80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

風来随想録 (5)  火事場にて

2015年05月29日 19時17分20秒 | 考える
生活保護のリアル
川崎・簡易宿泊所火災を引き起こした貧困の深層

2015年5月17日午前2時過ぎ、
川崎市川崎区日進町で火災が発生した。 
火元は、木造3階建ての簡易宿泊所の1階と見られている。
・・・略・・・
 首をかしげながら撮影を続ける私の背後を、男子中学生
の一団が「火がワーッと燃えているところを見たかったよ
なあ」と笑いながら通りすぎていった。 背筋に寒いものが走った。
 高齢期に、生活保護と簡易宿泊所以外の選択肢を失う可能性は、
誰にでもある。
 もちろん、私にもある。
 火災などの惨事の犠牲となって生涯を終えたら、こんなふうにネタ
として消費され、そして忘れられるしかないのだろうか?
・・・略・・・
 今回の火災で焼け出された人々の中には、住まいのない状態で川崎
市の福祉事務所を訪れて生活保護を申請し、全焼した簡易宿泊所を紹
介されて「居住」し始めた人々もいるという。

・・・略・・・
2015/5/29 みわよしこ[フリーランス・ライター]


恐ろしい話だ。
通りすがりの男子中学生たちは、自分たちの家でも「(俺たちの家が)火で
ワーッと燃えているところ、見たかったよなあ」
などと笑って通りすぎていく
のだろうか。
冒頭の記事を読んで、私も愕然とした。

人それぞれ、感じ方、考え方はあるだろうが、それにしてもあんまりな言い方だ。
年齢のせいばかりではないだろうが、想像力が足りなさすぎる。

火事は、一瞬にして、人の全財産を燃やし尽くす。  
金持ちの財産も、貧乏人の財産も、関わりはない。

水は(金は)器に従うという。
金がないのは、誰のせいでもない。
自身の器、自分の目標の大きさのせいだ。

言葉には力があるという。
良くも悪しくも、人を行動に向かわせるパワーを持っている。

人は、金持ちになるか、貧乏になるか、
いずれにせよ、一度に両方になることはない。
出来ない。

かの中学生たちは、将来、どちら側の世界に住むつもりでいるのだろうか?
まぁ、どちらにしろ、炎の前には何者も無力であることも知っておくべきだろう。


言葉は怖ろしい。
たとえようもなくやさしい気持ちを伝えることの出来るのも言葉だが、相手の
急所をグサリと刺して、生涯許せないと思わせる致命傷を与えるのも、また
言葉である。                      向田邦子

風来随想録 (4)  成功について

2015年05月28日 07時14分57秒 | 考える
老人は何かを終えなければならない。

是が非でも成し遂げたい、ねばならぬ信念というか、思い込み。


今までずっと育ててくれた親兄弟、
友だち、先輩、仲間、隣近所の人たち、
私にとっては、見知らぬ行きずりの人であっても、
どこで、どう繋がっているか分からないものだ。  

その繋がりの中で、私は生きている。


が、肝腎の私の立ち位置が、どうも見えない。


老人の生き方が、まだよく分かっていない。
もうすぐ69、・・・多分、私は老人。

で、どう生きていけば、私らしい生き方なのか?
が、このままで終わってはいけない、そういう気がしている。


商売で失敗するのは、在庫が残ってしまうことが始まりだ。

共同作業(→責任回避・・・?)か、何か考えられないものか?
仮説を立てる。
仮説を実現するために、具体的に何をどうするか?
その後をどうするのか?
・数値化する。→ 実現するための期間を設定する。
・イメージ化する。→ 明確化 → 目標設定。

今やれることを、とにかく、やっていく。 
 →何のためにやるのか?

私の在庫は何だったのだろう?
在庫処理には、在庫の中身を知らなければならない。

自分の欲望 (これも私の在庫) を明確化していく。


私の立ち位置は・・・?
 まだまだ老人だなんて・・・
 などと考えていたのだが、
 気がつけば、見た目も、立場も、完全に老人だった。

鏡がそう言っている。


今後、先の見通し (在庫?) がついていない。
(何をやるべきか、やりたいのかが、分かっていない。)

結局、現状維持には納得できていない。

かと言って、現状を大転換出来るとも思えない。

まぁ、その内、おいおいと結果というやつが
出てくるだろう・・・などと。
   
もっとも、積み重ねのない結果というやつがあればのことだが。


このまま人に知られなければ、存在しなかったと
同じ事なのではなかろうか?

もっとも、他人が知ろうと知るまいと、
どうと言うこともなく、私は生きてきたわけだが。

何か出来ることは、やりたいことはないのか?・・・とか。
時、ここに至って、迷いは、時間の浪費以外の何物でもない。 

結局、どう飾り立てようと、行き着く先は同じだ。
思うがままに、わがままに・・・(難しい話だが)。
それで成功できたら、この上ない。


他人が見ていない一人の時に、勉強しているのか、
それとも寝っころがってただ何となく過ごしているのか。
それによって人生は大きく違ってくる。
一人前の人間は受け身でいてはいけない。
       五代目 三遊亭円楽師匠

タバコの煙 その2

2015年05月26日 09時21分25秒 | 考える
単純作業の繰り返しで、金を積んでいく。 
そんなゲームがあるらしい。

思えば、人生はゲームの延長と言えなくもない。
自分にも出来る感。
何とかなるだろう感。  ・・・むぅ~~っ!!

タバコの煙が紫色だったぁ~♪  (平岡精二とブルーシャンデリア) 

あんパン1個、食うべきか、否か。
などという問いは、はなから結論ありきだ。
腹が減ったから食う。

このところ、無駄な努力が多すぎる。
が、起動せねば、分からないというのが、問題点だ。
なるべくなら、無駄金は使いたくない。


そうだ!!
地震・・・。

昨日、昼間、2時半頃、いきなりドカンと来た。

この所、感じたことのない揺れだった。
かなりの揺れに本当にビックリした。
閉じ込められないように、ドアは開けたが、
飛び出そうと思ってやめた。
5階を駆け下りるパワーが無い。

けっこう長く、そして強烈な揺れだったようだが
ドアが崩れることなく収まったようでほっとする。


今、思い出して、ネットで調べてみた。

5月25日(月) 14:28
震源 埼玉北部 震度5弱。


どうも、ここ連日、頻繁に地震が起きているらしい。


小松左京の「日本沈没」などというSF小説、映画を思い出す。


翻ってみれば、現在、世界で起こっている災害、
天災、人災は、戦争を含めて、実際に、あらゆる災害が、
常に自分の隣り合わせに存在していたのだと思い知らされる。


人生はタバコの煙。 

今のうちに、やりたいことは やっておかねば・・・!!

タバコの煙 その1

2015年05月24日 19時46分35秒 | 考える
5月24日(日)

になっていくような・・・。  

そんな気がぁ~して、なっらなぁぃのぉ~・・・♪  

現状のままではいけないと思ってはいるのだが・・・。
気持ちとは裏腹に、ずんずんと沈んでいく・・・。    


人との縁が薄いような・・・。
親、兄弟姉妹、・・・人との形式的な繋がりはあるはずなのだか、
何故か、結びつきが弱いというか、薄いのが悩みだ。
・・・などと、老人の繰り言、イジイジと。

私は・・・、日ごとに、性格が悪くなっていく。



顔の良い人は免疫力が高く、健康で長生きということらしい。
顔の良さと寿命にも、相関が表れたとか。
顔のいい人は長生き。
日常的な健康の積み重ねが長寿であれば当然。 
そんな研究結果があるらしい。

   プレジデント2015. 3. 2.
    エッセイスト・動物行動学研究科家・竹内久美子


ひょっとして、私は、現役で働く弟に嫉妬しているのかもしれない。
・・・このところ、どうもそんな気がしている。


目標不在。
少なくとも、あと30年は生きなければならぬ
(勝手にそう決めている。)

目標不在、これは一時的な気の迷いであると信じている。 ・・・本当か?

こんな気持ちのまま、30年を生き続けるのは苦痛以外の何物でもない。 


とは言え、実際に何か、それなりの目標を与えられたら、
その期待にこたえるだけの自信がないというのも事実だ。


私は既に過去の人間だ。
当てもなく彷徨っていたら、ひょっとして、昔の知人に合えるかもしれない。

しかし、誰かぁ、誰かぁと、呼び続けるというのも、
これは、何とも惨めなのではないだろうか!!

呼んで応える出会いならば、これまでに出会えているはずだ。

無い出会いなら、泣いても、怒鳴っても、どうなるわけもない。


アイデアのつまったときには、本を読む。
情報収集・・・だ。

コミックだって構わない。 
それも、いつかは役に立つ・・・はずだ、・・・きっと。

(本当は、マンガが読みたいだけのことかもしれない。)

雑感・雑記 (3)

2015年05月23日 19時54分17秒 | 考える
料理を作る必要(需要)などない。

作ってしまったら、作っただけ食わねば(消費せねば)ならない。
食ってやらねば可哀想じゃないか。
本当は、出来合いのものを買ってきたほうが、ずっといい。

我がことながら、でたらめ、行き当たりばったり、まずい料理・・・。


人には表現法がひとつあればいい。
スミレは、ただスミレのように咲けばいいのであって、
そのことが、春の野にどのような影響があろうと
なかろうと、スミレのあずかり知らないことだ。  岡 潔

  『情緒と日本人』  人の中心は情緒である。



他人を信頼するということは、大変なことだ。
他人を信頼するということは、信頼した自分をも
同時に信頼しなければならないということだ。

自分というやつ、そいつが一番信頼できない。
そいつが何とも怪しいのだ。


今さらだが、何を、誰を、どれだけ信用するか?
それが問題。


とにかく情報が多すぎる。
処理する当方は、処理能力が、あまりに低い。
一つ一つ検証している暇も金も無い。
自身で検証出来ない以上、他人に頼らざるを得ない。


目に見えないものを、すっきり理解することは困難だ。
何を選択すべきかは、何を信頼すべきかということだ。

堂々巡り・・・。
結局、分かり得ないなら、信頼する以外にない。


自分に何が出来るのか?
何がやりたいのか?
それが不確定なために(私自身のせいだ)、総てが停滞している。

目標と目的がはっきりしていれば、自信を持って歩いて行ける。
しかし、結局、何もやらずに、それを知ることは、多分出来ない。


消しゴムで、失敗した過去を消すことが出来たらいいのだが。


他人が見ている自分こそが、本当の自分である。
林 修先生 (「いつやるか? 今でしょ!!」)


死にものぐるいでやれ!!
今日は明日への通過点にすぎない。


雨を待つのではなく、湖から水を引いてくる。


客が、本当は何が欲しいのか。

まずは、客が欲しいものは何かを知ることから。

「欲しいもの」を知る。→yahoo(知恵袋)
  →調べた「サイト」を知らせてやる。
  →誘導する。

  
  必要とする人に、必要な情報を売る。


なるほど・・・。