昔からこの花はどこの家の庭にも咲いていた。
冬の初めごろに、この真っ赤な花(葉?)が花壇を彩っていた。寒空に映える赤い色は暖かい感じがした。
この花のことを、クリスマス花と私たちは呼んでいた。
子どもの送り迎えの際に彼の友達を乗せたりする。その子たちが今高校三年生。一人二人と、大阪、福岡、徳島へと進路が決まって行く。それぞれの夢を抱いて、旅立ちの時を迎えている。
30数年前、私も東京に進学が決まり、嬉しいような、早く行きたいと思う反面、不安もありで、なんだか浮足立った感じだった。
本当に30年の月日が過ぎ去ったのだろうか、思い出の数々がついこの間のことのような気がするのに。
働きながら大学に通っていた日々。漫画雑誌に載っていたので、覚えて、この詩をよく口ずさんだ。
ああ青春
横山まさみち
いつかは誰もがたどる道
その実は未だ熟さねど
青い香りのかんばしく
成長(そだち)の精力(ちから)の満つる道
ああ青春のかぐわしく
意気と熱とがたぎる道
いつかは誰もがユメにみる
希望の虹は遠い空
試練の嵐すさべども
たゆまぬ努力が開く道
ああこの胸の高鳴りは
無限の力の血のたぎり
大好きな詩だった。息子が旅立っていく時にもこの詩を贈ってあげようかな。
(写真は1000枚の折り紙で作ったボールだそう。おみごと!)
金武町では14日文化協会の舞台発表が行われます。また、ロビー、ホールの方では盆栽展・ランの展示・絵画・書・陶芸の展示も行われています。
明日15日は、子どもたちのしまくとぅばの発表会があります。各地区の方言を地域の老人会の方達から教わってきた成果が披露されます。 50代40代の人でもほとんど話せない人が多くなっています。
10年前ぐらいになるでしょうか、アルゼンチンから来た「金武町海外移民子弟等研修会」で来ていたKさんは、しまくとぅばをかなり聞けるし、話せるようでした。時々、飛び出す彼女の言葉に驚いたことがあります。おばあがいつもしまくとぅばで話すので、自然と覚えて、おばあと話すときは、いつもしまくとぅばで話していたようです。純粋のうちなーぐちは辺境の地に残っていました。
比嘉バイロンさんは、方言と言ってはいけないよ、ウチナーグチはユネスコで認められたれっきとした独立言語に位置付けられていると。
資料によると世界では2500言語が消滅の危機にあり、日本は、8語が対象になっているようです。アイヌ語・八丈島語・奄美語・国頭語・沖縄語・宮古語・八重山語・与那国語。
(写真はラン部会の展示作品より)
この14、5年で日本の世の中は、坂道をころげ落ちるようなスピードで最悪な世の中になってしまった。
経済的に豊かになって、科学が発達して、世の中は便利になり、どんどん良い方向へ向かっているものだと思っていた。
私は、もうこれ以上の便利な生活は望まない。また、飛行機や新幹線だって、これ以上のスピードは出なくてもいいと思う。 パソコンや携帯電話等の電子機器の発達は著しいけど、私の世代は付いていくのがやっと。
4人に1人が高齢者という超高齢化社会です。老老介護の悲惨な様子が連日TVで報道されています。何とかならないものでしょうか?
人々の心は不安定です。高齢化社会へ突入することは分かっていたはずなのに、どうして北欧の福祉先進国から学ばなかったのか、政治に疎い私には不思議なことばかり。
世の中は進んでいるのか、後退しているのか・・・
昨日、金武町で行われた緊急シンポジウム「金武町の米軍基地問題と日米地位協定」は、約300人の参加者があったようです。
私は、日米地位協定なるものを読んだことはなかったのですが、この日のために、一応ざっと目を通してみました。不平等協定という事はよく知られています。
米国政府は、この土地も、あの土地も使用しますよ、用事があってその土地に入るのは認めます、でも、わざとじゃない限り、けがをしたり、死ぬようなことがあっても一切責任はとりませんよ、いいですね、と。
それに対して日本政府は「そうですか、はい」とまるでめくら印を押したのではないかと思わせる項目が延々と書き連ねてある。
簡単に言うと私はそんな印象を受けました。
日本にある米軍基地の70%が沖縄に集約されています。沖縄で米兵がらみの事件事故があっても、犯罪を犯した本人に罪が問われることなく本国へ送還され、沖縄の人が泣き寝入りという経緯が過去に幾度となく繰り返されてきました。そのことを日本国政府に私たちの先輩は何十年と訴えてきました。しかし、私たち日本の政府は耳を貸してもくれず、日米地位協定があるから(沖縄が犠牲になっていればいいや)と。私たちは、50年間一歩も前に進む事ができませんでした。
民主党政権になり、今こそ、「米軍の占領下に置かれているような協定を改定しようじゃないか、県民一丸となって」というのが、今回のシンポジウムのねらいでした。私は日米地位協定の勉強ができました。沖縄は常に辛抱強く訴えていかなくてはならないのだ、住みよい平和な世の中は努力して勝ち取っていかなくてはならないのだと思いました。
金武町伊芸区では、300メートルしか離れていない基地の中で射撃訓練が行われ、昨年10月には、民家の車への流弾事件がまたも起ってしまいました。
改定は可能だそうです。日本国民が一丸となれば。沖縄だけの問題だと思わないで下さい。基地の70%は沖縄にあります。戦後64年経った今も。