夜と昼・・・。
暗いか、明るいか、或いは寒いか、多少暖かいのかの違いだけで、
時間の経過そのものは、昼夜に関わりなく、しっかりと過ぎていく。
こちらが眠っていようと、徹夜していようと、何の気づかいもしない。
ひたすら滞ることなく、黙々と時を積み重ねていく。
もっとも、よくよく考えてみれば、何らかの理由で、時間が停止した場合も、
私自身の感覚も停止してしまうだろう。
結果、肝心の 「時間停止」 を認識することができない。
認識のしようがない!!
ひょっとしたら、「時間の停止状態」 は、私が気づかないだけで、周期的に、
かつ日常的に、さらには頻繁に起こっているのかもしれない。
10分おき、1時間おき、1日おきに、1年間、あるいは10年間、時間が停止
している。
そういう可能性だってあるんじゃないか? ・・・そんな気がしてきた。
まぁ、いずれにせよ、当の私自身には、それを知る術がない。
「知らぬ間の時間停止」 は、私に対して、何の意味も、変化も与えない。
そんなこんなで、何の当てもなく時が過ぎて、なぜか、明日は元旦・・・。
時の流れに身を任せ・・・~♪ (テレサ・テン)
いつの間にやら、明日は70回目の・・・いや正確には71回目の新年だ。
「しんねん」 と打ったら、「信念」 と変換された。
まぁ、毎年、新年に誓う信念 ・・・ 例によって、多分・・・ 「今年こそは・・・!!」
昨日も、今日も、明日も、何ら変わらぬ時の流れなのだが、
年の瀬、大晦日、元旦 ・・・ 呼び名が変わるだけで、何となく気分も変わる。
人間とは、本当におかしなものだ。
それはともかく、皆様、今年一年、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
明年もまた、変わることなく、どうぞよろしくお願い申し上げます。
暗いか、明るいか、或いは寒いか、多少暖かいのかの違いだけで、
時間の経過そのものは、昼夜に関わりなく、しっかりと過ぎていく。
こちらが眠っていようと、徹夜していようと、何の気づかいもしない。
ひたすら滞ることなく、黙々と時を積み重ねていく。
もっとも、よくよく考えてみれば、何らかの理由で、時間が停止した場合も、
私自身の感覚も停止してしまうだろう。
結果、肝心の 「時間停止」 を認識することができない。
認識のしようがない!!
ひょっとしたら、「時間の停止状態」 は、私が気づかないだけで、周期的に、
かつ日常的に、さらには頻繁に起こっているのかもしれない。
10分おき、1時間おき、1日おきに、1年間、あるいは10年間、時間が停止
している。
そういう可能性だってあるんじゃないか? ・・・そんな気がしてきた。
まぁ、いずれにせよ、当の私自身には、それを知る術がない。
「知らぬ間の時間停止」 は、私に対して、何の意味も、変化も与えない。
そんなこんなで、何の当てもなく時が過ぎて、なぜか、明日は元旦・・・。
時の流れに身を任せ・・・~♪ (テレサ・テン)
いつの間にやら、明日は70回目の・・・いや正確には71回目の新年だ。
「しんねん」 と打ったら、「信念」 と変換された。
まぁ、毎年、新年に誓う信念 ・・・ 例によって、多分・・・ 「今年こそは・・・!!」
昨日も、今日も、明日も、何ら変わらぬ時の流れなのだが、
年の瀬、大晦日、元旦 ・・・ 呼び名が変わるだけで、何となく気分も変わる。
人間とは、本当におかしなものだ。
それはともかく、皆様、今年一年、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
明年もまた、変わることなく、どうぞよろしくお願い申し上げます。