80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

もっと余裕を持って、仕事に戻るようにしろよ。

2018年11月28日 19時11分07秒 | 考える
仕事の休憩時間、何か撮ろうとデジカメを持って表に出た。
(いきなり、どういうことなんだ・・・?)

変てこな虫さんを見つけ、デジカメを構える。
どういうわけか、そこで手が滑って、デジカメを落とした。
デジカメは、いきなりバラバラになって、あたりに飛び散る。
慌てて拾おうとするが、細かい部品が多すぎて手に負えない。

諦めて戻ってくると、社長が待っていて、一言。
「もっと余裕を持って、仕事に戻るようにしろよ。」
・・・反省

ここで目が覚める。()
夢だった・・・。

昔、ずいぶんお世話になった前社社長の言葉。
この夢は、お亡くなりになった社長からの戒めなのかも知れない。

ふと思う。

2018年11月16日 18時25分14秒 | 考える
パソコンの画面を覗いていて、不意に気がついた。
画面の端に貧相な顔が映り込んでいる。

独り背を丸くして、うつむき加減にパソコンを覗き込んでいる。
どんなに、ひいき目に見ても、格好がいいとは言えない。

でも、まぁ、いずれは、ちったぁ格好が付くようにはなるだろう。
幼児でも、よちよち歩きから、いずれは、ちゃんと歩けるようになる。
そんなもんかもしれない・・・などと。

パイプに葉を詰め込んで火を付ける。
一度は火が点くが、すぐに消えてしまう。
これは火の付け方の問題なのか?
それとも吸い方に問題があるのか?
どうにもよく分からない。{}

まぁ、いずれにしても、好きでやっていて、今さら格好も何もない
ものだが、気がつくと、何やら気になってくるものらしい。

気休めにちょっぴり格好をつけるようにしてみよう。
そんな事を考えた。

まぁ、確かにパソコン画面に映り込んでいる私は、どう見ても書斎で
パイプを燻らすシャーロック・ホームズには見えない。
 

残り火 (2)

2018年11月15日 17時45分49秒 | 考える
生ける人 ついには死ぬるものにあれば 今在る間は楽しくをあらな
大伴旅人 67歳没


自分一人で石を持ち上げる気がなければ、二人でも石は持ち上がらない。
                         ゲーテ


前行く者よ 私もと 空しく思う 朝の街角
今日もまた、何かを求め、風任せ、行ったり来たりと駆け巡る
寒空に、消え入る残り火掻き立てて、手を温めつつ、ほっと息つく

 (かなり強引な・・・!!)

街には、人があふれている。
しかし、そのほとんどが、私とは無関係に行動している。
ここに一人居て、私に何が出来るのか?

人と関わる、また人の役に立つという事は、本当に難しい事だ。
自分なりに他人のためにと思っても、それが本当に相手の為になって
いるのかと考えてみると、常に首を傾げざるを得ない。

人は自分の思うように考え、自分を作り替えていく。
その結果、良くも悪しくも、自らの考えたようになっていく。
・・・で、私は?

積極的なアプローチ
・・・母さんが、やりたかった事は何だったのだろうか?
(・・・などと、今さら考えても、どうなるものでもないのだが・・・。)
また、母さんが私に望んだ事は、一体何だったのだろうか?


他人との交流には、気分、気持ちの変化のタイミング・・・、
さらには、声かけのタイミングが重要だ。

本人の気持ち、気分、意志に添わねば、何も始まらない。
気持ち、気分、意志か・・・、なかなか思うようには、いってくれない。
何年か前までは、気持ちだけは充実していた・・・と、思うのだが。

これが、私でなかったら、どうするだろうか?
今さら、こんな私に、しかもこの歳になって、何が出来るのか?
 ・・・考えてみると、ひたすら、無力感ばかりがつのってくる。

花屋の店先に大きな胡蝶蘭。
綺麗だ・・・!!
胡蝶蘭の花言葉・・・幸せがやってくる。 (誰の所に・・・?)


残り火 (1)

2018年11月10日 17時04分40秒 | 考える
知る事が難しいのではない。
知り得た事にいかに対処していくか、それが難しいのだ。
司馬遷 「史記列伝(1) 老子・韓非列伝」


青春の過ちを、老年に持ち込んではいけない。
老年には老年の過ちがあるのだから。
エッカーマン 「ゲーテとの対話」(上)


  ↑ ごもっともだ・・・!!

情報が多すぎる。
情報が多い事、・・・それ自体、悪い事ではないが、
受け取り側 (私) の処理能力が低すぎるという事・・・
と言うか、私の処理能力を超えているという事だ。
言い換えれば、応用能力の欠如。

応用していくためには、それを利用しやすい形態、分類処理が
欠かせない。

辛い+(亠 <なべぶた>) → 幸せ
辛さにフタをすれば、幸せになる・・・という事か。

今さら人目を気にして何になるというのか?
生き方にこだわって何になるのか?
誰も私の事など見向きもしない。

逆(本音)を言えば、人目が、やたら気になる。
誰も私を見ていない。
今からでもいい、誰か、私を見て欲しい。
・・・そう思う。
これからでもいい、何かにこだわって生きてみたい。

明日を生きていくために、今日を積み立てていく。
そう、明日を生きていくためには、それなりの元手が必要なのだ。

道行く人は、こんなに多いのに、私は、何の目的もない日々を重ねている。
みんなそれぞれに自分の目的を持って行動しているのだろうな。
私は行く当てもなくベンチに腰掛けているばかり。

どこか遠くに行きたいなぁ・・・!!


旅に病んで夢は枯れ野を駆け巡る  松尾芭蕉の辞世の句