80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

相模原に

2016年09月26日 22時05分53秒 | 考える
9月26日(月曜) 晴れ、本日休業。

他人の事は、気にしない事にした。
・・・という気の仕方もあるのではないか。


気になる。 気にする。 気にかける。 
と、いくらこちらで気にかけても、当の相手がまるで反応しないのでは、
全然意味が無い。

もっとも、それが本来、大人の対応、
大の人間同士の生き方というものなのだろう。

また、もしも、こういう状態が思わしくないとするならば、
自分自身で、何らかの解決方法を見つけなければならない。
いちいち他人に相談する問題ではない・・・と、個人的には思う。


どうやら、いつの間にか、私は人づきあいが苦手になってしまったらしい。
わたしは他人の話を聴くのは好きだが、自分から話すのはどうも苦手だ。

だから・・・?
だから、どうだ・・・?、 どうしようっていうんだ・・・?!



閑話休題

出来るなら、「レモン・ハート」で、飲めるような酒飲みになりたいものだ。
つまるところ、飲み友だちでもいいから、欲しいといったところか。

そう言えば、相模原の 「ア・ドマニー」 はどうなっているのか?
昔は、ちょっと恰好つけて、ブランデーなんぞ注文してみたものだが・・・。

思い出したら、凄く気になってきた。

この所、何十年もご無沙汰だが、もう一遍、寄ってみたいものだ。
そうだ、今度、ちょっと行ってみよう。

大体、まだ、やっているだろうか・・・?
それが、ちょっと心配だ。

思い切って、駅で相模原行きの切符を買ってしまった。

駅前にあった、もとの印刷所、もちろん、今は跡形もない。
何とかのお店になっている。

さればと、一人暮らし初めてのアパート、 「山福荘」 を尋ねる。

意外と遠い。

本通りの様子も大分変化している。
やっと本通りに直行している西門通りに着く。

ここも、かつての賑やかさを失って、しぃ~んとした風情だ。
もっとも、よくよく考えてみると、今日が月曜日だったせいもあるかも・・・。

それはともかく、「山福荘」はと言えば、尋ねてビックリ、見てびっくり。
「立ち入り禁止」・・・、周囲に綱が張ってあるではないか。

私が退去した後、建て替えて、入居者があったのか、
おそらくはあったはずだが、
何故か、今では誰も住んではいない様子だ。

う~ん・・・、出てよかったのか、どうだか・・・、
ちょっぴり考えさせられた。



ならばと、わざわざ、相模原まで来た本当の理由。
「ア・ドマニー」

昔、仕事帰りとか、休みの日に、ちょくちょくやってきては、
かわいいウエイトレスを前に、コーヒーやら、ウヰスキーを飲んだものだ。


さすがに、当時の女の子はいないだろうが、
それでも、まだやっていたら、 1杯飲んで帰ろう ・・・ というのが、本来の目的。

何やら様子は変わっていたが、昔と同じ場所に、確かにあった。
階段を上がると、何と、 「本日、休業。」 の札が・・・。

「お~い・・・!!」

それは無いよぉ・・・。

私の人生は、いっつもこんな調子だった。

今後の人生は、一体どんなものになるのだろうか・・・?

風来居士、独りつぶやく。

2016年09月24日 19時53分18秒 | 考える
仕事・・・自分としては、一生懸命、精一杯、勤めてきたつもりだ。
しかし、今になって、改めて考えてみると、どうだったんだろう?

結果として、面倒な作業は避け、自分がやりたい事、やれる事(?)だけ
やってきたような気がしないでもない。

本来は、自身、全く逆のイメージを想定していたはずだった。


他人から見たら、私は実につまらない、付き合いにくい人間、
・・・反応の返ってこない人間だと思う。

もう少し、人間的に厚みがあったら、
仕事においても、付き合いにあっても、それなりに形になったのかも
知れない。

「何が、お得意ですか?」と問われても、即答出来る素地がない。
何だかんだと、70年間も生きてきたというのにだ。

一体、私は何を積み重ねてきたのだろうか?


ここずっと、天気が安定しない。
晴れだからといって、傘を持たずに出掛けると、決まって曇りから雨。

人影の少ない会館で、独りノートを開いていた。
ふと気がつけば、外はかなりの雨。

話し相手が欲しいというのが、本音なのだが、
その相手と何を喋ったら良いのか、まったく、見当がつかない。

しかし、このまんまで人生を終わってしまいたくはない。
出来れば、何か形のあるものを、どこかに残しておきたい。


で、何ら当てもなく、一人出掛けてみる。
ひょっとして、もしかすると・・・。

ふーむ、今さら、そんなことを考えるのは贅沢なのだろうかなぁ?

2016年5月21日(土) の記録より

2016年09月23日 16時54分08秒 | 日記
平成28年5月21日(土) 晴れ

誰でもが、時折は本音を吐きたくなる時がある。
そんな時、じっとそれを受け止めるだけのパワーを持った人間でありたい。


今、私が生きているのは、決して他人のためではない。

それに、いつまでも、他人の稼ぎを当てにしているようでは、何も進まない。
年金とは、言ってみれば、他人の稼ぎを分けてもらっているようなものだ。

考えてみれば、そういう事だ。

自身の声に耳を傾けろ!!
決めて、そして始める。

「何が何でもやってみせる・・・!!」
そう決めた瞬間に人生が変わる。

失敗というオプションは切って捨てる。
「失敗しなかった。」 とは、「決断しなかった。」 という事だ。


今の私、一体、何が信じられる?
何を信じていいものか?

人生に、期待なぞするな。
期待とは、常に絶望との背中合わせだ。

今後に、一体何を求めているのだ。


人生、寄り道しようにも、すでに、その場も、時間も、何より金が無い。


伊勢崎から電話があった。

会いに行く。
・・・後悔しないように。


思うに、今を乗り切ったら、道がまた拓けるような気がする。

・・・・・・・

もう一度、お袋と、どこかに行きたかったな。
出来たら家族全員で・・・。

・・・って、今さら。


人生には思わぬことばかりが起こる。
まぁ、考えてみれば、私の人生、いつだって初めてなのだから。

今までも、そしてこれからも。

今、私が生きているのは、断じて、他人のためなぞではない。



この記録は一部分、2016年5月21日(土)に書いたものなんだよな。
当日は、晴れだったらしい。
ちょっと手を加えてみたが、もしかすると重複しているのかも知れない。

多分、多分、多分・・・・。

2016年09月22日 10時30分49秒 | 考える
9月21日(水) 明日は、秋分の日・・・。
9月22日(木) 今日が、多分、秋分の日だ。


多分 : 大辞林 第三版の解説
たぶん【多分】
①  量の多い・こと(さま)。
 たくさん。 「 多分の礼をいただく」 「 多分な御寄付をいただき…」
②  (多く「多分に」の形で)
 かなり多いさま。 「 多分に疑わしい点がある」 → ご多分
③  大部分。大多数。
「奥州五十四郡の勢共,多分はせ付て程なく十万余騎に成にけり/太平記 19」

( 副 )

(多く下に推量の語を伴って)断定はできないが,そうなる,
またはそうである可能性が高いと推量するさま。
大方。おそらく。 「明日は多分晴れるだろう」 「多分行けると思う」

その割合が多いさま。多くは。
「多分人ワカシコダテヲシテ,シソコナウモノヂャ / 天草本伊曽保」



ずっと独りで歩いてきた・・・。
自分ではそう思っていた。

今になって考えると、 「ず~っと、フォローされてやってきたんだなぁ」 と気付く。

会社を辞めて、すでに 5年 が経つ。
何だか、他人との付き合い方をすっかり忘れてしまった感じだ。

今は秋・・・多分、秋。

懐の 中身寂しい 秋の暮。

一雨来そうな曇り空。
傘一本、持っていこうか、いくまいか。

今日は、・・・多分、水曜日・・・かな?
毎日、カレンダーにチェックを入れておかないと、今日の日付も忘れてしまう。


退院して此の方、日を追ってやる気が失せていくような・・・。
以前は、何かジタバタだけど、それなりにやる気だけはあったんだがなぁ。

「木曽山崎コミュニティセンター」
ここって、もしかすると老人センターなのかも・・・。

他人と相対しても、何を喋ればいいのか、何をすればいいのか?
・・・どうにも見当がつかない。


会社にいた頃は、黙って作業していれば、それなりに格好が付いていたのに・・・。

退社以降、自分が何をしたらいいのか・・・?
いちいち考えて動かなければならなくなった。

・・・全く、 考えていなかった事だ。

ともかく、他人を目の前にしても、ちょっとした話題を見つける事さえ出来ない。

私は、多分、人嫌い ではないと思う。
ひょっとして、人見知り なのだろうか?

昔は、以前は、いつも時間が足りなかった。
今は、時間がいっぱいありすぎて、
時間の中に埋もれてしまいそうだ。


このままでは・・・多分、息がつまる。
何とか、せねば・・・。

認知症マラソン大会 補足

2016年09月21日 08時18分05秒 | 考える
何事も、周囲周辺から、少しずつ 少しずつ 変わっていく。
変わっていかなければならない。
無論、この私自身も。

その第一歩、きっかけであると考えれば、理解、納得出来る
ような気もする。

もちろん、理解が行動に繋がっていく必要はあるだろうが。
見知らぬもの同士が、ちょっと一声掛け合っていく事で、
周囲も巻き込んで変化していく。

一遍に頂上まで登り詰める必要はない。
また、そんなことは出来はしない。

この先には何があるのだろう?
ちょっと、登ってみようかな?


外から見ていて、ただ、そう思ってもらうこと。
それが第一歩になるのかも知れない。

今は、そんな気がしている。

昨日は、偉そうなことを投稿してみたが、
その投稿を、改めて読んでみて、そんなことを思った。

ボランティアの方々、大変失礼な言い方をしました。
気に障っていたら、ごめんなさい。


ちょっと・・・、いやいや、大いに反省 !!