初めて知りました。正直驚いています。しっかりした音調。英語の発音の美しさ。ルックスも国際的。どうして国内でどんどん出ないのか。不思議に思っています。
歌うたいのバラッド uta utai no ballad
BENI(ベニ、1986年3月30日 - )は、沖縄県出身の女性歌手。デビュー以来、本名の安良城 紅(あらしろ べに)で活動していたが、2008年11月にレコード会社移籍に伴い、ゲスト出演時に使用していた「BENI」に改名。
沖縄県に生まれ、沖縄とアメリカを行き来する幼年期を過ごす。
幼少の頃よりピアノを習う。また、両親が音楽好きだったため、アメリカと日本の様々なジャンルの音楽に触れて育った。学校でもいろいろな形で音楽に触れたが、決して英才教育を受けたわけではない。
小学校6年生のときに神奈川県横須賀市に移住し、市内にあるアメリカン・スクールに通う。
2002年、16歳の時にオスカープロモーションが主催する第8回全日本国民的美少女コンテストに出場。それまで歌手選考主体のオーディションには一切参加したことがなく、たまたま知って初めて参加したコンテストで最終選考まで残り、中島美嘉の『Helpless Rain』を歌った。
2004年6月9日、マキシシングル『Harmony』でavex traxよりソロデビュー。
2004年10月、上智大学国際教養学部(旧比較文化学部)国際教養学科に進学。英語中心の世界で生きてきたため、大学も英語で授業を受けられるところを中心に考えて選んだ。しかし、在学中からシンガーとしてデビューすることが決定していたために学業との両立に苦しみ、その後、1年間留年も経験した。
2004年11月25日、『松本清張ドラマ・黒革の手帖』のエンディングテーマ曲である3rdシングル『Here Alone』を発売。オリコンで自身最高となる初登場14位を記録した。
2005年8月6日、アメリカンフットボールのNFLのプレシーズン・ゲーム、NFL TOKYO 2005 インディアナポリス・コルツ対アトランタ・ファルコンズ戦でイメージ・キャラクターと親善大使に選ばれ、日米の各国歌を斉唱し、ハーフタイム・ショーも行った。
2006年2月22日、サッカーAFCアジアカップ予選・インド戦で君が代を独唱。
2007年7月26日、大阪BIG CATにて、続けて同月29日には東京恵比寿Liquid Roomにて、自身初となる単独ライブを開催。デビューから3年間という長い期間、単独でのライブがなく『どんだけ待ったか。超うれしい』と会場で歓喜の声をあげた。Luna、Here Alone、Give me upなど計19曲をファンの前で熱唱。DJに福富幸宏を迎えた。
2008年3月5日、初のベスト・アルバム『Chapter One 〜Complete Collection〜』をリリース。
2008年6月、童子-Tとのコラボレーションによる「もう一度… feat.BENI」が着うたダウンロードナンバー1になった。また、共同名義だが同曲により、オリコン自身最高の6位達成。「ミュージックステーション」にも数年ぶりの出演を果たした。
2008年8月、所属事務所オスカープロモーション、9月、レコードレーベルavex traxとの契約がそれぞれ終了。
2008年11月、ユニバーサルミュージックへ移籍し、名義を本名からBENIへ変更した。
2009年9月18日、自身のブログで上智大学を卒業したことを報告。
2013年11月13日発売のメアリー・J.ブライジのクリスマス・アルバム『A Mary Christmas』(メアリー・クリスマス)の日本盤ボーナス・トラックとして、メアリーとのデュエット曲「星に願いを with BENI」が収録される。(「Wikipedia」より)
歌うたいのバラッド uta utai no ballad
BENI(ベニ、1986年3月30日 - )は、沖縄県出身の女性歌手。デビュー以来、本名の安良城 紅(あらしろ べに)で活動していたが、2008年11月にレコード会社移籍に伴い、ゲスト出演時に使用していた「BENI」に改名。
沖縄県に生まれ、沖縄とアメリカを行き来する幼年期を過ごす。
幼少の頃よりピアノを習う。また、両親が音楽好きだったため、アメリカと日本の様々なジャンルの音楽に触れて育った。学校でもいろいろな形で音楽に触れたが、決して英才教育を受けたわけではない。
小学校6年生のときに神奈川県横須賀市に移住し、市内にあるアメリカン・スクールに通う。
2002年、16歳の時にオスカープロモーションが主催する第8回全日本国民的美少女コンテストに出場。それまで歌手選考主体のオーディションには一切参加したことがなく、たまたま知って初めて参加したコンテストで最終選考まで残り、中島美嘉の『Helpless Rain』を歌った。
2004年6月9日、マキシシングル『Harmony』でavex traxよりソロデビュー。
2004年10月、上智大学国際教養学部(旧比較文化学部)国際教養学科に進学。英語中心の世界で生きてきたため、大学も英語で授業を受けられるところを中心に考えて選んだ。しかし、在学中からシンガーとしてデビューすることが決定していたために学業との両立に苦しみ、その後、1年間留年も経験した。
2004年11月25日、『松本清張ドラマ・黒革の手帖』のエンディングテーマ曲である3rdシングル『Here Alone』を発売。オリコンで自身最高となる初登場14位を記録した。
2005年8月6日、アメリカンフットボールのNFLのプレシーズン・ゲーム、NFL TOKYO 2005 インディアナポリス・コルツ対アトランタ・ファルコンズ戦でイメージ・キャラクターと親善大使に選ばれ、日米の各国歌を斉唱し、ハーフタイム・ショーも行った。
2006年2月22日、サッカーAFCアジアカップ予選・インド戦で君が代を独唱。
2007年7月26日、大阪BIG CATにて、続けて同月29日には東京恵比寿Liquid Roomにて、自身初となる単独ライブを開催。デビューから3年間という長い期間、単独でのライブがなく『どんだけ待ったか。超うれしい』と会場で歓喜の声をあげた。Luna、Here Alone、Give me upなど計19曲をファンの前で熱唱。DJに福富幸宏を迎えた。
2008年3月5日、初のベスト・アルバム『Chapter One 〜Complete Collection〜』をリリース。
2008年6月、童子-Tとのコラボレーションによる「もう一度… feat.BENI」が着うたダウンロードナンバー1になった。また、共同名義だが同曲により、オリコン自身最高の6位達成。「ミュージックステーション」にも数年ぶりの出演を果たした。
2008年8月、所属事務所オスカープロモーション、9月、レコードレーベルavex traxとの契約がそれぞれ終了。
2008年11月、ユニバーサルミュージックへ移籍し、名義を本名からBENIへ変更した。
2009年9月18日、自身のブログで上智大学を卒業したことを報告。
2013年11月13日発売のメアリー・J.ブライジのクリスマス・アルバム『A Mary Christmas』(メアリー・クリスマス)の日本盤ボーナス・トラックとして、メアリーとのデュエット曲「星に願いを with BENI」が収録される。(「Wikipedia」より)