80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

もう一花を

2018年05月26日 08時45分45秒 | 考える
ある朝、ふと思いました。

お前には自分というものがない。
ひたすら、他人の指示に従って、あっちに行き、こっちを向いて、なおも
自信がないままに、いつも上目遣いに人目を伺う。

「ええかっこしぃ・・・。」ということなのでしょうか。

本来の(?)自分らしく生きてみたい。
本来の自分自身とは、もともと自身に備わっているものだから、その気になって、
リミッターを外しさえすればいいだけの話です。

さらに人間関係の中にあって、自分の意思表示が欠けていては、自分を生かす
ことなど、到底出来やしません。
自分でも正しい評価が出来ない状況では、相手としてもどうにもならないでしょう。

弟を働かせ、自分は何をしているのか?
常に、そういう思い込み、弟に対する負い目があります。

もっとも、よくよく考えてみれば、時系列は異なっているが、現在の弟の作業時間に
比較すれば、自分は彼の倍以上は働いてきたというのも、嘘にはならないでしょう。
引け目なんぞ感じる必要などないと思うのですが。
とは言え、現実問題として、そんな風に達観するのも、これまた、なかなか難しい話です。

そこにあるものには、良かれ悪しかれ、何かしら意味があるのです。
無論、あなた自身にも・・・。

他人があなたを無視しようとするわけではない。
結局、私にそれだけの存在感、魅力、あるいは迫力がない。
ただ、それだけのことなんです。
が、裏を返せば、見かけだけにせよ、悪いところが見えない。
取りあえず、そこに感謝すべきでしょう。

とは言え、このままで、ただ一度の人生を終わってしまうというのは、何とも情けない。
もう一度、というか、・・・実際には初めてと言った方がいいのですが、
・・・なんでもいい、花を咲かせてから終わりたい。
そう思う今日この頃です。


明るい文章が書きたい。

2018年05月15日 05時17分37秒 | 考える
明るい文章を書く。
夢と希望のある文章を書いていきたいと思う。

だってそうじゃあないか。
今のように暗い文章ばかり綴っていたら、この先、暗い人生しか
待っていない。
文章は行動に結びつく。 ・・・と、思う。

要は、気持ちの問題なんだろう。
人は常に、自分の心の持ち方に左右される。
てな事を、今さら、したり顔して言うべき事でもないだろう。

が、この頃、書く文章、投稿する文章が、どうも暗く重たい。
本人はそうでもない(?)と思っていたのだが、読み返してみると、
やはりそういう事なんだと感じてしまう。

人生とは、なかなか思い通りには進んでいってくれないようだ。

人は、自分の思い通りに行動する。
その結果が悪かろうが、暗かろうが・・・。
さらには、何だかんだと、後から理屈をつけてみても、
実際は、自分自身の考えのもと、最良の行動をとったはずだ。

命令された? 押しつけられた? ・・・いやいやそうじゃない。
どう感じようと、結果として行動したのは本人以外の何者でもない。

嫌ならそう言えばいい。
やらなければいい。
・・・それだけの話だ。

何をか言わんや。
よくよく考えてみれば、子供にも分かる理屈だ。

とは言え、「明るい文章」を書くというのもなかなか難しい仕事だ。
どうしたらいいのか?
そこが、今、一番の問題だ。

ともかく、取りあえず、まずは「意思表示」から・・・ということで。

夢とは・・・

2018年05月13日 06時25分06秒 | 考える
夢とは・・・、どう考えようと夢のまた夢でしかない。
所詮はそういう結末なのだ。

夢を求めるな。
追いかけるな。
幸福など探すな。


お前さんには手が届かないものだ。
70の爺さんにはとても似合わない。
50年遅い。

何を考えているのか・・・私は?
幸福とは求め求めて、探し求めてやっと見つけ出すというものなのか?

青い鳥・・・、
それとも、ふと目を移すと、そこにあるものなのか?
この所、そんな事ばかり考えている。

5月※日(火) 曇り空

弟が仕事に出掛けるのを見送りながら、布団の中から
「行ってらっしゃい。」と声をかける。 ()
ただ、それだけ。
あまり意味があるとは思えないが、今の私に出来ることはそれだけ。

しばらくして、もそもそと起き上がって湯を沸かす。
沸いた湯で、ウオッカのお湯割りを飲む。

それが私の一日の始まり・・・。
今日は何をしようか? ()

人はいつまでも他人から必要とされるわけではない。

こちらがいくら相手を必要としても、相手がこちらを必要としなければ
契約は成立しない。
相手が必要としない契約を、無理矢理成立させようというのは、ほとんど
無駄な努力となる。

常に、ギブアンドテイク

夢を見るな、現実を見よ。
過去を振り返っても、どうしようもない。
せいぜいが、過去の位置づけということになるだけだ。
見方が変わるくらいが関の山。

もしも変えようとするなら、現在、そして未来でしかない。

いつまで経っても、何をやっても、ぬぐいきれぬ劣等感。
不安感、そして自身への不信感。

今後、生きていく、生き続ける意味があるだろうか?

否、いずれにせよ、死ぬまでは生き続けねばならないのだ。

風来居士、・・・やがて72歳。
風来居士、・・・それにしても老いたものだ。


五月の空に

2018年05月11日 20時03分49秒 | 考える
時は流れゆく。

思えば私は常に形ばかりを追いかけてきた。
何もせずに結果が出ないと愚痴っている。

そう、問題は実質なのだ。
何もせずに、実質も何もない。
勝手に結果が出るわけもない。
悪い結果も出ない代わりに、良い結果も出るはずもない。

自分自身を知れ!!
 ・・・何度書いたことか?
鏡の中に、日々、独り老いていく私を見る。
何か、また一段と年寄りじみて・・・。

同世代の人たちは、一体どう考えているのか?
自分の過去に納得しているのだろうか?
自分の仕事はやり終えたと満足しているのだろうか・・・?

他人と関わり合いたくて、その方法が分からずに、
他人から無視されて (・・・と思い込んで) 生きていく。
ただ独りで生きていくことに、何の意味、面白味があるのか?

酒を飲んで、タバコをふかして、何もせずに愚痴るばかり・・・。
分かってはいるんだ・・・!!
分かっているつもりなんだ。

こんな時間に意味なんぞない。
変なところに気を遣い、変なところで時間をケチっている。
他人ばかり気にしてみても、今さら何の意味もない。
いくらケチってみたところで、時間が貯まってくれるわけもない。

いつも思う。
私は誰の為に生きているのか?
誰も私になんぞ、何の期待もしていない。
結局、私は、独り自分自身の為にだけ生きているのだ。

この所、仕事(?)中に、仲間から置き去りにされている夢ばかり見る。
夢中で何やらやっていて、ふと気が付くと、まわりにまるで人気がない。
いつの間にか昼になっていたらしい。
多分、誰か声をかけてくれたのかも知れないが、私が気が付かなかったの
だろう。
そんな風に自分を納得させる。

目覚めて想う。
いつでも、こちらの欲しいものが店頭に並んでいるわけではない。
無駄買いは論外だが、先を見越して買い物をしておくのも、生きていく知恵、
必要なことなんじゃあないだろうか?


出逢い

2018年05月06日 08時58分45秒 | 考える
50年前、他人から貰った「使い捨てライター」が出てきた。
驚いたことに、今もなお、ちゃんと火が着く。

ふと思う。
必要な時にすぐに火が着く。
私もこんな風に生きていきたいものだ。

・・・、取り立てて何の意味もないが、強いて言うなら、
飲まぬ酒は酒では無い。
で、咳止めという名目で、取って置きの泡盛を飲む。

泡盛を飲みつつ思う。
人は、誰もが最後は幸せになる権利、さらには必要がある。
幸せを感じ取る、私はそれまで生きていられるだろうか?

どうして私は成功できないのか?
まず、成功の形を頭に描き出すことが必要なのかも知れない。
それが、今ひとつ、はっきりしていない。

自分にとって、どんな形が成功と呼べるのか?
それがはっきりしていないと、いくら成功を手にしても実感
できないということなのかもしれない。


たった一度の瞬間的な出逢いが、その人の生涯をくつがえす
こともある。 
「奇縁まんだら・終り」 瀬戸内寂聴
   ・・・日経新聞出版社 (帯より)


そう・・・、その一瞬の出逢いが欲しい。

不可能を可能と変えていく出逢い・・・。
現在、出逢いを不可能にしている要素は何か?

不可能要素を、一つずつ取り除いていくことで、出逢いは、
不可能を可能にしていくはずだ。