80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

「私は武士だ!!」

2019年12月30日 20時03分37秒 | 考える
「私は武士だ!!」 ・・・心の、そして行動の支えとなる想い。 
しかし、何を持って「武士」と言うのか?

私はずっと不良品だった。
せめて今後は、自分に関わる物ぐらい思い切り高級なものを選んでいきたい。

正直に己を晒して生きていく。
常に、自分に自信を持って、即断、即行動する事だ。
人間の、つまり自分の持ち時間は限られている。

この世(三次元)と、あの世(四次元)の、狭間(3.5次元)を彷徨う。

まぁ、無理することはないやな。
金は無くなりゃ、そこでひとまず終わり。
その後、どうなるか、どうするかは、先のこと。

義理も、へったくれもない。
まずは自立せねば。
自分に余裕があってこそ、なんぼのものだ。

自らの可能性に、「70過ぎ」という言葉でブレーキをかけている。
100歳以上生きる (・・・確か、200歳までと言った記憶がある。) と言ってきた私だが、100歳までだって、まだ30年もある。

他人とは、必ずしも自分の考えているような存在ではない。
それは、常に心得ておくべきだ。

音もなく 散りゆく花の 声を聴く 

いずれにせよ、何の疑いもなく、これが私の人生なのだ。
良いか悪いかはともかくとして、他人を当てにして生きようとするから、結果、さらに孤独を感じるのだろう。

ウィスキーを飲んでみても、葉巻を吸ってみても、どうにもならない。
にもかかわらず、解決を求めて(?)、ウィスキーをあおり、葉巻を吸い続ける。
さして、うまいとも思わない。
半分は惰性・・・。
今のところは、気がつけば・・・、というほどではないが。

何とも、如何ともしがたい孤独の人生を続ける。

私と弟、ふすま1枚へだてて暮らす日々。
私達には共通のカレンダーがない。
ただ、お互いの時刻が、それぞれ勝手に過ぎていくばかりだ。
空しい共同生活・・・!!

まぁ、泣き言ばかり言っていても、何の解決にもならない。
で、どうするのか・・・?

時は、知らん顔で通り過ぎていく。
待っているのは「孤独死」だけなのか? ・・・断言したくない!!
が、一方で「どうでもいいや!!」と思っている自分がいる。
しなければならない・・・そんな切迫感を感じさせる何ものもない。

用無しの、しょぼくれ爺さん。
何か、どうしてもやらねばならぬ、そんなものが欲しい。
もっとも、そんなものがあったとしても、やりおおせるかどうかは別問題だが。

思うに他人に誇れるものは、何ひとつない年寄り。
残された人生で、何かやらねば、そう想う日々なのだ。
年寄りの繰り言でしかないのかも知れぬが。

どこかが変だ。
いくら経っても、脳天気な私。
酒を飲んでも、タバコ・葉巻を吸ってみても、何一つ変わらない。
何もかもが中途半端で、嫌になる。
そんな空気の中で、ただ生き続けている。
繰り言の日々。

ただ、時計の針だけは、何のこだわりもなく、ひたすら回り続けている。
そんな気がする。
私は何も言えず、まわっていく時計の針を、ただ眺めているばかりだ。
もう、どうでもいい。
そんな気がする。

70過ぎの老人には、誰も何も指示してはくれない。
酒とタバコ、そして葉巻の空しい日々。
そして、それは来年もまた・・・。

指示待ち人生はそろそろ卒業せねばと思う。 
正直な話、残りの時間は、多分それほど無いだろう。


来年こそは・・・!!
今年も1年、本当にありがとうございました。



俺の煩悩 (2)

2019年12月28日 21時54分52秒 | 考える
満年齢73歳
2019年 (令和元年) 12月26日(木)
 

7:30 目覚め。
7:00 出勤 ・・・30分遅刻 !!
知り合いから、仕事をやってみないかと誘われた。
仕事は7時から始まるという。

いやいや、このままでは、とても再就職とはいかない。
どのみち、やるにせよ、やらないにせよ、気を入れ直さねばならない。

残りの人生は本当に短い (・・・と思う)。
こんな調子で、無駄に過ごしていくわけにはいかないだろう。
それにしても、7:30起きとは、年齢のせいではなく、夜更かしのせいかもしれない。

にしても、寒い。
いくら着込んでも追いつかない。
 ・・・そんな感じだ。

「けむり」が欲しい。
唐突にそう思った。
そう言えば、先ほど最後の1本を吸ってしまったばかりだ。

今年も残り1週間を切った。
はっきり言えば、残りわずか3日・・・!!
思い起こせば、今年1年間、やったことが、何一つ思い出せない。
何とも薄っぺらな1年だったような気がする。

まぁ一応は、あちらこちら、うろつきまわったという気持ちだけはある。
が、「今年はこれをやりました。出来ました。」と、胸を張って言えることが何もない。
そういう事なのだ。

取りあえず、他人から認められる、まともな文章が書きたいと思ってはいるのだが。

本庄直紀
夢の中で誰かが「ホンジョウナオキ」と連呼していた。
私が、「おう・・・!!」と答える。

今さら他人に借りを作ってどうする?
返す当ても、その時間も無い。

しかし、老いてなお、いや老いたからこそ、ひたすら求め続ける。
が、気が付けば、思いにまかせぬ体に成り果てていた。

ひなびた温泉宿で。
自動販売機で買い物をしようとするが、コイン投入口に詰め物があって使えない。

彼が食おうと食うまいと、所詮は彼個人の価値観の問題だろう。


古酒を飲む。
生きた証・・・?
随分とちんけな証だな。

「ちんけ」とは
〘形動〙〔俗〕ひどく劣っているさま。程度がごく低いさま。
 ※さいころ博打ばくちで一の目を「ちん」と呼ぶことから。


弟との生活時間帯の違い。
私の体内時計が大いに狂い始めている。

畢生 (ひっせい)
一生を終わるまでの期間。 一生涯。 終生。
「畢生の大事業」「畢生の大作」
デジタル大辞泉 (C) SHOGAKUKAN Inc.1995 1998 2012


唐突に・・・。

俺の煩悩 (1)

2019年12月22日 16時53分47秒 | 考える
令和元年12月20日(金) 晴れ
生きたいように生きる。
そう決めた。

が、「生きたいように」が、どうにもはっきりしない。
困ったことだ。

今年1年、何をしてきたか?
何も思い出せない。
ただ流れに任せて、何となく生き続けてきた。
ウィスキーの空き瓶が増える。
ただそれだけ・・・。
そんな感じだ。

「孤独を生ききる」瀬戸内寂聴先生の本を読んだ。
・・・でも本来孤独な者同士が、接触し、ある交わりを持った時から色々な矛盾が生まれます。 
・・・それでも人は愛したがるし、愛されたがる。
生きるということは、愛する相手にめぐりあうためにあると若い時代は思いこんでしまうのも当然です。 ・・・


孤独を生きるか・・・。
本当に私は孤独なのだろうか?
孤独を気取っているだけなのかも知れない。
言葉に甘えているだけなのかも知れない。

なるほど、私はまだまだ若いということなのだろう。

また、タバコに手が伸びる。
最後の1本・・・。
煙りが換気扇に吸い込まれていく。

そんな私を母の遺影が笑いかけている。
「まだまだね・・。」


また、ウィスキーの空き瓶が、1本増えた。
追加せねば・・・。
灰皿代わりの空き缶がいっぱいになっている。

知り合いから、仕事をやってみないかと誘われた。
内容は、簡単な(?)クリーニング。
朝の7時から2時間半ほど。
7:00AM~9:30AM
来年の4月から、月に23日程度。
ちょっと考えさせてくれと頼んだ。

無職の私にはありがたい話ではあるが、その代わり時間に縛られる。
現在の仲間との付き合いも、当然だが限定されてしまう。
痛し痒しと言ったところか。

・・・それに今ひとつ、体調管理もいささか不安だ。
だらしない生き方が、身についてしまっているような気がする。


やるからには、それなりに腹をくくらねばなるまい。
私自身のことはともかく、私を思って誘ってれた相手に恥をかかせるわけにはいかない。

いずれにせよ、後、三ヶ月の猶予をもらった。
やるにせよ、断るにせよ、体調がものをいう。
しっかりと鍛え直す時間を与えてくれたということだろう。

話を持ってきてくれた相手は、私よりも大分年上なのに、毎日元気に働いている所を、ずっと以前から見ている。
人は年齢ではないということだろう。

とは、言うものの・・・、なぁ~・・・?!

ひたすらに、時は過ぎいく。
何もせずとも。


・・・それにしても、相変わらず、私という奴は煮え切らない男だ。

影との対話

2019年12月10日 18時27分45秒 | 考える
影との対話
「お前は、何を求めてここまで来た? これから何を求めて生きていくのだ?」
ある日、ベンチに腰を下ろして、ぼぉ~としていた私に、目の前の影がそんな事を問いかけてきた。

「夢さ。 ずっと夢を求めてこれまで生きてきたんだ。 そう、これから先も同じだ。」
「夢か・・・、しかし夢はどこまで行っても、夢でしかないぞ。」
「そうだよな、それが今一番の悩みなんだ。」

令和元年12月10日(火) 今年も残り、あと3週間。 
今日もまた、無為な時が流れていく。
いくら自分は口下手だからと自覚していても、ずっと話し相手がいないというのは、本当に寂しいものだ。

とは言え、相思相愛の男女であっても、最初は「愛」として許し合っていたものが、時が経つにつれ、お互い、相手のやる事なす事が、段々と鼻についてくると言う。
それが何より怖い。

男女の関係とは、子を作り、子を育てる。
子が育ち、独立していった後は、ただお互い惰性で生き、そしてやがては死んでいく。
人の人生とは、結局それに尽きるのではないだろうか。

何でもそうだが、いくら好きな相手とでも、付かず離れずが、結局はいいのかも知れない。
あきらめ半分、やっかみ半分で、そんな事を考えた。

もっとも、今までずっと独りで生きてきた、きざるを得なかった私に、そんな人生を語る資格なぞないのかも知れないのだが。

やることも無く、私は今、ただ独り広場のベンチに腰をおろしている。
「何ともみっともないお爺さんね。 あんな男と付き合わずに済んで本当に良かった !!」
目の前を行く若い女性の冷やかなまなざしが、私を見て、そう言っているようだ。

どこにも居場所がない!!
喫茶店に入って、時間をつぶす。(もっと有効な時間の使い方はないものか?)
目の前で、若いカップルがコーヒー(?)を注文している。
私はといえば、向かいの椅子にカバンを置いて、ただ独り、ココアを飲む。

・・・・・、そろそろ帰ろうか。

自分の部屋に戻り、今日も又、独りタバコを吹かし、ウィスキーを飲み、チラチラと時計の針を見る。
私の思いとは裏腹に、時計は、何も言わず時を刻んでいく。
時間とは、本当に愛嬌も何もない。
そう、この酔いは、いつまでも、醒めてはならない。

人と機械の付き合い方も、また同様。
機械はどんどん、日を追うごとに進化している。
それと共に、操作も複雑になり、並みの人間には、そろそろ手に負えなくなってきた。
まして、私のような老人には、とても追いつけそうにないところまで来かかっている。
しかし、機械とは、そもそも人が便利に使うために創られたのではなかったのか?

仙人は これといった意味も無く ただ独り 街をさまよう。
私の夢はどこに行ったのだろうか?

人は何かを創造していってこそ、生きていく価値がある。
ひるがえって思う。
何も残さず、背を向けて去って行った私の過去。
呼びかけてみても、ただ素知らぬ顔でこちらを振り向こうともしない。

何であれ、物は眼に見えるところに置いてなければ、誰も見ることは出来ない。
物を置いた 当の本人自身ですらも。
また、いくら良いアイデアも、発表することなくしては、誰にも知られることはない。
食べ物は口にしなければ、その味は、どれだけうまいか、あるいはどれだけまずいのか、これっぽっちも分かりはしないのだ。

「万事にいろはず、一切を捨離して、孤独独一なるを、死するとはいふなり 
 生ぜしもひとりなり、死するも独(ひとり)なり。されば人と共に住するも独なり、
 そいはつ(添い果つ)べき人なき故なり」 一遍上人
 

いつの間にやら、また、ただ一人、私は町を歩いている。 
人波に流され、ふらふらと紛れ込んだ邪魔者だ。


誰も、自分の本当の姿を自分の眼で見ることなぞ出来はしない。 
他人が見て、語ってくれて初めて知ることが出来るだけだ。 
それだって、どれだけ本当の姿を伝えてくれているのか、実のところ分かりはしない。
 

空っぽの人生、酒とタバコの日々

2019年12月06日 18時57分20秒 | 考える
空っぽの人生、酒とタバコの日々
・・・あるいは空箱と日付のない日常。

私の捜し物は何だろう? 
捜し物は何ですかぁ?~♪ 見つけにくいものですかぁ~♪
以前、そんな歌があった。
どこかにカセットテープがあるはずだ。

それはともかく、私は、一体、君の何なのだ?
つまるところ、私は「ただのゴミ袋」に過ぎないのだろうか。

タバコとウィスキー、交互にやりながら、そんな事を考えている。
現在、私は、ニコ中、アル中、その「両中毒」というところだ。

冷蔵庫の中味を片付ける。
いくら冷凍していても、保存期間には制限がある。
それを、しっかりと心得て冷凍するべきなのだろう。

淡々と、 ・・・に徹する。
それが、私には、なかなか出来ない。

他人のすることに意見するのは勝手だが、それを強制するのは間違っている。
彼には彼のやり方、信条・信念がある。


同じ素材を元に書いていても、個人個人の表現は異なってくる。
当然の事なのだ。
それが良いか、悪いかは、読み手の判断次第だ。
実生活の行為、行動についても、また同じ事が言えるだろう。

つまりは、好きか、嫌いかの、どちらかでしかない。
他人は他人、自分は自分・・・ただ、それだけ。

それにしても、今日は寒い、 ・・・曇り空。
意味も無く、ひたすら独り、街をさまよう。

思うに、何にせよ、人は創造してこそ生きる意味がある。
たとえ結果として、それが他人に知られなくとも。


ブログは、私の影でしかない。
今日も又、何の目的もなく、ただ独り、「もう一つの人生」を求めて、さまよい歩く。