80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

ちょっぴり悪魔に愛されて

2017年04月07日 06時37分08秒 | 考える
4月5日(水) 晴れ 暑い

街角のテレビ占い。
獅子座・・・12位
 

朝飲みのウイスキー、ちょっぴり飲みすぎた感じだ。
酔いがなかなか醒めない。
ちょい高の缶コーヒーを飲む。
 

・・・やっと、周囲が見えてきた。 
目の前を人が通り過ぎていく。
老人たち、幼児とお母さん、仕事中の営業マン・・・。
いろんな人が通り過ぎる。 

向こうを行く女性は新入社員だろう。
心持ち、胸を張って、足取りもしっかりしている。

この人とも、あの人とも、言葉は交わさないが、一応は
これも立派な(?)出逢いというべきだろう。


出逢いは人を選ばない。
ならば・・・。

顔見知りが、私の横を通り過ぎていく。
彼も、行くべき場所がはっきりしていないのかもしれない。 
お互い、会釈はするが、言葉は交わさない。 

得体のしれぬものとは、深入りしたくないのかもしれない。
変に関係を持つと、後になって、何があるか分からない。

賢明だ !!
私も(私だけか)、そう思う。 

最近は、私もそんな風に (どんな風に?) 考えるようになってきた。
老いて、多少の(変な)知恵がついてきたというべきか。
道行く人、総てが、信頼できる相手ばかりとは限らない。

とは言え、本心は、愛するとまでは言わないが、信頼できる相手
が欲しい。
  
今、私は、そう思っている。

本来なら、若い頃から、ゆっくり、着実に「親友」と呼べる人間を
作っておくべきだったのだろう。
が、それを怠った、あるいは、親友と死別してしまった、あるいは
遠く離れてしまったとか。
  

理由は別にして、現在、孤独を余儀なくされている人は、意外と多
いのでは。


が、よくよく考えてみれば、それは自分の自由になる人間がそばに
いてほしいという願望に過ぎないだけなのかもしれない。


本心は、たとえ相手が 「悪魔」 でもいい、心底、愛されてみたい
という思い・・・。

残された生存期間のうち、十何年ぐらいならば
(何十年かではない!! …それは、ちょっと勿体ない・・・!!)
悪魔さんに差し上げてもいい
・・・などと。

「出逢い」が選択できるなら、私はどういう選択肢を取るだろうか?
70男に、今さら出逢いなぞあるはずもない ・・・とは期待の裏返し。
50年前以降、出逢い損ねて、ずうっと出逢いを求め続けて生きてきた。

しかし、現実、隣で人待ち顔で携帯を睨んでいる男性は私ではない。
誰が、私のような歯無し爺さんを待たせるだろうか?
さればとて、私から出向くような場所、相手なぞあろうはずもない。


今さら、出逢い云々より、50年後、どこで、どんな風に死んでいく
べきか?
 
と、そろそろ、そんなことを真剣に考えるべき時期なのかもしれない。
 

同窓会

2017年04月04日 16時13分05秒 | 考える
3月30日(木) ・・・ (後先かまわず) 
いつものように、独り街を徘徊して、アパートに帰ると、ポストに、葉書が
1枚届いていた。
 

中学時代の同窓会の通知だぁ・・・ !!
会場 「一心太助」 場所、不明。
なんせ、大昔のことだ・・・おおよそ55年ぶり・・・ ということになるのか?

思えば、高校入学以降、何だかんだあって、中学時代の仲間とはそのまま、
付き合う機会がなくなってしまった。


再会して、みんなの実績をじっくりと聞き、今後の糧としようか。
これから、今からでも遅くはない・・・・・などと。


誰かに聞いてもらいたいことが、たくさんある。
まとまりは、つかないだろうが・・・。
しかし、現実問題としては、話している時間がないだろうなとも。


・・・目的感の喪失。

人付き合い・・・。
思い通りに動かない、動いてくれない相手。

気になって仕方がない。

が、それは当方の見栄というか、外聞が気になるということでしかない。
最近、男としての意地というか、自信がなくなってきた ・・・等々。

しかし、まぁ、今さら、失ったものを嘆いていても仕方がないとも思う。
新しいものを構築していくこと、それが失われた空間を埋め戻すことに
なりはしないか?


ここずっと、次第次第に気持ちが落ち込んでいくばかりだ。
他人といちいち比較しているせいかもしれない。

比較すればするほど、落ち込んでいく。
身も心も寒い、冷え切っている。

そんな感じだ。

まぁ、リタイアした人間と、現役バリバリの人間との差だとは思う。
それは理解しているつもりではいるのだが。

日々、やることが定まらない。

ただ指の向くままにキーボードを叩く。
書くべき事が定まっているわけではない。
思い付くまま、打ち流す。

取りあえず、見かけを形作る。
見栄でいい。

見かけが、やがて現実化するのを夢見て。


ともかく、実績が欲しい。
何でも良い。
それが第一歩となる。


そんなこと、あんなことを、旧友と話してみたい。
それが、本音だが、おそらくは無言・・・。
昔の友と会ったら、何か話すことができるだろうか・・・?


「四月馬鹿」

2017年04月02日 21時34分40秒 | 考える
4月1日(土) いわゆる「四月馬鹿」。

人は、普段はあまり気にしていないかも知れないが、誰もが、信念というか、
自分の考え方、個性を持って生きている。 

他人との付き合いとは、言ってみれば、個性と個性のぶつかり合い、せめぎ
合いなんだろう。

言い方を変えれば、どこまで自分を押し通せるか?
或いは、どこまで相手に譲ることが出来るか?
そういう事なんだと思う。


逆説的かも知れないが、酔っ払って、あるいは怒り狂って、
自分を見失っている時
、そんな時にこそ、「本当の自分、本来の自分」
顔を出す。
 

そんな気がする。

だから、飲む、飲もうと思う。 ・・・などと。 

欠点は、飲み終えた時点で、大抵は、肝腎なところを忘れてしまっている
ということだろう。
 

いずれにせよ、「本当の自分、本来の自分」 などと言っても、自分の中では、
「有効時間切れ=定年」 ・・・、すでに終わってしまっていることだ。

今さら、どうの、何のと言っても、虚しいばかり。

この結果は、つまるところ、自らの選択の結果でしかない。
世の中に、こんな人間が、一人二人、いたっていいのではないか。

まぁ、自分の人生だ、一応、これで良しとする。 

などと、頭の中では割り切っているつもりだったが、どこかにまだ納得して
いないものが残っている。


私が動こうとすると、いや、動かないでいようとすると、そいつが上着の裾
を引くんだ。
クィッ、クィッ・・・てね。
で、また思い出す。
 

やっぱり、今のお前は「無用のもの」だったんだ。
うんっ、言ってみれば、「以前と少しも変わらない存在」なんだ。


無用だが、取りあえず、実在している。
真の意味でね。

実際に、そう思う。

「四月馬鹿」に便乗して、「心にも無いこと」 を書いてみた。