点在する廃屋
ある仕事で、ある家の廃屋に入る機会がありました。いや、家の中は鍵がしてあるので外観しか分かりません。私が見たのは屋敷内の庭園の植え込みや周囲の所謂屋敷森の様子でした。
ここで、草刈や樹木の剪定・伐採をしている作業員の方々の仕事を見るのが目的だったのですが、そのあまりの荒れように驚きました。人が住んでいてこまめに手を入れることの大切さをつくづく感じました。
先ず草です。身の丈くらいの草が生い茂り、埋もれてしまうような感じでした。また、大切に手入れされていた松も枝が伸び放題。その他の植え込みも自然の生長に任せてあるので、植物たちは本来の生命力を取り戻し、嬉々として自らの存在を競って誇示しようとしていました。
植物を植えて心を癒す。これは人間が生活していく上で大切なことです。しかし、一度放置すると、手が付けられないほど暴れ出します。この日、私はその恐ろしさを改めて体感しました。
竹は特にひどい状態になります。他の樹木を駆逐して、どんどん勢力範囲を広げていきます。里山が荒れる原因の一つは竹林の放置にあると言われています。竹を伐って生活に欠かせない道具を作ったり、たけのこを大切な食料としていれば山は荒れないでしょう。
老いた両親が健在であれば、まだ家や山、田畑はなんとか守られていくでしょうが、もし亡くなれば、定期的に管理しない限り急激に荒廃していきます。
個人主義的な生活スタイル、都会志向、その家庭自体の特別な事情、社会構造の変容等々原因を挙げればきりがないでしょう。しかし、放置していては荒廃は進むばかりです。国家的プロジェクトとしてこういう深刻な問題に早急に取り組む必要性を痛感しました。