夫談)
夫は日高町富岡地区(旧岡春部地区)の出身です。
昭和42年12月の写真です。
「この辺りの昭和の家はどこもこんな造りで母屋以外は近所の人たちに手伝ってもらい、馬小屋など自分たちで建てていた。
馬、牛、ニワトリ、豚、羊、やぎなど少しずつ飼っていて賑やかだった。水はつるべ井戸でした。
写真には写っていないけど母屋と馬小屋の間に薪小屋があり、ストーブも炊事も風呂も薪を使うため常に薪小屋がいっぱいになっていないと
生活できないので薪切り、薪割りが子供の重要な仕事だったね。」(夫談)