朝、私の職場である公民館へサークル活動に来たみっちゃん(といっても60代)が届けてくれた。いつもありがとう。
とっても素敵なハイビスカス。私はこの花に見とれて、この日一日が楽しく仕事ができた。みっちゃんはこの間も私の絵手紙が新聞に掲載されたのを、わざわざ切り抜いて、きれいな台紙に張り付けて見せてくれた。うれしかった。
最近 忘れることが多いので、嬉しいことをメモしている。嬉しいことは何度読み返しても気持ちがハッピーになれるので、そうしようと去年思ってから、書き記している。
(シーサーは私の作品。笑えるけど・センスがない・・・)
昨日、あんなに暖かかったのに。曇り空でちょっと冷えた一日。町内は今、あちらこちらで下水道工事が行われている。仕事帰り、ルンルンして、うっかりして、通りかかったら、近道だったのに、帰って大きく迂回するはめになった。
教訓「急がば回れ」
先日同級生の祝賀会があって、居酒屋へ行った。その居酒屋で私の正面向こう側に座っていたアメリカ人の兵士の横顔があまりにも幼いので、思い出してしまった。
桜坂劇場でみた「アメリカばんざい」という映画。
目の前にいる彼らも大学へ無償で行けると夢見て兵士に志願してきたのだろうか?
映画で観た彼らの将来は暗いものだった。
戦場に送られて戦死。生き延びて帰還しても、心の病は深く働くことも、日常生活を送ることもできない。なのに何の補償も得られない。収入もないので家も借りられず貧しく、仕方なく森の住人、浮浪者となっている。国の為に働いたのに。かわいそうな若者。震えておびえてうずくまっている。
この映像を見た時、なんて冷たい仕打ちなのだろう、アメリカという国は。と思ってしまった。一方では、このような若者たちを救おうと活動するボランティアの人々がいた。彼等は、共同の家と毛布と暖かいスープを与えていた。
運よく五体満足で兵役を終了して、奨学金をもらおうとしても、悲しいかな、彼には気が遠くなるような 何段階もの手続きが待ち受けているという。あまりの煩雑難解な手続きゆえ、途中で投げ出してしまう人も多いという。
「アメリカばんざい」は、このようなアメリカの除隊後の若者の現状を映し出していた。みてみないふりをしているアメリカの影の部分にスポットを当てていた。
今、目の前にいる兵士たちを見て そんなことを思った。
いろんなことが矛盾している。
今TVで志村けんの「ばか殿」を見ていたらDDTの話題が出たので思い出してしまった。
昔、今から40年も前の日常の中のひとコマ。
蚊が多かったあの時代、夕方になると、DDTの消毒車が通ると、「ワーッ!」と叫びながら子どもたちは、その車に駆け寄っていった。
白い噴煙を散布して村中を走り回るその車の後を、私たちは面白がって群がって追いかけた。
今思うと、体に悪そうで、気持ちが悪くなりそう。
あの時代は、親たちも忙しくて子どもにかまっていられる暇なんかなかったんだろうな。 近所の刺身屋の近くから大川に続く大きなドブ川がトンネルのようになっていた。結構長いどぶトンネル。そこを「探険だ!」と言って腰をかがめ、スカートの裾をパンツに挟みこんで、懐中電灯を家から持ち出して、遊んだ。何度も。
今、思い出すと汚い、あ~~~、よくも。 あんな体に悪いようなことをしても、私たちは意外とタフ。
潔癖症で塵ひとつない家に育った人の方が、アレルギーになりやすいと聞いたが案外そんなものかも知れない。
言ったり言われたりするのは人の世の常。けど、後味が悪い。幸せでない人は愚痴ってしまうのだ。だからたくさんの人が幸せになったほうがいい。
覚えておこう 「幸せは自分の心が決める」と。
昨日は旧正月。ここからスタートでもよい。
手前味噌になるがうちの子どもたち性格がいい。彼らは人を褒めるのが上手。
(写真:すみれの花が咲きだした)