藤田嗣治「三美神」
この作品は作者の中でかなりな解釈が行われている。日本人風に描いているし、ボッティチェリのビーナス誕生をアレンジしていると思われる。それにしても確かな描写力である。
治子からの電話の話を聞いて私は驚きました。私の母の妹が松江温泉まで来ているというのです。急にまたどうして、と聞いたのですが、とにかく私と一緒に行こうというのです。私は胸騒ぎを感じながら夕方治子の車に乗りました。車中、治子も興奮気味であまり語ろうとしませんでした。ホテルに着いて、フロントに問い合わせると、しばらくしてから中年の立派な紳士が現れました。畝本様ですね。まもなく先生をお連れします。このホールの奥の喫茶店でお待ちください。紳士は、そういう風に言うので、私たちは言われるまま喫茶店の一番奥の席で待っていました。すると間もなく紳士に手を引かれるようにして白髪の老婆が姿を現しました。見るとすぐに私の母の写真に似ていることが分かりました。間違いない。私の母の妹だ。私はそう思いました。母の妹を私の前の席に座らせると、紳士は隣のテーブルの椅子に腰かけ、ウエイトレスを呼んでコーヒーを注文しました。コーヒーが来ると、さ、遠慮なくどうぞ、何か食べ物も注文しましょうか、と言うので私はいや結構です、と言いました。白髪の老婆はじっと私を見つめていました。
新宮春子でございます。態々お呼び立てして申し訳ございません。どうしてもお伝えしたいことがありまして・・・。
初めまして、畝本と申します。あ、それから上の娘の治子です。
お子さんは確か二人、下の娘さんはスポーツでご活躍のはず。いや、私はすべて空に住んでいる姉から聞いて知っております。
母といつも話していらっしゃるんですか。
ああ、そうです。小さいころは姉がいるとはちっとも知りませんでした。物心ついたころ自然に姉がいると気づきました。二人とも諏訪の貧乏な家に生まれました。それから二人は別れて・・・、そうでしたね、姉は貴方を生んでまもなく死にました。それから、空から話しかけてくる姉の声を聞くようになりました。双子というのは不思議な力で結ばれています。・・・ええ、今ではいろいろなお方の声が姉の声で聞こえてきます。私は、そのため大袈裟な言い方ですが、たくさんのお方を助けました。そうしたらいつの間にか先生と呼ばれるようになって・・・。お恥ずかしいことです。
観自在ですね。観音様ですね。
いや、いや、そんなことはありません。ご覧の通りの老婆です。
里見大三郎さんもご存知ですね。
ああ、新阿国座の・・・。
そうです。
よく知っています。時々お会いしてお話ししています。
突然ですが、これから「お母さん」と呼ばせていただいていいでしょうか。
え、それは・・・。まあ、私みたいなものでもよかったら。
ありがとうございます。
それで、実は、これからの新阿国座と湖笛のことですけれど・・・。
えっ、何でしょう。
新阿国座の関係者は私たくさん知っています。翠園さん、仙女さんはもちろん若いころからお付き合いしています。しっかりしたお方です。・・・これからのことですが、ああして華龍さんが加わり、新鮮になりました。話題性も十分です。問題は次世代ですね。麗華さんが湖笛の応援を買って出ました。これは大器です。湖笛にとって明るい材料です。次に尾辻綾乃さん、これは演劇ではないですが、この方と、それから、凰佐久良さん、これは相当の経験者です。この三人が湖笛と新阿国座と出雲の画壇の大きな力になります。・・・実は、この三人みんな私のところへ来てアドバイスを求めました。絵とか演劇のことは分かりません。でも、芸への意気込みを強く感じました。私は陰ながら支援することを約束しています。
三人とも相談に・・・。
そうです。貴方にそのことをお知らせしたかったのです。
えっ、私は何をすれば・・・。
何にもしていただかなくて結構です。ただ、見守ってほしいのです。私は、出雲にはいませんので、私の代わりに見守ってほしいのです。お願いはただそれだけです。
えっ、見守る・・・。
そうです。一定の距離をとってじっと見守るお方が欲しかったのです。それが大きな影響を三人に与えます。
しかし、他にも古賀画伯とか、坂本学芸員とか・・・。
そういうお方は実際の指導者です。それを超えたところで見守ってほしいのです。
超えたところというのは・・・。
超えたところです。
具体的には・・・。
それは日々これから感じられるでしょう。・・・出雲の未来をあの三人は背負っています。
三美神ですか。
いや、そういう名前はどうでもいいのです。治子さん千恵子さんとそして奥さんと一緒に見守ってほしいのです。どうか、どうか、よろしくお願いいたします。・・・ああ、もう一人、大切な人を漏らしていました。笙子さんです。あの方は今本格的には動けない状況ですが、いずれ個性的な芸と技を磨いて湖笛を経、新阿国座の花形になると思います。
合わせてよろしくお願いいたします。
お母さん、それは荷が重いです。
無為、無作の境地になれば可能です。
無為、無作ですか。
そうです。お願いします。
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