とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 44 1963 TV Concert: 'It's The Beatles' Live

2016-10-05 00:18:15 | 日記
1963 TV Concert: 'It's The Beatles' Live


1962年10月5日(金)にイギリスにてデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」を発売。ミュージック・ウィーク誌(Music Week)のトップ50では1962年12月27日付で最高位17位を記録。1963年1月11日にリリースされた英国での2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」がメロディー・メーカー誌1963年3月2日付けのシングル・トップ50で1位(ミュージック・ウィーク誌は最高位2位を獲得。この曲のヒットにより英国で一躍人気グループになり、4月11日にリリースされた3曲目のシングル「フロム・ミー・トゥ・ユー」ではミュージック・ウィーク誌で1963年5月2日付けから6月19日付けまで7週連続1位となる。このフロム・ミー・トゥ・ユー以降は「シー・ラヴズ・ユー(8月23日発売/1位6週)」、「抱きしめたい(11月29日発売/1位5週)」などとシングルが連続して1位を獲得した。(Wikiより)

 Aは映画館でニュースを見て初めてこのメンバーを知りました。とにかくすさまじい。女の子たちが川に飛び込んで追いかけていました。何が起きたんだ。何だこの狂気の沙汰は。このメンバーの魅力というより、どうしてそこまで騒ぐのかという疑問の方が強くAの心に沁みつきました。このショックは当分の間続きました。


活動時期にビートルズ側が制作した作品は5本ある。この内ブライアン・エプスタインがユナイテッド・アーティスツと契約した劇場用映画が『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(1964年)、『ヘルプ!4人はアイドル』(1965年)、およびエプスタインの死後に制作・公開されたアニメ『イエロー・サブマリン』(1968年)の3本。『マジカル・ミステリー・ツアー』はポール主導で1967年に制作され[125]、同年暮れにBBCで放映された。『レット・イット・ビー』は撮影は1969年に行われたが、公開は翌1970年となった。(Wikiより)

 
 ラジオをつけると彼らの強烈なメロディーが流れてきました。間借りの私は次第に曲の虜になっていきました。今までにないメロディーとハーモニー。「ヘルプ」のような力強い曲、「イエスタデー」のような静かなしみじみとした曲。ああ、彼らは若者としての喜び、哀しみ、怒りを素直に表している。Aは次第に彼らの世界にのめりこんでいきました。
 それからは映画館にも通って彼らの飛び跳ねた姿を見て憧れるようになりました。もう日本の唄は古臭いとも思っていました。あのイギリスの女の子たちが奇声を上げて歓喜する気持ちが素直に理解できるようになりました。
 卒業後、初任校で、同僚と武道館の公演を視聴覚室でこっそり見ました。あのビートルズが日本にもやってきた。すごいことだ。音楽の世界がこれから日本で変わっていく。・・・そんなことを思っていました。



 それからジョン・レノンが死に、メンバーがばらばらになって、人気も萎んでいきました。しかし、ジョン・レノンの「イマジン(Imagine)」(1971年に発表)は不滅の名曲だとAは今でも信じています。

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