当時、股旅ものが突然出てくるとは思いませんでした。古さを感じさせない新鮮さがありました。
潮来笠 橋幸夫
『潮来笠』(いたこがさ)は、1960年7月5日に発売された橋幸夫のデビューシングル。
概要
橋幸夫のデビュー曲であり、股旅曲の代表的な作品である。累計で約120万枚を売り上げた。作詞、作曲は橋の恩師にあたる佐伯孝夫と吉田正。
恩師の吉田によれば、『潮来笠』は、ビクターを代表する作詞家佐伯孝夫が、「ふさわしい歌い手がでてくるまでと、永年、あたためられていたテーマ」としている。もともと、佐伯が、茨城の水郷に遊んだ時に、その情景にひかれて作りあげた作品であったが、「この作品を歌うぴったりの歌手が見当たらない」まま「3年もの間あたためていた」時に、橋がビクターのオーディションに受かり、入社してきた。橋のレッスンを見た佐伯が、「いかにも高校生らしく、....健康な素直さにあふれている」橋に、提供することを決めたとされている。
一時は、ビクターのベテラン歌手小畑実に提供する案もあったとされる。
楽譜を手渡された橋は、「潮来笠」を「シオクルカサ」と読んで、吉田に「これは地名で『いたこがさ』だよ」と教えられたエピソードを明かしている。また「こんな歌売れるのかな....と思った」ことも記している。
デビュー前の6月に、TV[要説明](ロッテ歌のアルバム)の新人紹介に出演し「潮来笠」を唄ったが、その直後から、橋の実家(富士越呉服店)やビクターに問合せの電話が殺到し、このため予定より1か月早めて7月5日にレコード発売となった。初回のプレスは発売当日に売り切れとなり、大騒ぎとなり、秋にはビクターは「他の音盤のプレスを止めて、『潮来笠』オンリーで取りかからねば追いつかない」状況となった。
本楽曲の三味線伴奏には市丸の実妹である静子が加わっており、その後も静子とは股旅ものでは何度か共演している。
橋は本楽曲で第2回日本レコード大賞の新人賞を受賞した。なお、後に橋は1962年の第4回に「いつでも夢を」で、1966年の第8回に「霧氷」でそれぞれ大賞を受賞しているため、史上初の新人賞と大賞の2冠となっている(当時は最優秀新人賞と最優秀歌唱賞は存在しなかったため、主要な賞は新人賞と大賞のみだった)。(「Wikipedia」より)
潮来笠 橋幸夫
『潮来笠』(いたこがさ)は、1960年7月5日に発売された橋幸夫のデビューシングル。
概要
橋幸夫のデビュー曲であり、股旅曲の代表的な作品である。累計で約120万枚を売り上げた。作詞、作曲は橋の恩師にあたる佐伯孝夫と吉田正。
恩師の吉田によれば、『潮来笠』は、ビクターを代表する作詞家佐伯孝夫が、「ふさわしい歌い手がでてくるまでと、永年、あたためられていたテーマ」としている。もともと、佐伯が、茨城の水郷に遊んだ時に、その情景にひかれて作りあげた作品であったが、「この作品を歌うぴったりの歌手が見当たらない」まま「3年もの間あたためていた」時に、橋がビクターのオーディションに受かり、入社してきた。橋のレッスンを見た佐伯が、「いかにも高校生らしく、....健康な素直さにあふれている」橋に、提供することを決めたとされている。
一時は、ビクターのベテラン歌手小畑実に提供する案もあったとされる。
楽譜を手渡された橋は、「潮来笠」を「シオクルカサ」と読んで、吉田に「これは地名で『いたこがさ』だよ」と教えられたエピソードを明かしている。また「こんな歌売れるのかな....と思った」ことも記している。
デビュー前の6月に、TV[要説明](ロッテ歌のアルバム)の新人紹介に出演し「潮来笠」を唄ったが、その直後から、橋の実家(富士越呉服店)やビクターに問合せの電話が殺到し、このため予定より1か月早めて7月5日にレコード発売となった。初回のプレスは発売当日に売り切れとなり、大騒ぎとなり、秋にはビクターは「他の音盤のプレスを止めて、『潮来笠』オンリーで取りかからねば追いつかない」状況となった。
本楽曲の三味線伴奏には市丸の実妹である静子が加わっており、その後も静子とは股旅ものでは何度か共演している。
橋は本楽曲で第2回日本レコード大賞の新人賞を受賞した。なお、後に橋は1962年の第4回に「いつでも夢を」で、1966年の第8回に「霧氷」でそれぞれ大賞を受賞しているため、史上初の新人賞と大賞の2冠となっている(当時は最優秀新人賞と最優秀歌唱賞は存在しなかったため、主要な賞は新人賞と大賞のみだった)。(「Wikipedia」より)