80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

2016年3月下旬に想う (下)

2016年03月30日 11時46分17秒 | 考える
3/28(月) うす曇り 

常に時間はたっぷりある。
うまく使いさえすれば。  ゲーテ
  
 「賢人たちに学ぶ道をひらく言葉」
     本田季伸 (敬称略) より


なるほどなと思う。
しかし・・・と思う。

・・・ことさら 「うまく使わずとも」 時間はたっぷりあるのではないか。
そう、ただ、どんどんと無くなっていくだけのこと。
いや、「何もしない無為な時間」 が増えていくというほうが
当たっているのかもしれない。
人は、自ら創り出し、自ら背負い込んだ無為な時間に
押しつぶされそうになるのだ。
  ゲーテ先生、曲解して、ごめんなさい。
 

他人がどう生きようと本人の勝手だ。
私がどうこうせいと、指図がましいことは言えない。

そう、今は、ただひたすら眠い・・・。
温かい・・・心地よさ・・・。
春うらら、眠気との「あ、闘い」・・・なんちって・・・。

  ✭✭✭ (これが言いたかった・・・!!) ✭✭✭ 赤面・・・。
 

ともかく、言うべきだと思いつつ、何も言わない、
何も言えない自分が腹立たしい ・・・ !!


私は、ドアの音を気にしながら、黙ったまま、外へと逃げ出す。 

2016年3月下旬に想う (中)

2016年03月29日 16時56分21秒 | 考える
3/27 (日) 晴れ・・・少々寒い。
無職・・・、
今日もまた、自らの意思に反して、ぶらぶらと時を過ごす。
まっ、それはそれで致し方ないものと、頭で分かってはいるものの、
自身のプライドと、ことさら金銭的な面で、少々つらいものがある。

男一匹、年金だけが頼りだとは、他人から金を恵んでもらっているようで
何とも締まらない気分だ。
他人の稼ぎで、飯を食らい、酒を飲む。

いやいや、世の中すべて回り持ち、
今までずーっと働き、稼いできたのだから・・・と言い訳してみる。

考えてみれば、確かにそうなんだろうが、何とも、情けなくなる話だ。
ならば、少しずつでも、貯金しておけば・・・。

なるほど、なるほど・・・。
とは言え、そう言ってくれる人が・・・女性がそばにいなかった・・・
というのは、全然弁解になっていない・・・だろうなぁ。


「ずうっと働いてきたのだから、このへんで一息入れたら・・・」
本当は、そういう声が聞きたかったのかもしれない。

自分の生き方、自分の過去を、誰かに承認してもらいたい。
そういうことなのだろう。

このままでは、どうしても他人はもとより
自分自身に対しても、引け目を感じてしまう。

母のこともある。
母に対して、何もしてやれないもどかしさ。
ずっと私を育ててくれた母である。

何かしてあげたいと考えても、やはり先立つものは金だ。

現在、社協任せで逃げ腰にになっている自分が腹立たしい。
と言うか、やはり情けない。


何も出来ない、何もしない自分が、どうにも、もどかしい !!

2016年3月下旬に想う (上)

2016年03月28日 20時45分12秒 | 考える
平成28年3月23日(水) 曇り
生産的な日々を送ること。
会社を思う。
会社でやって来たことを 「今の」 実生活に応用出来ないものか?

会社でやって来たこと・・・。
他部署の仕事の整理、まとめ、・・・。
部署間の連結、
お客様へのご連絡。

考えてれば、これは扇の要・・・んっ、妙な例えか?
他人はともかく、私自身はそのつもりで仕事をしてきたつもりだ。
今、ここで思う。
現在、この場で、私がやれることは何だろうか・・・?

自分の過去の整理。
とりあえず、文書化。
自分の過去の見直し。

外見、内面、総てをひっくるめた自分そのものを売り物にする。
隠さない、本当の自分・・・。

原点は、多分、小児麻痺。
特別に隠したつもりではないが、
ハンディがあったからこそ、
それが気にならないようにと、自分では頑張ってきたつもりだ。
他人に負けようにと思いつつ、頑張って70年近くを生きてきた。
あと4ヶ月、123日で満70歳。

他人様のことを気にしているような場合ではない。
自分自身の生き方、この先が、全然見えてこない。
今、現在、やっていることに、確たる意味を見い出せない。

遠慮のしすぎは、相手の好意を無にすることだ。
逆に、相手が断るのは、真実それが嫌なのか、取りあえずの遠慮なのか?
相手の気持ちが読み取れぬ。
もっとも、それを知ったとて、相手の遠慮自体に変わりはない。

相手に対する自分の考え、行為、行動が、無意味であるという自覚。
で、対象の無反応は当然のこと。
もういい・・・お互いに、いい大人なのだ。
私は彼の保護者ではない !!

今、私に出来ることは、書くことだけかもしれない
あと、4ヶ月足らずで、満70歳。
今さら、まともな職業には就けそうにない。

私の文章修行

2016年03月27日 19時39分26秒 | 考える
2016年3月4日(金) 晴れ 
この頃、体の内側、奥底が冷たく感じられてならない。

目的がなければ、それ以前の準備・設定は何の意味も持たない。

ブログ、1人でも.2人でも読んでいただける方がいらっしゃる。
まぁ、本音を言えば、あわよくば、なるべく多くの方々によんでいただきたい
という欲はある。
書いた文を発表して、その反応を見る。 
これが、私の文章修行。

どこまで他人を信じたらいいのか?
ますます分からなくなってきた。
他人をどうこういうよりも、まず自分自身が信じられない。
自身の体力・知力・・・??


2016年3月8日(火) 晴れ時々曇り・・・?
明日へ明日へと引き延ばす。
本音は、今さら仕事なぞ・・・。
とは言え、現状見渡すに、
何かやらねば、どんづまり。
で、俺がやらねば誰がやる? 

13:31 小田急駅北口広場にて。
当年とって、数え70歳・・・か!!
自分だけなら、どうとでも、ごまかしはきくとは思うのだが、
近親者が同居だと、そうもいかない・・・?

が、よくよく考えてみれば、近親者とは、身近な他人なのだ。
兄だから、弟だからと甘えてはいけないのだ。
 

この空も、ずっと晴れの続いていくわけもなし、
それが証拠に、今まさに、日が陰り、冷たい風が吹き始めている。
早く家に帰ろう。


3月10日(木) 晴れ
まだ本調子とは言えないが、少し回復傾向にあるらしい。
もうちょいだ。

今、私に出来ることは・・・?
・・・というより、まずやる気があるのか、ないのか? 

とのみち、何をやるにせよ、あるいはやらないにせよ、
いずれにせよ、金が必要である事は間違いない。
・・・が、無い。 

ひたすら待つ。
それが私のやり方、生き方。
少しずつ、少しずつ近づいてくるはずだ。
いや、ひょっとして遠のいていくのかも知れない。
が、それならそれも、やむを得ないことなのかも知れない。
それは、私自身のやり方が原因なのだ。

今日は木曜日。
木曜日・・・?
そうだった、「ゴミ出しの日」だ。

他から律せられて行動、行為する。
それもまた、ありかな?

とはいえ3月、まだ前半、・・・やはりまだ寒い。 


平成28年3月16日(水) 曇り
寒い。

資料館・・・死霊館
「伊勢物語」・・・何か出来ないか?
 

閲覧数は、文章の出来不出来には、何ら関わりが無い ・・・と思う。


平成28年3月20日(日) 快晴
やむを得ず他人の人生を共有している。
・・・全く、自分らしく生きられていない。 

こんなはずではなかったが・・・。
想定外の人生展開。
思わぬ過程だ。

私の手料理、 当然と言えば当然なのだが、
実際、まずくて食えたものではないが、
仕方がない、食ってやろう、ありがたいと思え!!

・・・そんな感じだ。


現在、やっていることに、それなりの意味が感じられない。
いくら、定年、仕事から解放とは言うものの、全く、仕事無しとは・・・。
これは、自己責任、退職後に対する準備不足ということなのだろうか。
今後が、全く見えてこない。 

読書に、私なりの情報収集という意味を持たせてはいるものの、 
行き当たりばったりという感じは否めない。
明日がまるで見えてこない。 

何のために

2016年03月26日 19時30分47秒 | 考える
長い間生きてきて、皆、それぞれが自分の腕と頭に自信を持っている。 

「そんなことはない。」
なんていう奴もいるだろうが、それは謙遜というものだ。
そりゃあそうだろ、でなきゃあ、ここまで生きちゃこれねえからな。

まあ、そう言う俺にしてからがそうなのだ・・・。

だからこそ、だからこそなんだが、もそっと仲間を信用してもらいたいものだ。

てめえを思う何十分の一でいい。
なっ、仲間ってのは、そういうもんじゃねえのかい?
でなきゃ、ばかばかしくって、やっちゃいらんねえや。
そうだろ・・・? 



占星術 「魚座の星がすべては収まるところに収まる」といっています。 
一体、どこに・・・?


今日は朝から1日、雨。
肩の痺れが取れない。
腰痛も重なって、(もっとも、これはただの言い訳にすぎない。)
一日中、部屋でゴロゴロしていた。

会社にいた頃は、嫌でも毎日、電車の中で、ぬれた傘を避けながら、
通っていたものだが、
退職してからは、雨が嫌だ、風が嫌だ。
暑いの寒いのと言って部屋に籠もっていても、誰も苦情を言ってこない。 
その辺は、まぁ、気苦労がないと言えば言える。
のんびりしたもんだ。


もっとも、もともと、お前さんなぞ、いてもいなくても苦情の出るような
ポジションでなかったんだよ
と言われてしまえば、それまでの話なのだが。


今になって考えてみると、何かやり残してきたという思いがしてならない。
といって、何をやり残してきたのかと考えてみると、あれやこれや多すぎて、
よく分からなくなってくる。
別に手抜きをして過ごしてきたつもりはさらさらないのだが。

うーん、私がやめて、物事が、すべて収まるところに収まったということなの
だろうか?
もうそろそろ、退職後 5年になるが、実際、そうなのかもしれない。 


平成28年3月26日(土) 曇り空、寒い。
何かやりたいと願ってみるが、目標、目的が見えてこない。
俺でなければという・・・
いやいや、それこそ驕りというものだ。

お前でなくとも、いいや、むしろお前なんぞがしゃしゃり出ては迷惑だ。  
今さら、お前の出番なぞ、何処にもありはしないのだ。


としたら、私は何処で、何をどうすればいい・・・?
考えてみると、何とも悩ましい。

どこでもいい、働きたいと言って、何度も職安に通ってみた。 
気のせいか、回を重ねるごとに、職員さんは何か迷惑そうになっていく。
まぁ、70に手の届く爺さんが相手では、
紹介しかねるのも無理はないかも知れぬ。 

近頃は、自分が何のために生きているのか分からなくなっている。
自分の生きる目的が見えてこない。


私は、一体何のために生きているのだろうか?