とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 65 ベン・ケーシー 

2016-12-19 16:17:59 | 日記
Ben Casey ベン・ケーシー サンプル動画


1961年10月2日から1966年3月21日まで、アメリカABCで1話60分、全153話が放送された。日本でも1962年5月4日[3]から1964年9月25日までTBS系列で放送されて、最高テレビ視聴率が50%を超えて大ヒットした海外ドラマである。オープニングの「♂ ♀ * † ∞」(「男、女、誕生、死亡、そして無限」と吹き替え)という、語りながら黒板にチョークで書く場面は有名である。
日本において第1回放送(1962.5.4)は視聴率16.4%だったが重厚な内容が人気を呼び、やがて第5回放送(1962.6.1)で30.9%の上り、その後視聴率は毎週40%前後で推移、第37回放送(1963.1.11)では、50.6%の最高視聴率(ビデオリサーチ・関東地区調べ)を記録している。この数字は2016年現在でも日本で放映された海外ドラマの視聴率ナンバー1である。

ヴィンセント・エドワーズ


(Wikiより)

このドラマの主役のヴィンセント・エドワーズは、1928年、イタリア移民の夫婦の下に双子で生まれた。
高校時代は水泳選手として活躍し、奨学金をもらってオハイオ州立大学に入学。オリンピックを目指すが、虫垂炎の手術により断念。
アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで演技を学び、ニューヨークの舞台に立つ。
パラマウント映画と契約し、1951年の映画『Mr. Universe』で映画デビュー。3本目に出演した翌1952年の映画『Hiawatha』では初主演を果たす。その後、いくつかの映画やテレビドラマに主演や準主演で出演するが、特に目立った活躍を見せることはなかった。
俳優以外にも歌手として活動して、各地のクラブで歌ったこともあった。そしてやがてビング・クロスビーに見出されて、そのビング・クロスビープロダクションが製作したのが『ベン・ケーシー』であった。
1961年に放送が始まった『ベン・ケーシー』に主演として抜擢されて、このドラマの大ヒットにより、米国だけでなく、日本でも人気スターとなる。また同作においては多くのエピソードで演出も担当している。更にドラマの人気にあやかり、6枚のレコードアルバムを発売するなど歌手としても活動し、ニューヨークやラスベガス、ロサンゼルスで行なったショーは完売となった。
その後もテレビドラマや映画「勝利者」「コマンド戦略 」に出演し、『宇宙空母ギャラクティカ』(1978年、1980年)などのテレビドラマの演出も担当するが、ベン・ケーシーのイメージが強すぎたためか、役柄が限られて特に目立った活躍を見せることはなかった。
1996年、膵臓癌により死去。(以上Wikiより)

AはNHKの「ドクターG」をよく見ています。身体的にやや弱い面があるので、納得しながら観ているのです。
この「ベン・ケーシー」は若いころ胸をワクワクさせながら観ていました。とにかくカッコイイ。子どもの頃医者なることに憧れていたことも原因かもしれません。毎回楽しみに見ていました。ヴィンセント・エドワーズは上記のように真逆の戦争映画にも出ていて、Aは少し違和感を感じました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。