カサブランカ

我が家にこんな絵があります。恐らくユリのカサブランカだと思われます。まだ額縁がないので、ほこりにまみれています。かわいそうでしかたがないのです。でも、額縁といってもP15サイズともなると、1万円くらいはします。私は、だから、ほったらかしにしているのです。
作者は、田中擴和。一時宮本三郎に師事した画家です。
私は、この絵を今年は表舞台に出そうと思って眺めているところです。ということは、思い切って額に入れるということです。そして、玄関に掲げる。やっと一人前になる。嬉しい楽しみです。
それにしてもどうしてそういう洒落た名前がついたのでしょうか。
カサブランカはモロッコの商業・金融の中心地。アフリカ有数のグローバル都市でもあります。カサブランカとはポルトガル語、スペイン語で「白い家」を意味するといいます。
そういえば映画もありました。
調べてみると、第二次世界大戦にアメリカが参戦した1942年に製作が開始され、同年11月26日に公開されたフランス領モロッコのカサブランカを舞台にしたラブロマンス映画です。監督はマイケル・カーティス。配給はワーナー・ブラザーズ。1943年に第16回アカデミー作品賞を受賞。監督のマイケル・カーティスは監督賞を、脚本のジュリアス・J・エプスタイン、フィリップ・G・エプスタイン、ハワード・コッチの三名が脚色賞を受賞しています。
何といってもそのキャストがいいですね。ハンフリー・ボガート(リック・ブレイン)とイングリッド・バーグマン(イルザ・ラント)。
で、その花のことですが、実はは逆輸入種だったんですね。日本で自生しているユリ科の植物の数多くの種類をブレンドしてつくられたようです。カサブランカは、オリエンタル・ハイブリットを代表する花だそうです。カサブランカを生み出す交配で主要な役割を果たしたトカラ列島口之島原産のタモトユリは、自然状態ではほぼ絶滅してしまっているそうです。
カサブランカの語源は、「白い家」なのだから、その美しい白い花を見て、地中海の海辺の白い家を想像すると、確かに同じイメージでは・・・?とまれ、一つひとつの花は清楚でお洒落な花ですね。初夏から夏にかけて白い花が咲きます。しかし、我が家にはその花が今玄関に生けてあります。季節感がなくなったのですね。
それにしても、この作品は1969年作です。花が日本に入ってきたのはもっと以前ではないでしょうか。この花はずいぶん昔から日本で作られていたように思われます。いやはや、この絵からいろんなところへ話が飛躍しました。ごめんなさい。

我が家にこんな絵があります。恐らくユリのカサブランカだと思われます。まだ額縁がないので、ほこりにまみれています。かわいそうでしかたがないのです。でも、額縁といってもP15サイズともなると、1万円くらいはします。私は、だから、ほったらかしにしているのです。
作者は、田中擴和。一時宮本三郎に師事した画家です。
私は、この絵を今年は表舞台に出そうと思って眺めているところです。ということは、思い切って額に入れるということです。そして、玄関に掲げる。やっと一人前になる。嬉しい楽しみです。
それにしてもどうしてそういう洒落た名前がついたのでしょうか。
カサブランカはモロッコの商業・金融の中心地。アフリカ有数のグローバル都市でもあります。カサブランカとはポルトガル語、スペイン語で「白い家」を意味するといいます。
そういえば映画もありました。
調べてみると、第二次世界大戦にアメリカが参戦した1942年に製作が開始され、同年11月26日に公開されたフランス領モロッコのカサブランカを舞台にしたラブロマンス映画です。監督はマイケル・カーティス。配給はワーナー・ブラザーズ。1943年に第16回アカデミー作品賞を受賞。監督のマイケル・カーティスは監督賞を、脚本のジュリアス・J・エプスタイン、フィリップ・G・エプスタイン、ハワード・コッチの三名が脚色賞を受賞しています。
何といってもそのキャストがいいですね。ハンフリー・ボガート(リック・ブレイン)とイングリッド・バーグマン(イルザ・ラント)。
で、その花のことですが、実はは逆輸入種だったんですね。日本で自生しているユリ科の植物の数多くの種類をブレンドしてつくられたようです。カサブランカは、オリエンタル・ハイブリットを代表する花だそうです。カサブランカを生み出す交配で主要な役割を果たしたトカラ列島口之島原産のタモトユリは、自然状態ではほぼ絶滅してしまっているそうです。
カサブランカの語源は、「白い家」なのだから、その美しい白い花を見て、地中海の海辺の白い家を想像すると、確かに同じイメージでは・・・?とまれ、一つひとつの花は清楚でお洒落な花ですね。初夏から夏にかけて白い花が咲きます。しかし、我が家にはその花が今玄関に生けてあります。季節感がなくなったのですね。
それにしても、この作品は1969年作です。花が日本に入ってきたのはもっと以前ではないでしょうか。この花はずいぶん昔から日本で作られていたように思われます。いやはや、この絵からいろんなところへ話が飛躍しました。ごめんなさい。