80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

夏本番

2015年07月31日 17時23分30秒 | 考える
2015年(平成27年)7月31日 (金曜日) 晴れ

熱中できる、夢中になれる仕事が欲しい。
(ここから既に他人任せ?・・・自ら動かねば、何も得られない。)

今日は月末。
またまた、今日も暑くなりそうだ。 

気温ばかりが高くなっても仕方がない。
自身のハートを熱くせねば・・・。

そういえば、69歳になって1週間。
すでに8日経過。(このところ、日数ばかり勘定している。)
焦りだろうか? ・・・何も進まない!!


昨晩、食パンを食べた。  
開けたばかりだから、大丈夫だと思ったが、
よく見たらしっかり青カビが生えていた。

気づくのが遅い。
まぁ、ペニシリンの原料だから(?)・・・と、いうことで。
結果、残り廃棄。
「正露丸」を飲む。(・・・これとて、何年前のか不明。)  


時間 (賞味期限) をおろそかにすると、
何事も手遅れになるということかもしれない。
そう言えば、冷蔵庫の中身もチェックする必要がある。

私自身、この先、1分1秒後、どうなっているか分からない。
単に、今現在、私は生きているという事にすぎない。
・・・胃袋の中は青カビだらけかもしれないが。


行動することで、未来を削り取って、過去として固定化する。
その作業を延々と続ける。
その過程で、「生きている」実感を得る。


今日は2015年7月31日。 ・・・月末。

何事も、安心しきってしまうのは、危険だ。
一刻先は、目に見えない。  

永遠の、永久の・・・は夢でしかない。


総ては期待でしかない。
どう動いても、同じ結果 (唯一無二という意味だ) しか出ない。


人は複数の人生を生きることはできない。

ともかく、今日も目覚めた以上、ここから出発する。 

で、何をやるか?
しばらくは、何もせず、様子を見ようか・・・などと。


タバコを一服・・・・。 


「人づき合いを大切にしている」 ことを不必要に公言する人は、
本当の深い人間関係をもっていないと考えて、まず間違いはない。
人づき合いなどというものは、端的に言えば、
「よい加減に」 やっていると 一番うまくゆくものである。
よい加減にやればいいことを真剣にやる人は、だいたい、
真剣にやるべきことをよい加減にやっているものである。

  河合隼雄先生 (「PHPアーカイブス」平成26年5月特別編集 増刊号より)

WORK IN PROGRESS 進行形 発展途上

2015年07月30日 08時37分34秒 | 考える
WORK IN PROGRESS 進行形 発展途上

ネットを見ていたら、出てきた。
いい言葉だと思う。


7月22日(水) 5時14分 晴れ。
7月30日(木) 7時10分 晴れ。
(日付を入れ替えてもあまり関係のない文章・・・?)


快晴、今日もまた暑い1日となりそうだ。 
夏本番。
水道水が生ぬるい・・・。


ともあれ、水分補給。
水を飲め。   
冷蔵庫の食糧を無駄にするな。



私は、何のために生きようとするのか? 
これまでの人生に『意味』を持たせるため・・・?
私は何がやりたいのか?
取りあえず、人に頼らずに生きていくことだろうか。


血圧が低い。
上87、下55、・・・酒のせいか? 
それほど不調とも思わない。

風の音が聞こえる。 (エアコン・・・?)
空耳ではない・・・はずだ。


今日をどう生きるのか?
タバコを・・・今日、すでに3本目。 
いや・・・4本目。
現在、午前6時40分。 (7月30日(木) 現在、午前7時20分)
・・・・。

朝飯にする。
ゴボウの和え物サラダ(?)、ゆで卵・・・うまし!!
(7月30日、ナビスコの「リッツクラッカー」・・・ちょっと宣伝。
 ・・・うまし!!  手が止まらない。 困ったものだ。)


ふと思う。
君が何を考えているのか、さっぱり読めない。
まだまだ、私は未熟と言うことか。

が、私に遠慮して、結果、無駄に捨てるより、
君が、自分の好きなものを自由に選んで、
きれいに片付けるほうが、理に合っていると思うのだが。
 ・・・(食事の話だ。)
お互い、精神的にも、その方がいい。

とはいえ、これは個人的な愚痴に過ぎない。
人付き合いとは、すべからく、こんなものかも知れない。

本当に難しい。
たとえ、相手が兄弟でも。


人生とは、結局は、無駄の積み重ねなのだろう。
他人と分かり合いたいなどというのも、
所詮、相手にとって、そして、本当は自分にとっても、他人事なのだ。

きれいごとを言って、自分を納得させたいだけなのだろう。
人間は理屈では生きていかない。
理屈は、結果、自分が納得するための後付だ。


それにしても暑い!!


ブログ・・・、雑文とはいえ、本人はけっこう一生懸命書いているつもり。
しかし、よく考えみると (今さらかい!!) 読む方はもっと大変だ。

大切な時間を割いて読んでくれる。
それに値するものを書かねば申し訳ないと思う。

読後、内容が、自分の求めていたものと違ったときの失望感。 
私自身も、そうだ。

言い訳だが、本当に難しい・・・。


知識も大切だが、知恵をもっと出せ。
知識は比較的簡単に手に入るが、
知恵は大きな努力と体験がないと、なかなか手に入らない。
   (日清食品創業者 安藤百福)
  

ごもっとも。
しかし、私の場合、知恵はもとより、知識もない。
肝腎の体力すら、危機に瀕している。
なるほど、「危機に瀕する。」・・・ってこう書くのか!! 
(パソコン様々・・・でも手書きでは無理だ。) 

結局は、うろうろ、おろおろと、動き回るより、方法がない。 
どうどうめぐり・・・。

夢を見た。

2015年07月25日 13時15分49秒 | 考える
7月25日(土) 昨日、24日が私の誕生日。

69歳、初日の夜。
かなりはっきりとした夢を見た。
これは、「69歳の初夢」 というべきか。


昔、勤めていた印刷会社の奥さんに、
印刷物の校正ミスを指摘されている。
本当に初心者級のミスだ。

「まだまだ、お前は未熟で中途半端だ」
いうことだろう。


お前さん、年寄りぶってはいるけど、
そもそも、69歳は初めて、初心者なんだからね。
今後も生きていくなら、
もっと精進しなさいよと受け取る。



よくよく考えてみると、やってくる明日は、
常に私にとって初めての一日。
なるほど・・・、
言い換えれば毎日毎日が初心者ということだ。


社長も、奥さんも既に亡くなっている。
もう十何年になるだろうか?
生前は本当にお世話になった。

今なお気にかけていてくれる。
これは、本当にありがたいことだ。
今さらながら、ご冥福を祈る。


自分の生き方を変えるのは、並みの事ではない。


あと365日で70歳。 (来年は閏年とか・・・。)
あくまでこだわる風来居士だ。


我が輩は風来居士である。 
70歳での計画はまだない。


「説得されても人は変わるものではない。
誰もが変化の扉を固くガードしており、それは内側からしか開けられない。
説得によっても、感情に訴えても、他人の扉を外から開けることはできない。」
  マリリン・ファーガソン(米国の社会心理学者)
     スティーブン・R・コヴィー著 「7つの習慣」より

間もなく69歳。

2015年07月20日 09時41分43秒 | 考える
人とはこうあるべきだという思い込み、決めつけが、生きづらさを生んでいる。
自分の人生を過不足なく見直してみる。

他人には負けたくない。
ずっと、その想いが強かった。
だからといって何をするわけでもなし。
結果として、他人に助けられ、甘やかされて、生かされてきた。
自分として、ことさら努力もせずに、ただ生かしてもらった。

結果、自分としては、負けっ放しの人生だったと感じている。
今となっては、人より長生きをすることで、
名誉(そんなものがあればだが)挽回のチャンスを待つ。
密かに、そう思っている。

間もなく69歳。 
来年は70歳。
2016年は閏年。
今日、7月20日(月) [海の日だそうだ] から数えて、
ちょうど370日で70歳 (・・・多分)。


ふと気がついた。
多分、私は故郷を求めている。

あと50年、120歳まで生きて、その先、一体どこに行けばいい?
そう考えた時、私の帰る町がないことに気がついた。


何か、総てが面倒くさくなってきた。 (いつもの事だ!)

中でも通常の人間関係。

私は、「関係」に臆病になっているのかもしれない。
人はそれぞれ自由に生きていい。
そうは思うが、現実には、なかなかそうもいかない。

関係が拒絶される恐怖。
関係が途切れる恐怖。
それより何より、関係が重荷になる恐怖。 


ならば、最初から関係を持たねばいいのではないか。
そう思ってしまう。


人は完璧な生き物ではない。
常に「未熟」を背負って生きている。


名の知れた書物を読む。
考えてみると、本当の意味での読書って、まだ、していないような気がする。
今さらながら、古書(?)の乱読なんぞ、いいのかもしれない。
ひょっとして、70代の生き方が書かれているかもしれない。


オンザロックの氷が自然に立ちあがった。 
これって、何かの前兆か?
まっ、いい方に解釈して・・・。
だから・・・?

止まれ!!

「誰の人生を生きているのか?」
  ↓
あなたの人生は限られている。
だから、他人の人生を生きたりして
無駄に過ごしてはいけない。
    スティーブ・ジョブズ
 「賢人たちからの運命を変える質問」 マツダ ヒロミ著 (株)かんき出版

私の顔

2015年07月12日 23時18分00秒 | 考える
7月10日(金) 午前5時40分、曇り。
起動前のパソコンモニターに、私の顔が映っている。 
起き抜けで何とも冴えない顔だ。
もっとも冴えないのは、いつものことだが・・・。

眼に光がない。
虚ろな穴が二つ・・・。
鼻の上に2カ所、ボコッと空いている。
そんな感じだ。

無気力だということか?
今日は何をしようか?


現在、こうある事を、そのまま受け入れる。
それが私だ。
その上で、自分が必要な存在である事を確かめる。
検証の旅に出る。  
自己満足だけでは不安なのだ。


7月11日(土) 午前6時25分、久々に快晴。 
何か起こって欲しいような天気(?)だが。

弟はすでに仕事に出掛けた。
窓から後ろ姿を見送って、今、独りタバコをふかしている。 
うまいとも思わないが、最近は、多分、惰性・・・。


淡々とした共同生活。
こういう生き方もいい・・・・・のか?

う~~~ん・・・???


親子、兄弟、友人、恋人・・・、

結局、関係とは「縁」だ。
「縁」は、個人的に選択して、どうこう出来るというものではない。


ふと思う。
話し相手が、というよりは聞いてくれる、
自分を受け入れてくれる相手が欲しい。

多分・・・、そういう事なのだ。
意見してくれる相手が欲しいわけではない。
面倒くさいのはごめんだ。
これって、やはり、わがままに過ぎるのかもしれない。


「あなたって、ほんとに勝手な人なのね!!」
きっと、相手から、そう言われそうな気がする。
私が一番嫌いなのは、私自身だ。 


私は一体何がやりたいのか?
いつも思っている。
自分のやりたいことが分からない。
これは、考えてみたらおかしな話だ。

結局、今現在、自分に何が出来るか、
それが分からないということなのだろう。  

形にとらわれてはいけない。
型にはめようと思うな。


眠くなったら寝たらいい。
宝くじも当たりたくなったら、当たるだろう。
・・・多分。


明日、死んでいいとは思わない。
しかし、死んだら死んだで、
当の私には分からない・・・はずだ。
・・・多分。


ティーカップの底には鳥のかたちが――
  外の世界に目を開きなさい
   「紅茶占い」

  (「魔法の杖」ジョージア・サバス著 ブルームブックスより)


う~~~ん・・・。