私と創作

フーコー「短編小説」傑作選・月華の歌君
次の文章は私のHPに掲載しているものに多少加筆したものです。
私は、学生時代に文藝研究会のサークル活動に参加し、初めは俳句を作っていました。昭和37年の頃です。というと歳がばればれですね。島根の安来市から発行されている『地帯』というかっちりした同人誌の主催者福島小蕾氏に添削指導も受けていました。いいものになればその雑誌に載せていただきました。
大学の仲間と文学活動をしているうちに、先輩から、「君は、ずっと俳句を続けるの? 小説書いてみない?」と誘われました。何? 小説? 私は随分とまどいました。仲間のほとんどが小説派だったのです。小説を書かないと肩身が狭いという状況でした。
そこで、一念発起して、自伝小説「紅いもの」という作品を書きました。これが、いい評価を受けて、新聞部が発行している大学新聞で取り上げられました。このことが私を刺激し、方向を決定付けてしまいました。それから、どんどん、……いや、道は険しかったのですが……、書き進め、卒業してからも書き続けました。いろいろな文学賞にも何度も応募しました。
しかし、現実はそう甘くないです。賞と名の付くものは、島根県の文藝コンクールだけで、中央の賞は惜しいところで逸していました。予選で最高レベルが太宰治賞でした。1次予選通過から出発し、年々レベルアップし、「年の瀬に」という120枚くらいの私小説で3次予選を通過しました。第12回太宰治賞でした。通過したのは、11作。次の第4次選考で、最終候補3作に絞られました。惜しくも私の作品は最終候補を逸しました。
その悔しさを忘れることなく、書きつづけましたが、筑摩書房の経営が怪しくなり、太宰賞を設けている『文藝展望』が廃刊となり、賞も無くなりました。
その間、地元出雲市で、『出雲文学』を仲間と創刊し、活動を続けていましたが、発起人の私が不調となり、休刊に追い込んでしまいました。同人諸氏に申し訳ないと思っています。
で、その後、休筆の時期が長く続きました。しかし、かつての同人Y氏とともにウエブ同人誌『座礁』を立ち上げました。そして、現在に至っています。
そのページに発表した「かもしれない」という作品を、新風舎主催の「フーコー短編小説コンテスト」に応募しました。結果は、またまた落選!! しかし、その後、応募作品の数を知って私は納得しましたが、残念無念というショックは大きかったのです。もう、賞は諦めて、こつこつと地道に書くしかないと思っていました。ところへ、新風舎からお誘いを受け、『フーコー短編小説傑作集17・月華の歌君』に載せていただくことになりました。
めでたし、めでたし。
この作品は、ある男が、子どものとき、ある少女に恋をして、二人はデートを重ねるうち、ふとしたきっかけで女性の物凄い一面を見てしまいます。そのことが元になり、女性不信感が募り、故郷を離れます。それから数十年経って、その女性から長い手紙を受け取ります。交通事故で、もう余命僅かということが書いてあり、「……お詫びします」とも書いてありました。
男は、閉所恐怖症で、電車は大の苦手ですが、意を決して故郷に旅立ちます。そして、そのかつてのデートの現場に佇んで、昔を思い出します。そして、入院先を探し当てて、その病院に行き、面会を申し込みます。ところが……。
この続きは、書きません。気を持たせて申し訳ありません。興味を持たれたお方は、出来ましたら購入いただきたいと存じます。その後新風舎が倒産し、この本の販売は現在Amazonのサイトで行っています。また、その後の太宰治賞ですが、幸い筑摩書房と三鷹市の共催で、復活しました。再び挑戦しようという気持ちだけは失っていません。今に、・・・。

フーコー「短編小説」傑作選・月華の歌君
次の文章は私のHPに掲載しているものに多少加筆したものです。
私は、学生時代に文藝研究会のサークル活動に参加し、初めは俳句を作っていました。昭和37年の頃です。というと歳がばればれですね。島根の安来市から発行されている『地帯』というかっちりした同人誌の主催者福島小蕾氏に添削指導も受けていました。いいものになればその雑誌に載せていただきました。
大学の仲間と文学活動をしているうちに、先輩から、「君は、ずっと俳句を続けるの? 小説書いてみない?」と誘われました。何? 小説? 私は随分とまどいました。仲間のほとんどが小説派だったのです。小説を書かないと肩身が狭いという状況でした。
そこで、一念発起して、自伝小説「紅いもの」という作品を書きました。これが、いい評価を受けて、新聞部が発行している大学新聞で取り上げられました。このことが私を刺激し、方向を決定付けてしまいました。それから、どんどん、……いや、道は険しかったのですが……、書き進め、卒業してからも書き続けました。いろいろな文学賞にも何度も応募しました。
しかし、現実はそう甘くないです。賞と名の付くものは、島根県の文藝コンクールだけで、中央の賞は惜しいところで逸していました。予選で最高レベルが太宰治賞でした。1次予選通過から出発し、年々レベルアップし、「年の瀬に」という120枚くらいの私小説で3次予選を通過しました。第12回太宰治賞でした。通過したのは、11作。次の第4次選考で、最終候補3作に絞られました。惜しくも私の作品は最終候補を逸しました。
その悔しさを忘れることなく、書きつづけましたが、筑摩書房の経営が怪しくなり、太宰賞を設けている『文藝展望』が廃刊となり、賞も無くなりました。
その間、地元出雲市で、『出雲文学』を仲間と創刊し、活動を続けていましたが、発起人の私が不調となり、休刊に追い込んでしまいました。同人諸氏に申し訳ないと思っています。
で、その後、休筆の時期が長く続きました。しかし、かつての同人Y氏とともにウエブ同人誌『座礁』を立ち上げました。そして、現在に至っています。
そのページに発表した「かもしれない」という作品を、新風舎主催の「フーコー短編小説コンテスト」に応募しました。結果は、またまた落選!! しかし、その後、応募作品の数を知って私は納得しましたが、残念無念というショックは大きかったのです。もう、賞は諦めて、こつこつと地道に書くしかないと思っていました。ところへ、新風舎からお誘いを受け、『フーコー短編小説傑作集17・月華の歌君』に載せていただくことになりました。
めでたし、めでたし。
この作品は、ある男が、子どものとき、ある少女に恋をして、二人はデートを重ねるうち、ふとしたきっかけで女性の物凄い一面を見てしまいます。そのことが元になり、女性不信感が募り、故郷を離れます。それから数十年経って、その女性から長い手紙を受け取ります。交通事故で、もう余命僅かということが書いてあり、「……お詫びします」とも書いてありました。
男は、閉所恐怖症で、電車は大の苦手ですが、意を決して故郷に旅立ちます。そして、そのかつてのデートの現場に佇んで、昔を思い出します。そして、入院先を探し当てて、その病院に行き、面会を申し込みます。ところが……。
この続きは、書きません。気を持たせて申し訳ありません。興味を持たれたお方は、出来ましたら購入いただきたいと存じます。その後新風舎が倒産し、この本の販売は現在Amazonのサイトで行っています。また、その後の太宰治賞ですが、幸い筑摩書房と三鷹市の共催で、復活しました。再び挑戦しようという気持ちだけは失っていません。今に、・・・。