80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

すれ違い

2019年10月31日 17時28分56秒 | 考える
もっと他人と触れ合いたい。
私の生まれてきた意味とは何だろうか?

「人は人との関係で、初めて人間となる。」
誰かがそんなことを言っていたような気がする。

とにもかくにも、今、私はここにいる。
ただそれだけは、確か・・・だと思いたい。

私、1946年生まれ、・・・多分、73歳。
・・・実際の所、私は自分の生まれた年を知らない。
だが、2,3年前、私は70歳になったような記憶がある。

考えてみると、それが本当かどうか、私には判らない。
生まれたての私には、自分の生まれた年を確定することが出来なかった。
そう、人生は、最初から判らぬ事で一杯だ。

スムーズに人生の流れに乗るには・・・?
この頃、そんな事ばかり考えている。
今さら、そんなことを言っても、この歳では遅すぎた感もあるのだが。

人は、夢を失ってから気づく。
あの時、何かやっていたなら・・・「今頃は」・・・と。

ベランダで鳩が2羽、鳴き続けている。
番い(つがい)なのか?
羨ましいかぎりだ。

私は、ただ一人。
・・・未だに迷い続けている。

一体、何を信じていけばいいのか?
「すでに錆び付いた夢」でも、手放すことが出来ないでいる。

何を求め、どう行動していけばいいのか?
何とは何か・・・?
今さら「金」もうけは苦手(面倒=無理)だ。
では・・・?

ふりみ‐ふらずみ【降りみ降らずみ】
〘連語〙降ったり降らなかったり。
「雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき」 国木田独歩・武蔵野より
 

生きていく・・・何かを為す・・・自分を信じる・・・、曇り空のようだ。
私はこのまま生き続けて良いのか?

力量がないとは、本当に悲しいものだ。
この頃、そんな事ばかり考えるようになった。

また思う。
いつも隣に誰かいないというのは、本当に寂しい、不安なことだ。
きっと母もそういう思いを持ち続けてきたに違いない。


私はそこに気づくことが出来なかった。
親不孝者だったと言われても仕方がない。


寝たきりの母を表に誘い出す。
取りあえず短時間でも・・・。


だが、それもこれも今ではかなわない。
総てが過去のことになってしまった。

他人にしてもらいたい事を、まずは自分から実践して人々に提供していく。
他人の望む事を提供していく。

愛はお金では買えない。
が、愛を継続していくには、それなりの金が必要になってくるのだ。

母が亡くなって、すでに3年以上たった。
今となっては、何を言っても繰り言でしかない。
今さら、どうしようもない事だ。
私のやることは、いつもこんな具合でしかない。


寒い!!

取りあえず、何か一言

2019年10月17日 15時42分48秒 | 考える
2019年10月17日(木)

本を整理する。
売ってもいくらにもなりはしない。
ならば施設に寄付して、そこで売ってもらった方が、気持ちがいいと思う。
部屋も片付くし・・・・。

「ローマが偉大だったからローマ人はローマを愛したのではない。 ローマ人が熱烈にローマを愛したからローマは偉大になったのだ。」 G.K.チェスタトン

「私が偉大だったから、私は私を憎んだのではない。 私がずっと武将、否、無精だったから、私は未だに現状に涙しているのだ。」 風来居士

人の小過を責めず、人の陰私を発(あば)かず、人の旧悪を念(おも)わず。 三者、以て徳を養うべく、また以て害に遠ざかるべし。 
人の小さな過失を責めたりせず、人のかくしごとをあばきたてたりせず、人の過去の悪事をいつまでも覚えていたりしない。 この三つのことを行うことで、自分の人格を高めることができるし、人からうらみを買うこともない。
(知識ゼロからの「ビジネス菜根譚」より) 経営コンサルタント前田信弘著・古谷三敏画「幻冬舎」


「自分の過失を責めもせず、自分の隠し事は、無論あばきたてたりはせず、さらに自分の過去の悪事なぞ、いつまでも覚えていない。 この三つで、自分の人格を高めることなぞできるはずもないが、人から恨まれているかどうかは神のみぞ知る。」 風来居士


この所、ウィスキーばかり飲んでいる。
で、久し振りに、買い置きの葉巻を吸ってみた。
思いのほか、うまかった。
またまた、大量に吸い出し始めそうな予感がする・・・。 (ちょっぴり、不安だ!)

私は私、他人(ひと)は他人(ひと)。
で、私は何を求める(?)・・・って、今さら何を。

夢の野を 独り彷徨う 今日もまた

ウヰスキーのストレート、体に合わない、馴染まない。
と言いつつ、「水割りなら、良かんべぃ・・・。」と飲み続けている。

景気落ち込む・・・か。
自慢にゃならないが、私はこの所、ずうっと落ち込んでいる。
う~ん、「先見性があった」とでも言っておこうか。

時は否応もなく、過ぎ去っていく。(その3)

2019年10月16日 06時40分10秒 | 考える
生まれてきてしまったものは、どうしようもない。
私には、このまま、生き続けていくだけしか能がない。

20151027日(火)
風強し。
青い空に、冬の風。

「皐月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」
何とも時季外れの和歌を思い出した。
多分、百人一首に入っているはずだ。

街に出たついでに、職安でパソコン検索。
良いのが見つかったと喜んだら、60歳まで・・・。
無論、良いのがあったとて、採用されるわけでもないが、それ以前の段階で、不採用決定というのは、さすがに落ち込む。

「年齢不詳とは言っても、70歳ではネェ~・・・。 いい加減、諦めたらどうよ。」
担当者の背中から、そんな声が聞こえてくる気がする。

70歳は、想定外・・・か。
・・・ム~~ッ !!
(それにしても、私、何ともあきらめの悪い爺さんである。)


現在、201910月・・・、とうとう、3ヶ月前(724日)に75歳になった !!
さすがにこの頃は職安通いはやめている。

だからというわけでもないが、最近(?)、酒を飲み始めた。
そのせいか、ずっと、頭がボーッとしている。
これでは、仕事は出来ない。

腰痛も、すっかり体に染みついてしまったらしい。

信念・・・この世に、絶対的に信じられる、信ずべきものなど存在するのだろうか?
この所、ず~~っと迷い、悩んでいる。
残り少ない人生を、何の信念もなく、ただ独り、何となく生きていくなぞ考えたくもない。

「誰かを幸せにするために」 伊集院 静
バカ犬はただイビキの音を上げ、しあわせそうに部屋の隅で夢を見ている。


私には誰もいない。
語り合う老いた猫すらも・・・。

時は否応もなく、過ぎ去っていく。 (その2)

2019年10月12日 10時33分43秒 | 考える
10月05日(土) 晴れ
???・・・取りあえず・・・
★時は否応もなく、過ぎ去っていく。(その1) → その続きが、何故か、入力不可!!


他人様からは、ああしろこうしろと言われ続け、自分でも、ああせねばこうせねばと思う。

この所、何だか体調不良が続くのは、多分、気持ちのせいだろう。

取ってつけたようだが、今、この間にも、誰にも、何も言わず、時は過ぎている。
私は黙って、それをやり過ごすばかり。
私は、どうにも、他人との関わりが苦手だ。
相手が自分の弟であってさえも・・・。

私の過去=他ならぬ私自身の人生。

時とは、良くも悪くも、「今」と「過去」との積み重ねだ。
2度とは戻らぬ過去の上に積み重ねられる時間。
それは再度体験不可能な時間だろう。

想定外の環境の変化。
幼き頃の夢破れて、現状あり。

鏡に映る灰髪・・・。
いやはや、私も歳を取ったものだ !!

裏の仕事でも、何でも良い。
満足感、充実感が欲しいと思う。
しかし、この所、どうも考えが行動に結びついていかない。

私は、一体、何を求めて生きているのか?

私は私、君は君。
生き方、考え方の違いは、人それぞれ、やむを得ないのだろう。
どれだけ長く一緒にいようと、どれだけ親密になろうと、他人は他人。
二人の人間の、考えが総て重なり合うことなどは、あり得ない。

本当のところ、他人が何を考えているのかなんぞ、自ら話してくれるまでは判りはしない。
さらに言えば、その話すら、実際にはほんの一部でしかないだろうし、さらにはそれが真実である保証など、どこにもない。

酒は飲まれなければ、本は読まれなければ、何の意味も無い。
人は動かなければ、何も成し遂げられない。

私は君ではない。
私には君の考えが判らない。
お互いの目的がはっきりしていれば、張り合いも出てくるのだろうが。

「学び」を絞る。
人間、同時にいくつかの事をやるのは無理だ。
この手を握ってくれる相手が欲しいと思う。

読んでみたいと思わせる出だし、そして繋がり。

事故で記憶を失う。 ・・・っても、もともと記憶なぞ私にはあってないも同然。
時は否応もなく過ぎ去っていく。

自分を味方につける。
自分の価値を見つけ、自分の能力を信じる。

自身への提言。
「自己満足至上主義」
が、他人との交流が、自分の生き方に、しっかりと結びついている。

いやはや、世の中、なかなか思ったように進まない。
それが人生というものなのかも知れない。

死ぬまでは

2019年10月07日 07時05分17秒 | 考える
もう、いつだったかは覚えていないが、以前、一度だけ、二十歳になった記憶がある。()

昔、誰かに言われた。
人に頼られるならともかく、人を頼るようになってはいかんよ。
自分の行動は自分で決め、その結果は自分で責任を持たねばならない。
それが男というものなのだ。

食事・・・。
取りあえずは、安けりゃいいんじゃないか?
いくら格好つけてみたところで、まだお前さんに味の違いが分かるとは思えないがね。

自分の行動を、いちいち、他人に確かめてもらう必要なんてない。
他人が認めてくれなかったとしても、すでに行動が終わっていたらどうしようもない。
また他人が良いといったとしても、自分が納得しなければ、結局はやらないだろう。

他人に聞いたことだからとて、義理立てしてみても、その時こそ、相手は良い気分になるかも知れないが、所詮は、ただそれだけのこと。
最後に、その結果は、自ら受けるしかないのだ。

他人の悪口を言ってみたところで、結局、自らの底の浅さを露呈するだけのこと、自らに相手を受け止めるだけの器量がないと言うことだ。

いつまでも、誰かの差し入れを待って生きながらえる、そんな人間にはなりたくないと思う。
・・・って、すでになってしまっている。

ここからどう抜け出すか?
それが今後の課題となる。

70代、正直、老い先も短い私だ。
いつまで、思い通りに生きていけるか、わからないが、ともかく、死ぬまでは生きていくしかない。


再度、gooブログはじめました! 風来居士
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