最近のカレンダーに「慰霊の日」は、沖縄県民にとっては祭日なのに今迄のように赤くなっていない。慰霊の日と書かれていないカレンダーも増えている。
「慰霊の日」は、先の大戦で亡くなった人の霊を慰める日でもあり、戦争の悲惨さを知り、二度と戦争を起こしてはならないという誓いの日でもある。
なくしてはならない大事な日だ。自分たちで23日のところに赤い印をつけよう。そして、子どもたちに、この日の意味を語り継いでいこう。
昨日は父の日。私の父は大正九年生まれ。元海軍。23歳の時、召集令状がきて徴兵検査を受けた。甲種合格で佐世保海兵団第二海兵団へ入隊した。
南方方面で海戦しながら、仲間の船が次々にやられていくのを目の当たりにし、父も腕に弾を受けた。
雨のように降ってくる弾をよけながら、船は蛇行し、何度もダメかも知れないと思いながら九死に一生を得て、日本の地に帰って来ることが出来たという。
終戦を石川県の七尾市の地でむかえたが、鉄道が破壊されたために、沖縄に帰ろうにも帰れず、山の上にある「宝憧寺」というお寺で二年間寄宿生活の後、沖縄へ帰って来た。
戦後の沖縄は焦土と化し、人々は、戦後の復興にまい進して精一杯生きてきた。父の一番楽しいはずの青年期は戦争に巻き込まれた激動の時代。敗戦後の、屈辱の沖縄を生きてきた。待ち望んだ施政権返還。しかし・・・
語り継いでいかなくてはならない戦争の悲惨さ。平和の尊さを認識していく上でも。6月23日は埋もれさせてはならない。5月15日の「復帰記念日」とともに。