80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

ただ生きる。

2020年08月29日 09時40分11秒 | 考える
体調不良・・・それはそれ、総て、そのまま受け入れて、生きていくだけ。
死がやってきたら、死ねば良い。
今さら、ジタバタしたところで、どうなるものでなかろう。
生きている間は、どうなろうと生き続ける。


フォアグラを見かけたので、買ってきた。
ほんの小さな奴だ。
一度、食べてみたいと思っていた。

ファグラ・・・強制肥育したガチョウの肥大した肝臓。トリュフ・キャビアとともに世界三珍味の一・・・だそうだ。

まぁ、肝だろうが、何だろうが、うまけりゃ、うまい。 まずけりゃ、まずい。
そういう事だ。 ・・・で、珍味とは、どんな味だろうか? 


ただ生きる。
理屈をこねている必要などない。
そんな時間はもう残っていないような気がする。 

何か、総てが空しく感じられる。
私の、過去の意志、意欲はどこへ行ってしまったのだろうか?


8月29日(土) 町田、晴れ
気が変わった。
人は死ぬまでは生きねばならぬ。
だとしたら、残りの時間、短くとも太く生きていくべきだ。 
今さら、他人に遠慮して、どうなるというのだ。

これまで、ずっと遠慮がちに生きてきた・・・と、思う。
  (本当にそうだろうか・・・??)
何か、好き勝手、勝手気ままに、生きてきたような気もする。

日常生活に、あぁしろ、こぅしろ、という人がいなかったからかも知れない。
逆に言えば、誰もが、小児麻痺を経験した私に、遠慮してきたのかも知れない。

とは言え、私も社会に生きている以上、意識するか、しないかは、ともかく、他人が、自分をどう思っているかを避けて通るわけにはいかない。


ウィスキーとピースが、どんどん減っていく。
体に良いわけがないのだが・・・。
 

生きていくことを考える。

2020年08月25日 22時43分52秒 | 考える
8月19日 晴れ
歳を取って、顔かたちが変わっていくのは自然の成り行きだ。
成人式の頃、あの頃は、私も若かった。
あれから50数年、私も70を越えた。
それにしても老いたものだ。

この50年間、私は何をやり、一体、何を積み重ねてきたのだろう?
人生に変わらぬものは何もない。

私は、今、ぼぉっとして、生きている。
このまま、生き続けていくのかと思うと、何故かやりきれない感じがする。
では、どうすれば良いのか?
この所、そんな事を考えて、いつも堂々めぐり・・・。
自分が全く信じられない。

ふと思う。
私に足りないのは、相談相手、パートナーかも知れない。
出来れば、女性であれば・・・。
愛し、愛される、互いに話し合う。

そうすることが、出来れば・・・。

今、私は自分が信じられない。
久し振りに、DVDで 「モロッコ」 を観た。
「・・・そして、サヨナラ、彼と行きます。」
女が決めた時、男は、そう、・・・ただ見送ることしか出来ないのだ。

8月25日(火) 晴れ
5時、目覚める。
タバコを2本、ウイスキー1杯。

今日の始まり。
今日をどう生きるか・・・?
何も思いつかない。

弟君 6時 出勤。

出かけの倦怠感。
帰りの充実感。

人にはそれぞれの道がある。
「今日こそ、何かやらねばならない。」
「だが、やることが思いつかない。」 
で、「思いつくままに行動する。」 ・・・それもまた1つの選択肢(?)か。

女は世界の半分
・・・女を分らないということは、世界の半分以上が分からないということだ。
私には何も分からない。


欲しいのは、体力。健康体だ。

2020年08月23日 16時19分04秒 | 考える
欲しいのは、体力。健康体だ。
生き続けていくこと、人生はきれい事では済まない。
今、何をすべきか?

このところ、ずーっと、ぼぉ~っとしている。

新しい何かを創り上げていくことは出来ないものだろうか?
いつも、同じ事を考え、結果、何も思いつかずに堂々めぐり。
自分の能力に、絶望と隣り合わせで生きている。

金は母が残してくれた。
そして、年金・・・。
取りあえず、私には充分過ぎる。

今の私に必要なのは、やりがい、そして生きがいだ。

贅沢を言うなと、他人は言う。
何をするにも、まずは金が必要なのだ・・・と。

だが、金は使ってこその金なのだ。
タバコ1箱買うのに1万円は必要ない。
1万円のライター買う必要もない。
使わない、使い道の分からない金は、いくらあっても紙切れと同じだ。


人は、分相応と、昔の人は言った。
多分、それに一理あるだろう。

こんな事を言っている私は、やはり贅沢すぎるのだろうか?

今日の一言

2020年08月18日 18時45分01秒 | 考える
自立、自作、自演の人生。
それを目標に生きてきたつもりだ。
ずっとそう思い続けて生きてきた。

だが、よく考えてみると、実際には、個人的にも、集団にあっても、私は、常に保護され、支援されて生き続けてこれたのだと思う。
おかげで何の不自由もなく、今こうして、ウィスキーグラスを片手に文章を書いている。 

今さら、今後の可能性などと考えてみても、何の役に立つのか。

(ウィスキー1杯・・・ひと眠り)

私、当分76歳・・・。(多分)
で、今、やらねばならぬ事・・・。
それは、人それぞれ。

メールに惑わされず、現状を確認、支配する。

第一、いくらこだわろうとも、私には時間が限られている。 
正直、先のない人生。


余生がどれだけあるかは、私には分からないが、取りあえず、酒とタバコの人生終活を。
 

自分の人生なんて、放っておけばいいんでないの。

2020年08月17日 19時25分30秒 | 考える
自分の人生なんて、放っておけばいいんでないの。
ちっほけな人間・・・つまり私だけのことだが、それが、今さら、どうのこうの言ったとて、結局、なるようにしかならない。
私の思い通りにはいきはしない。

酒とタバコに明け暮れる日々・・・。

転んだら、一度は、周囲をよく見回してから、起き上がる。

ひょっとして、そこから、いつもと違う光景が見えるかも知れない。
もちろん、かも知れない・・・と言うことでしかないのだけれど。

ふと思った。
どうして「生きる」という言葉にこだわるのか?
つまるところは、ただ、ともかく「生きていけばいい」のではないか?
多分、私は「生きていない」と感じているから、そう思うのかも知れない。

「必要なのは、行動と、そしてそれを実現する実力だ。」
「働くこと、それはやりがい、生きがいだ。」

これは、そう、意地の張り合いということだろうか。
金ばかりあっても、それをうまく使いこなしてくれるパートナーのいない人生ってどうなのだろうか?

まぁ、それもまた、一つの人生と言えないこともないのだが。

結局、その程度の人生なのだ。
あきらめた・・・と言うか、あきらめられた人生という事なのだろう。
意地を張って言うなら、まぁこれでスッキリしたと感じだ。

後は、この腰を何とかせねばならない。
一泊旅行が待っている。

それはともかく、近頃の暑さ、脳みそがとろけてしまいそうだ。
もっとも、半分はすでにとろけているのだが・・・。
やはり冷却が必要だろう。

この道を 行く他ないか 独り旅

「随分と辛い経験をなさってきたようですね。」
ある人からそんなことを言われた。

辛い経験・・・?
私はそんな事を言った覚えはない。
多分・・・。

むしろ、私は周囲の人々に助けられたという感じの方が、ずっと強い。
優しい人ばかりに囲まれて育った。
当たり前のように私は受け入れられ、育ってきた。


多分、今後(があればだが)も、のんびり、このままあたふたと、生き続けていくような気がしている。