80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

酒と心

2017年07月30日 15時32分00秒 | 考える
酒と心 (風来居士)
2017-04-03 20:47:50
 < 以前、書いたもののようだが、未投稿らしい。
  コメント返しのような気もする。
   ・ちょこっと、書き加えてみた。>

人は、こうしようと 「自分自身」 で決めても、
なかなか思い通りには動かないようですね。
で、酒でも飲んだら、本心が出るのかな
 
・・・などと。


が、また、酒を飲んで出てくる 「本心」 って、 
実際には何の役にも立たないのではないか
・・・とも。

う~ん、どうなのでしょうかねぇ? 
どうすれば、まともな人付き合いができるようになるのか? 

答えのきっかけがないかな~・・・と。

「きっかけ・・・」 ねぇ。 

他人との付き合いが、ちゃんとできるようになるのか・・・
「ちゃんと」 以前に、
「他人と付き合う」、まずは、それ自体が難問として存在します。
ここをクリアして始めて 「まとも」 かどうかの問題に踏み込める
のではないでしょうか
 

ずっと考えていました。
「自分に限界があるはずはない。」
しかし、よくよく考えてみれば、「はず」 という言葉がちょっと
引っかかります。

「限界があるはずはない」 と 「限界はない」。

「があるはず」 たった 5 文字の差ではありますが、思考の
背景が大分違ってきます。


他人を当てにして生きる人生、当てにせねばならない人生からの
脱却を考えています。


広場のベンチに腰を掛けて、ずっと考えていました。
今、私にやれることは何だろうか?
どんなことが出来るのだろうか・・・?

今、私に出来ることといえば・・・、とりあえずは、「書くこと」。 

そう、今は、これしかないような気がしています。

眠れぬ夜に

2017年07月30日 02時30分01秒 | 考える
午前 2 時、ふと目が覚めて、そのまま眠れなくなってしまった。
やむを得ず、ブログを投稿することにした。


いま、自分は、一体、何を求めて いるのか?
どうも、そのへんがはっきりしない。

おそらく、私は、そこを求めて、街中を彷徨 (うろつ) いているのだろう。

飲み友達が欲しい。
言い変えれば、心開けて話せるカウンセラーが欲しい。
黙って、風来爺の愚痴を聞いてくれる相手が欲しい。
ただし、返事は不要、ご意見無用…。

所詮は、呆けかけた (・・・呆けた) 風来爺の一人言だ。

当てのない旅を行く風来坊が、ある時、ふと立ち止まって思う。
私は、今、一体どこに向かって歩いているのだろうか?
それが、私の迷いの始まり・・・。

風来坊は考えてはいけない。 
迷ってはいけないのかもしれない。


行き当たりばったり。
それでいい。

ある時、ふと立ち止まって、これまでの経過の意味を思う。
風来坊に 答えは不要。

風来坊は結果を考えてはならないのだ。

目的をもって、先を考えて歩いていたら、それはすでに風来坊ではない。

理想の女性を求める前に、自分が理想の男性であろうと、心すべきだ。

腹が減っているのに、何も食べたくない、食べられない。

否も応もなく時は過ぎゆく
いずれにせよ、他人のためにと心から願って為す。
その無私の行為こそが、功徳を得る最大の道だとか・・・。

4:30 目が覚めて、隣の部屋を見る。。
彼は読書中だったが、私の目覚めと入れ替わりに布団に潜り込む。


このところ、こういうパターンが続いている。
ちょっと、苛ついたが、
「そういうのも、また、ありかな。」 と容認する。
  (何とまぁ、偉そうに !!)
所詮は、「それぞれの意思を持った個人」 でしかない。

人は、それぞれに生き、考え、行動する。
他人がどうのこうの言ってみたところで、本人の行動が変わることはない。
何か言われて、変わるも変わらぬも、総てが本人の意志、それ以外の何もの
でもない。

一体、私は何をやるために生き続けてきたのだろうか?
このところ、やる気が薄れ、今、こうして生き続けているのも、何か面倒な
気がしてくる。
世の中、世界、あれやこれや、ものもの、総てが、所詮は他人事でしかない。

結局、誰でも最後は、自分一人、あるだけなのだ。
いかに困難なことでも、自分自身でやるしかない。
どうやら、そういうことらしい。

暗い夜も、時が経てば明るんでくる。
ひたすら、その時を待つ。


しかし、同時に、形あるものは、いずれ消滅する。
この私自身も、当然(?)・・・含まれる。 (・・・何故か、期待感)


これで、眠れる ・・・かな ??
う~む・・・?!

今日もまた・・・。

2017年07月29日 10時44分26秒 | 考える
もともと、社会は、多数の個性の絡み合いで成り立っている。
個人の思いでは、どうにもならない。

それは分かっているつもりなのだが、ひるがえって、自分の想い、
自分の希望を考えてみると、どこかに納得のいかないものがある。
自身の中に、社会の仕組みにピタッと組み込めないものを感じる。
 

社会にある、社会に生きていく以上、これはやむを得ないことだと
そう知りつつも、体がなじんでいかない。
心が拒絶する。


自分を生きたい。
自分自身でありたいと思う。


しかし、周囲との関わりで、こうしたほうが受けがいい、
そいつは、ちとまずかろう。
心の中で「理性(?)」が、そうつぶやく。

我思う。 ゆえに我あり。
我想う。 ゆえに我なし。


母さん、俺はどうすればいいんだ?
これから、どう生きていいけばいい・・・?
 

私はオロオロとして、ウイスキーの瓶に手を伸ばす。
ウィスキーをグラスに注ぐ。
トク、トク、トクッ・・・。

朝っぱらから、少し、酔ったのかな ?? ()

「レモンハート」 ・・・そんなかっこいい話じゃない!!


愚かさの極みだ。

やっと、窓の外が、ぼおぉぉ~っと明るさを増してきた。

ダァルマさん、ダァルマさん、にらめっこしましょっ・・・、
飲んだら負けよっ・・・、 アップップ・・・。 

もう、飲まないよ・・・!!
・・・ ()

う~ん、今日もまた、暑さの予感・・・。 
今日も、私はただ一人、燃える日差しの中を、さ迷い歩くのだろうか・・・?

「何かを為す」、それが生きること。

・・・何を・・・? 
やはり、少し 酔ったかな・・・??  

ふと思うこと

2017年07月28日 18時12分23秒 | 考える
客になるということ、それはある意味、相手に対して応対の機会を
与えるということでもある。

どのような職業でも、客あってこそ仕事が成立する。
客になること、それもまた、一つの 「社会貢献」 と言えるのではないか。
ふと、そんなことを考えた。

酒を飲む、飯を食う、マンガを読む。
そういう行為があって、それに対応する総ての職業が成り立っている。

ボケーッとして、ひたすらアパートの部屋にこもっている。
それすら、アパートの管理人、家主にしてみれば飯の種。

本屋にしろ、作家にしろ、読者あってのこと・・・。

病気になっての医者通い。
これも、言うならば、お医者様の、言葉は悪いが飯の種だ。

私の存在意義、
世の中は、持ちつ持たれつ、どちらも、互いに社会貢献。
 


他人を思い通りに動かしてみたい。 
そんな風に考える気持ちが自分の中にある。


時々、その気持ちが、頭を持ち上げてくる。
自分が主人公でありたい。
言うならば、そんな思いだ。

いやはや、これが70過ぎた盛年 (元気あふれる若い時期 ? ) の
考えなのだろうか? ・・・ 「盛年重ねて来たらず」

金が欲しい。
働きたい = 稼ぎたい。
金さえあれば、いささかなりとも、自分の思いに近づける。
そんな気がする。


美しく優しい女性と、二人で酒を酌み交わしてみたい。 

そんな歌があった。
二人でぇ、お酒を~っ、飲みぃましょうねっ、~♪
飲みぃましょうぉぉ~ねぇ~♪
  

パートナーが欲しい。
心のつながり、生きていくための支えが欲しい。
求めるものは「心の触れ合い」

まぁ、はっきり言ってしまえば、そんなものがあるはずもない。
それは・・・、分かっている。

そもそも私は、他人に多くを求めすぎていたのかもしれない。

自分自身を省みてみろ。

お前さんなどと、誰が付き合いたいと思うものか!!
そうだ、私以外はすべてが他人、・・・多人が他人・・・てか。

よく考えてみると、本当は、女性と言わず、気の合う話し相手、
いや、聞き上手な相手が欲しいだけなのだ。

昨年、私は、ずっと心の拠り所としていた女性 (母) を失った。 

今、帰るべき故郷なく、母もなく、行くべき先も定まらず。
積み重ねてきた過去も無く、何とも、中途半端な人生だ。

いいや、未来が、過去の延長でなければならぬ必要など、どこにもない。
未来は、常に、今現在、そう、この瞬間、瞬間が、未来を形作っていく。
 

町田、山崎団地祭り

2017年07月26日 17時51分56秒 | 考える
町田、山崎団地祭り
(投稿の順序が、後先になってしまった。)

7月23日(日) 曇り、一時雨がパラついたが、イベントに影響は
なかった。 

昨日、7月22日(土) に続けて、
山崎団地 「ちゃおちゃお祭り」

山崎団地の団地広場。
午前中から、出店に人が集まり、身動きもままならない。

混雑の中で、ビールを買って飲む。 
こういう中で、歩きながら飲むビールも、たまには、いいものだ。


一言・・・。

http://www.zelvia.co.jp/news/news-106293/

サッカークラブ「町田ゼルビア」 のホームページに
「ちゃおちゃお祭り」 のことが、ちらりと載っています。


夜、最後までねばって、午後 9 時ちょい過ぎ、家に帰ったら
弟が電話を掛けていた。 

私の顔を見て、電話を切ったので、「どうした?」と聞くと、
「私の帰りが、いつもと違って、あんまり遅いので、ちょっと心配
になって、警察に電話していたのだ。」 と言う。


いくら連絡がないとは言え、まだ午後9時 ちょい過ぎだ。 
子供じゃあるまいし・・・。

まぁ、それもこれも、半呆けの兄貴を気遣ってのことだろう。
有り難いことではある。


70過ぎの呆け爺さん相手では、さもありなんと言った所だろうか。
取りあえず、ごめんなさぁい・・・!!

7月24日(月) 薄曇り・・・ほとんど晴れ
風来居士、71歳の誕生日。
とは言え、他人様にとっては、無職のただの爺さんの誕生日など、
さしたる意味を持つとも思えない。

他人を気にしてみても、どうにかなるわけでもないが、
まぁ、言ってみれば、自己顕示・・・だろうか。

今日から一年、71歳・・・。
生まれて71年目と考えていたが、よく考えてみると、昨日で71年間。
71年間、生かしてくれた世間様に感謝・・・!!


今日からは、風来居士の「72年目」が始まる。 ()


朝、外は晴れている。 
家にこもっていると、息が詰まってくる。

階段を下りて、そのまま足を延ばして、昨日のイベント会場に行ってみた。
昨日までの屋台がすっかり整理されている。

また、元の広場だ。

言い古された言葉だが、祭りの後の静けさ、虚しさが目の前を吹き抜ける。  

ゴミもほとんどない。

あの後、出店の方とイベント推進委員会(?)の方々で、後片付けをして
くださったのだろう。
 

ありがとうございます。 

いやいや、昨日と、一昨日の、あの喧騒が、今では嘘のようだ。