とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 93 愛と死をみつめて/吉永小百合

2017-02-09 23:52:42 | 日記
「ぼろぼろ泣けて・・・。これは実話なんだなー」映画館を出ると、いかつい体格で気の強いNが目を腫らしてそう言いました。Aは「ああいう真正面からの刺激には人間案外強いもんだよ」と言いました。「お前泣かなかったのか」Nは聞きました。「ああ、まあ、じんときたけどね」とAは答えました。「お前案外冷たいんだな」Nは軽蔑するようにそう言いました。
実は、Aは、心の中でぼろぼろ泣いていたのでした。

愛と死をみつめて/吉永小百合


『愛と死をみつめて』は、大学生河野實(マコ、1941年8月8日 - )と、軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島 みち子(ミコ、1942年2月3日 - 1963年8月7日)との、3年間に及ぶ文通を書籍化したものである。
1963年(昭和38年)12月25日、大和書房より刊行された。本書は160万部を売り上げる大ヒットを記録。また、1964年年間ベストセラーの総合1位を記録した[1]。
関連本として、大島著の『若きいのちの日記』や河野著の『佐智子の播州平野』も出版された。実際に交わされた手紙等をもとにした往復書簡集ではあるが、『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』等の純愛小説の先駆け的存在であったといえる。ラジオドラマ・テレビドラマ・レコード・映画化された。

あらすじ

兵庫県立西脇高等学校に通うミコ(大島みち子)は、顔に軟骨肉腫ができる難病に冒されていた。阪大病院に入院した際、同じ病棟で長野県出身の浪人生マコ(河野実)と出会い、互いに18歳のタイガース・ファン同士で意気投合し、文通を始める。
その後ミコが同志社大学、マコが東京の中央大学へ進学してからも文通は途切れず、ミコの病気が再発して再入院した後も、マコは夏休みに大阪駅ホームのビール売りのアルバイトを続けてミコを励ます。夏休みが終わって、東京に戻ったマコとの文通が闘病生活の大きな支えになっていく。マコはその後もアルバイトをして長距離電話で励ましたり、旅費を工面して阪大病院を訪れるなどし、2人の愛は深まるばかり。
しかしミコは手術で顔の半分を失い、さらに病気は悪化していく。そして、マコの22歳の誕生日の前日に、自らのメモリアルデーを刻んで、この世を去って逝く。(Wikiより)

愛と死をみつめて 青山和子

当時ヒットした唄です。懐かしい。竹下景子さん、若いですね。




あちこち「SYOWA」 92 吉永小百合さんの「第二楽章」

2017-02-09 00:07:10 | 日記
「第二楽章」。これは吉永小百合さんの原爆詩朗読のCDのタイトルです。Aは何度となく教室でこの声を生徒に聞かせました。ざわざわしていた教室が、始まるとシンと静まり返って、怖いほど張り詰めた空気が漂いました。これは決して忘れることのできないAの尊い思い出の一つです。
(敢えて「SYOWA」の中に入れました)

吉永小百合さん原爆詩朗読 ピアノ坂本龍一さん


「第二楽章」について

「核兵器のない、平和な二十一世紀を願って、祈るような思いで朗読しました…」

吉永小百合が女優として知った“ヒロシマ”を、様々な女性が記した「原爆詩」の朗読と、美しい音楽にのせて綴る珠玉のアルバム!

【音楽】
編曲(M3,7):大島ミチル
演奏:村冶佳織(クラシック・ギター)、三浦章広 室内楽オーケストラ/弦楽四重奏

【ジャケット】
挿絵:男鹿和雄

【オリジナル発売日】
1997年6月21日


01 詩:序 BGM:Introduction & Rond OP.2-2

02 詩:ヒロシマの空  BGM:Largo non tanto

03 Piano Concerto NO.21 K.467 2nd Movement

04 詩:生ましめんかな  BGM:Sonata OP.1-15 4th movement

05 詩:うめぼし  BGM:Le Jasmin OP.46-4

06 詩:慟哭  BGM:Adagio

07 Siciliana

08 詩:子供たちの詩  げんしばくだん おとうちゃん 先生のやけど 無題  BGM:Sonata K.11/L.352

09 詩:燈籠ながし  BGM:Chant D'amour

10 詩:折づる 永遠のみどり  BGM:Sinfonia from Kantate NO. 156 BWV156

11 第22番 ハ短調 アダージョ(レニャーニ:3つのカプリス~36のカプリス OP.20)


うめぼし(朗読詩の中の05「うめぼし」についてのAの新聞投稿)

 八月六日を迎えると何故だか胸が騒ぐ。原爆の日だから? いや、そのこともある。もっと燃えたぎったもの、例えば平山郁夫氏の「広島生変図」の原爆の火炎をにらむ不動明王のような情念である。炎は死に誘う。しかし、不動明王は生の象徴。その画面から「生きとる 生きとる」というかすれたお婆さんの声が聞こえてくる。それが人類不滅を語っているような気がして胸が熱くなるのである。
 「第二楽章」というCDがある。教室で子どもたちに聞かせた。すると、普段はざわつくこともある授業が不思議なほど静かになったのである。以来、毎年機会を見て聞かせた。反応は同じだった。このCDは原爆詩の朗読を録音したものである。読んでいるのは吉永小百合氏。一九八六年の反核平和集会で読んだのがきっかけになり、その後全国各地で大小の朗読会をした。請われてアメリカにも出かけた。「生ましめんかな」、「慟哭」などの劇的な詩の中に、「うめぼし」という地味で素朴な詩が挿入されている。作者は池田ソメさん。瓦礫(がれき)の中で三日過ごして体が極度に衰弱していた。ところへ、誰かが通りかかる。「この婆さんは死んでしもうたか/かわいそうに」という声が聞こえてきた。するとこのお婆さん、力の限り「生きとる 生きとる」と訴える。すると、誰かがうめぼしを口へ入れてくれた。それが生きる力になったのである。何とも切なく、しかも心が熱くなる話である。
                                 (2004年投稿)