80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

私と仕事

2017年09月26日 19時44分36秒 | 考える
「福祉、福祉」と恰好つけるな。

他人に迷惑を掛けずに生きていく。 ・・・なるべく。
それでいい。
それが、結果として、逆の意味で 「福祉」 だと言える。


正直な話、お年寄りの間に入って話をしていると、何か気が滅入ってくる。
もっとも、それは、自分の難聴のせいで、相手が何を言っているのか、はっきりと
聞き取れないことが一番の原因だ。


仲間に入るためには、それなりの 「資格(考え方) ・ 実力(聴力) ・ 方法(対話術)」
必要だということなのかもしれない。


しかし、考えるまでもなく、お前自身、確実に「年寄り」に分類される年代なのだ。
年寄りを否定することは、結果、自己否定に結びつく。
いずれにせよ、SFならいざ知らず、どんなに気張ってみても、今さら、若返ることなんぞ、
出来はしない。

自分をしっかりと見つめよ、他人と比較するな。 ・・・無駄なことだ・・・!!

自由とは、意外に辛いものだ。
心底、夢中になれるものが、何かないものだろうか?

出掛けねば、出会えない。
原体験、余生、終生の師。
人生を実感するには・・・?


仕事・・・。
自分の行為、行動の結果が、はっきりしない (見えてこない) のは、結構、辛い
ものがある。



過ぎ去ったこと、自己否定の気持ち、その原因は捨てる。

しかし、そうは言っても、本音は、もうちょいマトモな形に持っていきたかった。
・・・などと、今さら何を言ってみても、何とも 「虚しい言い訳」 にしかならない。

集中力に欠ける。
ならば、今後、どんな仕事、どんな生き方をしていけば良いのか?
これも言い訳だが、 「これをやれ」 と言われれば、何でも (何とか) やれそうな
気はする。


しかし、現実、今、雲の中、闇の中、 ・・・未だ、五里霧中・・・、 道半ば・・・。

取りあえず、現在は、何をすれば良いのか?
 To be, or not to be:  that is the question:  HAMLET
それが問題だ。

人生とは、「やる気」と「環境」、「タイミング」の結びつきだ。
3つのどれが欠けても、思うようにはいかない。

私は場違い(?)、彼は仕事。

しかし、私は結果として、一応の目的は果たす。
彼の場合は、結果として、一つの機会を逃す。


迷い迷って、行く先は、終着駅のその向こう、
歩いて一人、行く先は、陸と海との境界線。


泳げぬ私は行き止まり。

言い古された言葉だが、
いつまでもあると思うな、親と金、そして我が身の健康と。

敬老の日に思う

2017年09月18日 06時15分50秒 | 考える
昨夜は、風、そしてたたきつける雨で、睡眠時間を削り取られた。

打って変わって、今朝は、台風去って、雲ひとつない青い空。
と、言いたいところだが、この時点では、雲の方が多い。

太い絵筆に青空色を含ませて、横殴りに掃いたような空だ。
山並みがはっきりと見えている。

今日は、 「敬老の日」 だとか。
今さら、私が敬老される筋合いはないが、
同じ事なら、ちょっぴり格好いい老人でありたい。

時間は、たっぷり (?) 余っている。
何となく晴れた空を眺めていて、ふとそんなことを考えた。

そう、今さら、私は何を焦っているのか。
無理する必要なんぞ、どこにもない。

誰が、どこから、どう見ても、私は 「老人」 以外の何ものでもない。

それは、自覚している・・・、 う~ん、・・・つもりだ。

としたら、 「らしからぬ老人」 を演じてみるというのはどうだろうか。
「らしからぬ老人」 の積み重ね。

ともかく、いずれにせよ、今後、生きていくためには、
やはり、自前の 「目標」「目的」 は必要だろう。

まずは、「自分の内なる調和」が必要だ。

それが、安定感に繋がる。

若い人の間には、やはり、居場所がないような気がする。
と言って、お年寄りの中に入ろうとすると、自分の未熟さが際だって、
どうにもこうにも、居たたまれない感じがする。


はるか昔、感じたような、半端感・・・、

大人になりきれない、少年以上、青年未満。

不安定感、苛立ち・・・。
あの時の感じが、チョッピリ蘇ってくる。


・・・今が、これからが 「蒼春時代」 ・・・?

酒が切れた。
ウィスキーが欲しい。

乱記帖 (その1) パートナーが欲しい。

2017年09月17日 06時33分51秒 | 考える
パートナーが欲しい。
でも、それに縛られるのは嫌だな。


そう考えたとたん、隣の席の女性が立ち上がり、向こうに去って行った。
私の気持ちが読まれたのか、何かを感じたのだろうか?
やれやれだ。

今度、多磨霊園にでも、墓参りに行ってこようか?
亡くなった親父に、職探しを頼んでこよう。


生きていくための居場所が、未だに定まらない。

一太郎君が不調 (?) だ。
って、つまりは私の責任なのだが。


ソーセージ・エッグ定食 ¥400- 松屋

無理して恰好つけようとするな。
無理したところで、結果は、ほとんど変わらない。
逆に、悪化する可能性の方が、率が高い。

縁なき衆生。
広場のベンチ、若い女性の隣に腰を下ろしてみたが、どうも居心地が悪い。
独り身が、あまりに長すぎたのだろうか?

所詮、男はただ独り・・・などと、強がりを言ってみる。

このところ、何度も書いているが、右肩から先が意のままにならないことが
多くなってきた。


恐怖・・・!!
半身不随の前兆ではないか ・・・?!


さらに、風来居士・・・我が名ながら、なかなか覚えられない。
故事 → 故士と書いてしまう。

困ったものだ。
風来居士・・・すぐに思い浮かぶようでなければまずい。
風来仙人は、私に黙って、どこかに旅立ってしまったからなぁ ・・・ !!

いやいや、人生、そうそう決めつけたものでもありませんよ。
なるほどね、よく考えてみれば、仰るとおりですね。
う~ん、では、ちょっと付け加えます。
「これまでの・・・」 と。


金あれば、思いのままに70代。
とは言うものの、人生、金では買えぬもの。


ふ~ん・・・、 大いに参考になります。

などと、コロコロと意見を変えていくのも、風来居士の 「風」 たる所以です。

格好つけやがって・・・!!
まぁまぁ、それで構わないのでは・・・と、斜に構え。


他人を見習い、他人に頼るのではなく、自分自身を見つめ、再発掘していく。

過去を認め、未来に賭ける、と言うより、すがるというべきかもしれない。

・・・今さら、過去の自分を否定して、今の自分が、どうにかなるものでも
あるまい。


などと、自身を納得させてみる。  ・・・一応・・・。

第31回 町田エイサー祭り 付記

2017年09月14日 18時54分50秒 | 考える
* 前回ブログに 「言い足りないこと」 があった。

幼稚園児だろうか、小さな体にエイサーの衣裳を着けて、一生懸命に踊る。
車椅子の踊り子もいて、仲間に負けじと踊る。


例年に劣らず、今年も大いに盛り上がった。

結局、準備段階から終了まで、8時間近くの間、それも知らぬ間に、最前列、
特等席で観覧させてもらったことになる。


もしかすると、あのベンチには、私の尻の跡が残っているかも知れない。

各地区の 「旗振り」 の方、入場から、退場まで、独りで旗を抱え、先頭に立っ
てリードする。

大変な仕事だ。

さらには、何と呼ぶのか、「ピエロ役」 ・・・ 実はリーダーか

いやいや、全ての出演者が、各自のパートを演じ、しかも、全体が最初から
最後まで、しっかりと、まとまっている。


どの組も、それぞれに時間をかけ、じっくりと練習を重ねてきたことが、はっ
きりと分かる出来映えだ。


4時間以上の時間が、短く感じられる熱演だった。

最後ですが、来年は、町田へお出かけの上、本物をじっくりと観覧
なさることをお勧めします。

第31回 町田エイサー祭り

2017年09月11日 19時11分36秒 | 考える
2017年 9月9日(土) 晴れ
第31回 町田エイサー祭り
東日本復興支援 とどけよう町田の力


買い物帰りに、東急ツィンズの前を通り過ぎようとしたら、賑やかな太鼓の音。
見下ろすと、道路を通行止めにして、カラフルな衣裳を着けた人たちが踊って
いる。
言うまでもなく、沖縄の盆踊り 「エイサー」

例年この時期に行われる「町田エイサー祭り」 だ。
ご存じだとは思うが、「エイサー」 とは沖縄に伝わる伝統的な踊りだ。
太鼓に合わせ、衣裳を着けた男と女が、力強く踊りまくる。

沖縄全島エイサー祭り
http://www.zentoeisa.com/

エイサーとは
http://www.zentoeisa.com/about-eisa.html


9月10日 (日) 快晴
町田エイサー祭り


9:00 駅横、いつもの広場。

ベンチに腰を掛けて、ボーッと見ていると、広場の奥、銀行の前にスピーカーが
設置され、ひろばの3個のベンチが隅に押しつけられた。
広場のそこここに、チョークでマークをし、粘着テープを貼り付ける。

昨日に続く、エイサーの準備とはさらさら思わず、いつものように、誰か、歌手
を呼んでの公演準備だと思っていた。
昨日のことは思い浮かばず、何やら会場が整っていくのを、ボーッと眺めていた。  

10:00 暑い!!  
目の前を通り過ぎる担当者は、すでに汗まみれだ。
手伝ってあげたいが、部外者ではかえって邪魔になる。
・・・などと、頭の中で、言い訳をしつつ、ひたすら傍観。


時間経過・・・、傍観・・・、何となく、何の準備か分かりかけてきたのは、衣裳を
着けた出演者がそろい始めた頃だった。
(まぁ、ここまで来れば、誰だって分かるわな・・・)
期せずして、特等席をいただいたということらしい。

さらには、続く 「祭り」 の本番も、最初から最後まで、最前列のベンチに腰掛けた
まま、観覧することとなった。


夏祭り応援プログラム
東京2020応援プログラム・フェスタまちだ・町田エイサーまつり

https://www.facebook.com/festamachida

結果、ベンチから、ほとんど腰を上げずに、エイサー祭りの準備から、終了まで、
最初から最後まで、残らず目撃することになった。

これを幸運と言わずして、何というのか。

しかし、考えてみると、こういう幸運を、やたらに使って、後になって、幸運不足
で後悔することにならねばとも、チョッピリ頭をかすめた。


が、まぁ、それもまた人生、所詮はなるようにしかならない。
人生とは 「今、現在」 の積み重ね・・・などと。