とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 272 Puff The Magic Dragon -- Peter, Paul & Mary ~ Live 1965

2018-01-05 17:51:59 | 日記
「パフ」とはどういう動物か。私は普通のメルヘンとは違う雰囲気を感じていました。今改めて詳細を知りました。優しい歌声が印象的でした。

Puff The Magic Dragon -- Peter, Paul & Mary ~ Live 1965


ピーター・ポール&マリー(Peter, Paul and Mary)は、1960年代アメリカのフォークグループの一つ。ピーター・ヤーロウ(Peter Yarrow、1938年5月31日 - )、ノエル・ポール・ストゥーキー(Noel Paul Stookey、1937年12月30日 - )と マリー・トラヴァース(Mary Travers、1936年11月9日 - 2009年9月16日)のトリオ。60年代にベトナム反戦のメッセージを全世界に送り出した。通称PP&M、またはPPM。

歴史

1961年に結成。「背の高いブロンド(トラヴァース)、陽気なやつ(ストゥーキー)、そして見た目の良い気のいいやつ(ヤーロウ)」を揃えた「スーパーグループ」をイメージしたマネージャー、アルバート・グロスマンによって生み出された。結成後、グロスマンはグループを早速、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウス「ビターエンド」に出演させた。ここはフォークソングを聴くには人気の店であった。

1962年4月、「レモン・トゥリー」でデビュー。同年5月、ファーストアルバム『ピーター・ポール&マリー』をリリース。それには、「500マイル」、「レモン・トゥリー」、「花はどこへ行った」、そしてピート・シーガーのヒット曲「天使のハンマー(ハンマーソング)」が含まれていた。アルバムは、ビルボード誌のトップ10に10ヶ月君臨し、トップ100に3年以上にわたり留まった。

1963年2月、新曲「パフ」をリリース。この曲は、ヤーロウと彼の友人でコーネル大学の学生レオナルド・リプトンがもともと1959年に作詞作曲したものである。全米2位を記録。同年6月に発表したボブ・ディランの「風に吹かれて」のカバーも全米2位を記録。

同年8月28日のワシントン大行進では「天使のハンマー」が歌われた。マーティン・ルーサー・キングの演説「私には夢がある」(I Have a Dream)は、この行進の際に行われた。その後長くグループは、アメリカ合衆国の公民権運動やその他の社会的正義を主導する運動の第一線に立ち続けた。


1964年6月に初来日。1960年代にはしばしば来日公演を行い、1967年1月の来日時には、ライブ盤『In Japan』を制作した。
1967年3月発売のアルバム『Album 1700』において、当時無名だったジョン・デンバーの「悲しみのジェット・プレーン」を取り上げる。同曲は2年後の1969年9月にシングルカットされ、ビルボードのポップ・チャートとイージーリスニング・チャートで共に1位を記録した。

1970年、ソロ活動のために解散。しかしグループとして活動していた当時程の成功を収めることはできなかった。唯一の例外はストゥーキーが1971年に発表した「ウェディング・ソング」である。これはヤーロウが、上院議員ユージーン・マッカーシーの姪メアリーベス・マッカーシーと結婚する際にその結婚式のために作曲されたもので、ビルボードのポップ・チャートで24位、イージーリスニング・チャートで3位を記録した。リリース以後結婚式のスタンダード・ナンバーとなっている。

1978年に彼らは原発反対運動の支援コンサートのために再結成し、一緒にアルバムを製作し、以来一緒にコンサートツアーを行ってきた。彼らは年間40回のコンサートを毎年行ってきた。

1999年、ヴォーカルグループ殿堂入り。
2005年、マリー・トラヴァースが白血病と診断され、その年のコンサートツアーはキャンセルされた。
2007年2月、ノエル・ポール・ストゥーキーが、ソロ活動として北朝鮮による日本人拉致問題の解決(横田めぐみ救出と北朝鮮の譲歩)を願う「Song for Megumi」を発表。5月にも来日し、拉致被害者支援コンサートに参加した。

2009年9月16日、マリー・トラヴァースが、白血病のためコネティカット州ダンベリーの病院で死去。72歳没。

「パフ」の概要

「パフ」の歌詞は1959年、レニー・リプトン (Lenny Lipton) が19歳の時、オグデン・ナッシュ (Ogden Nash) の詩 "Custard the Dragon" の一節 "Really-O, Truly-O, little pet dragon." に影響されて作った。学友のピーター・ヤローが歌詞を加えて作曲し、1961年からピーター・ポール&マリーの曲として演奏されるようになった。その後、1963年2月にシングルとして発表され、大ヒットした。

歌詞は、不老のドラゴン「パフ」と少年ジャッキー・ペーパーとの交流と別れを描いている。舞台はおとぎの国 Honah Lee の海。パフの名前はドラゴンの不思議な鳴き声に由来している。

一説では少年ジャッキー・ペーパーがパフの前に現れなくなったのはジャッキーがベトナム戦争に行き戦死したためだと解釈されており、 この解釈によりこの曲は反戦歌だと受け取られている。アメリカではドラッグ・ソングと曲解され、ヒッピーの聖歌になっているとの噂が流れ、マリファナ所持に極刑を科しているシンガポールなどで放送禁止になった。

しかし、作詞者はこれを強く否定し、ステージ上でも観客に無関係をアピールし続けている。1985年10月9日にアメリカ合衆国テネシー州のナッシュビルで行なわれたコンサート『Peter, Paul and Mary 25th Anniversary concert 』では、ピーター・ヤロー自らが「歌詞の解釈に誤解があるようだが、他意はなく、子どもの成長の歌だ」という内容のコメントをしている。

1978年、アメリカ合衆国では、この曲を題材にとった短編アニメ「"Puff the Magic Dragon"」がテレビ放映されている。パフの声はバージェス・メレディスがあてた。1979年と1982年には続編が放映されている。
"Puff the Magic Dragon" はベトナム戦争においてAC-47攻撃機を指す米軍スラングにもなっている。(Wikiより)