かわいいイスを見つけたので、このイスにクレイ(粘土)で作った花を乗せて上げたいと思った。傍らが空いていたので、猿とカエルさんを乗せたが、手が滑って落としたらとれてしまった。
せめて一緒に写してあげたいと思って、イスの横にちょこんと座らせて見た。
うれしそう。
かわいいイスを見つけたので、このイスにクレイ(粘土)で作った花を乗せて上げたいと思った。傍らが空いていたので、猿とカエルさんを乗せたが、手が滑って落としたらとれてしまった。
せめて一緒に写してあげたいと思って、イスの横にちょこんと座らせて見た。
うれしそう。
すぐにPCの電源を切った。 雷は本格的な梅雨入り宣言の証。蒸し暑い日が続いている。昨夜も、扇風機が止まると起きて、また、つけるを二度ほど繰り返したおかげで、ぐっすり寝た気がしない。
(写真はパンの木:パッチワークでは、よくこの木のモチーフが使われる。私もハワイアンキルトが大好きで一時熱中していた。実物のパンの木は、大木で素敵)知っていましたか?
バナナの木って、生涯に一度しか実をつけないって。
それで、収穫が終わると木は伐採されてしまうようです。
小さい頃から見慣れていたバナナの木。それなのに私は知らなかった。かなり長い間知らなかった。
ある日、父がバナナの木を倒しているのを見て、「もったいない、何で倒すの」・・・ということで分かったのだった。
でも、必ず子孫というか、根元の近くに新しい芽が出ている。この木がまた次の世代となる。この季節、青いバナナの房があちらこちらで見られる。
沖縄は今日も、とにかく蒸し暑かった。
今日かねひのレジで並んでいた時のこと。
店内でなじみの音楽が流れている。その歌に会わせて(~タウ~ンプラザ、か・ね・ひ・で)という声がした。歌っていたのは、私の横に並んでいた中学生。
私もこのフレーズのところを、さっき店内で歌ってしまったので、「歌ってしまうよ‥ね!」と笑顔でいったら「うん」と。 ちょっとだけ恥ずかしそうに連れの友達と、突っつきあっって笑っていた。
私のレジが終わったので、「じゃ」と手をあげると、頭をチョコンと下げてくれた。ちょっと楽しいひと時だった。 こういうことって、よくあるよね。
以前、「さかな、さ・か・な・さかな~魚をたべよう~~」って歌が流行った時も、魚売り場のとこで私は無意識で歌ってしまったことがあった。その時、ちっちゃな子が、やはり楽しそうに歌って踊っているのをみた。こちらまで楽しくなった。
写真はばんしるー(グァバ)の花。白い花が今咲いている。島バンシルーに対して、アメリカバンシルーもある。
断然おいしいのは、島バンシルーだ。島バナナもそうだが、沖縄産の物を島バンシルー、島バナナという。どちらも、やわらかさというか、味に優しさ?みたいなものがある。どちらも皮が薄いのが特徴。
アメリカバナナみたいに厚い皮で包まれていないので、島バナナは、どこか無防備で、昔の沖縄のいい人たちみたい。
島バンシルーは最高だ。熟した実のことを、こっちの方ではなぜか「ポールカ」と呼んでいた。語源はなんだろう。
最近は那覇の市場でも売られているよ。
ハート形の器を見つけたので、その中に作りためていた、クレイのばらをアレンジしてみた。
ばらを作るのは大変だけど、とっても楽しい。その時々で色を変えて作る。絵の具の量の加減で、思っていた色とは違い濃い色になったりする。
写真の果物の名は「カニステル」。熟して、今ちょうど食べ頃。実家の父と私はわりあいと好き。
ねっとりとした甘さで、お芋とかぼちゃとプリンを合わせたような味。
実家の庭にあったのですが、ある日、母がこの木を切り倒してしまった。なんで・・・・?
甘くなって来た頃を見計らって、カラスや他の鳥たちが来て突っついて食べて散らかしてしまうし、母は一言「こんなの、おいしくないのに」・・・・・・残・念。
この木は、成長が早くあれよあれよという間に、大きくなり実をつけてくれるので、いつか機会があったら、植えてみたいな~と思っている。
スプーンで食べます。おいしのになぁ。
昔、勤めていた会社の上司の息子の名前が庸○という名だった。
この「庸」という字は私にはあまりなじみのない字なので、どうしてその名前を付けたのかと聞いた。 「中庸の庸を採った」「中庸とは真ん中。何でも真ん中がいいかな‥と」と。
今頃になって、「中庸」の言葉がいいものだなと感じる。しみじみ・・と。
欲ばらず。身の丈をわきまえて。上に立てば引きずり下ろされ、かといって、どん底もみじめな気がするし、・・やっぱ真ん中がいいな。
努力しないでは、真ん中は保てないかも。意識しながら真ん中にいるのと、意識しないで真ん中・・はちがうような気がする。
「中庸」いい言葉ですね。今ごろになって感じる。ありがとう