写真集『宍道湖の朝日』

数年前、今は亡き弟の写真集を刊行した。上の写真は表紙で用いたもの、下記の文はそのときの「あとがき」である。
何かにつけ弟を思い出すので、このブログにも載せておきたいと思った。今、弟は冥界のどこでどうしているだろうか。
弟が入院しているときに、「ホームページに載せたいので、少しばかり写真をフロッピーに入れてくれんだろうか」と頼んだ。それから数日後病院で5枚のフロッピーディスクを受け取った。平成13年11月ごろだったと思う。私は持ち帰って開いてみて、とてつもなく広く深い世界に誘い出された気持ちがした。弟がこういう写真を早朝宍道湖の西岸で撮りつづけていたことを私は知らなかったのである。
いつだったか忘れたが、弟の家に行くと、額縁に入れた宍道湖の朝日の写真が表座敷にぎっしりと並んでいた。弟は個展を開きたかったようである。私はそういうことがあってから、どうして宍道湖の朝日に執着するようになったのか、その動機を考え始めていた。直接本人に聞けばよかったが、「どうして……」という言葉自体が写真の世界に比して非常に俗な言葉のように思えたので、とうとう聞き出すことはしなかった。ただ写真の世界に素直に入り込むことしか私には出来ない気持ちになった。
亡くなってから預かった写真がさまざまなことを語りかけてきた。それは、そのときどきによって内容が違っていた。日々弟の姿が遠いところへ昇っていく実感の中で、遺された写真の重みが私の中で増してきたのである。今しかない。そうだ。早く出そう。そんな気持ちが私をせきたてた……。

数年前、今は亡き弟の写真集を刊行した。上の写真は表紙で用いたもの、下記の文はそのときの「あとがき」である。
何かにつけ弟を思い出すので、このブログにも載せておきたいと思った。今、弟は冥界のどこでどうしているだろうか。
弟が入院しているときに、「ホームページに載せたいので、少しばかり写真をフロッピーに入れてくれんだろうか」と頼んだ。それから数日後病院で5枚のフロッピーディスクを受け取った。平成13年11月ごろだったと思う。私は持ち帰って開いてみて、とてつもなく広く深い世界に誘い出された気持ちがした。弟がこういう写真を早朝宍道湖の西岸で撮りつづけていたことを私は知らなかったのである。
いつだったか忘れたが、弟の家に行くと、額縁に入れた宍道湖の朝日の写真が表座敷にぎっしりと並んでいた。弟は個展を開きたかったようである。私はそういうことがあってから、どうして宍道湖の朝日に執着するようになったのか、その動機を考え始めていた。直接本人に聞けばよかったが、「どうして……」という言葉自体が写真の世界に比して非常に俗な言葉のように思えたので、とうとう聞き出すことはしなかった。ただ写真の世界に素直に入り込むことしか私には出来ない気持ちになった。
亡くなってから預かった写真がさまざまなことを語りかけてきた。それは、そのときどきによって内容が違っていた。日々弟の姿が遠いところへ昇っていく実感の中で、遺された写真の重みが私の中で増してきたのである。今しかない。そうだ。早く出そう。そんな気持ちが私をせきたてた……。