80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

継続は力なり。

2015年09月30日 07時03分08秒 | 考える
9月28日(月) 快晴
自己の存在を多少なりとも認めてくれる存在が欲しいと思う。

単に物理的な居場所の提供者以外の何物でもない。
そんな存在って空しすぎないか?

私は、いても、いなくても、いい存在。

否、自分の空間さえ保つことができるなら、
彼にとって、私など、むしろ、いない方がいいのかもしれない。


広場のゴミ箱に捨てられたスポーツ新聞を、
手を入れて、引っ張り出している人がいる。

廃品の有効活用、情報の再利用、
そう言ったら、聞こえはいいが、
つまるところ、新聞代の節約だろうか。

でもなぁ・・・???、などと考えている私には、
まだまだ、多少の余裕があるということだろうか。


この所、天気の読めない日が続いていた。
朝、晴れているので、そのつもりで出掛けると、
昼にもならぬうちに、雲が増えて、
午後からは、かなりの雨になる。

そのせいだとは言わないが、
ここずっと体調が思わしくない。

頭が重く、腹具合も今いちだ。


何かやるつもりでいても、
天候と体調に拒まれてやる気が失せる。 
と、「無気力」への弁解。

さりとて、家で読書 ・・・などと考えても、  
集中力が保てない。

一冊の小説、内、一章が読み切れない。
やること、為すこと、形にならない無力感。


「継続は力なり」とはよく言ったものだ。
・・・と、標題を、無理矢理に押し込む。


さらに、仲間に対するモヤモヤした罪悪感・・・無力感、
そして、意識の底に、多分、対抗意識。

このまま過ぎていく日々 ・・・、その閉塞感


スターバックスで、いつもの「ダーク・モカチップ・フラペチーノ」

この店では一応、常連顔をしている。
店員さんとは、顔見知り。

これぞ、まさに「継続は力なり」だ。

また、客の誰とも知り合いではないが、何となく、連帯感・・・。

無関心と明るさの演出。


とは言え、唯一、落ち着けるのが、我が家ではなく、
スタバの一席とは、何か空しすぎる現実だ。

カップを支える右手の親指が、軽いけいれんを起こした。
やはり、歳なのか・・・いやいや、・・・。
数秒で(?)、回復した、・・・と、いうことで。

いつの間にか、題名から逸れて、
またまた、話が愚痴っぽくなってしまったようだ。
その後、注意はしているのだが。

まぁ、それはそれで、逆に、私らしくていいのかもしれない。
・・・などと。

(たった今、気がついたのだが、投稿日時の時計が狂っていたようだ。
  ずっと、そのままだった。・・・
即、修正!!)

ちょっと無理して

2015年09月28日 17時59分24秒 | 考える
自分のブログ (下書き) を書き直しているうちに、ふと気がついた。

この所(?)、ブログの内容が、暗く、重たくなっている。 
そんな気がした。

実際、そんな心境なのだから仕方か無いじゃないか・・・!!

そう言ってしまえば、それまでのことなのだが・・・、

ちょっと無理してでも、
明るい記事を書いていくようにすれば、
書いている本人の気分も、
少しは明るい方向に向かっていくのではないか?
 

そんなことを考えた。


今のこの時間が、今やっていることが、
きっと、明日に繋がる。

明日という字は明るい日と書くのねぇ・・・~♪ 

昔、そんな歌があった。
検索してみると、
アン真理子さん作詞の 「悲しみは駆け足でやってくる」 だった。

好きな歌だった。
・・・それでも時々悲しい日もあるけどぉ~
    だけどぉ、それは気にしないでねぇ・・・~♪
 
この歌で、大分励まされたという記憶がある。


いいことも悪いことも、踏み台にして、高みによじ登ればいい。

なかなか難しいことだが、努力してみる価値はありそうだ。 


いくら他人が読んでくれたからといって、それがいい文章だとは言えない。
心せよ。



人生は常に頂上に近づくほど困難が増してくる。
寒さは厳しくなり責任は重くなる。   ニーチェ

 
数年前の自分と比べてどれだけ成長ができていますか?

 「賢人たちに学ぶ 道をひらく言葉」 本田季伸 (かんき出版)より  

秋祭りの日に

2015年09月27日 08時46分53秒 | 考える
9月26日(土) 午後

考えてみれば、9月も間もなく終わる。
10月・・・、今年も残り3ヶ月。


一人暮らしは、気ままなものだ。
誰もこちらを気になどしないが、
こちらが気にせにゃならぬ相手もない。
自由気まま、そのままに生きればいい。 


他人との付き合いは、いつか重荷になる時がくる。
誰かが私のために、ちょっと無理をする。
逆に、私が誰かのために、ちょっと無理をする。

その小さな無理が重なると、我慢の限界が来る。 

人はバランスを重んじる。
アンバランスのまま、生きていくのは苦痛以外の何物でもない。


「誰か、私と変わってくれぇ・・・!!」 となる。


見まわすと、周囲が総て年上に見えてくる。
すでに、70に手が届こうという自分の言うことではないかも知れない。
それだけ、こちらの気持ちが 若 (バカ?) いということだろうか。

わずらわしい人づきあい・・・。
大昔、親友(?)に騙され、裏切られた経験が、今だに尾を引いて、
全面的に、心から、他人を信じる事が出来なくなっている。
 



他人からの影響は受けやすいが、
こちらからの影響力は、全く (と、言ったら、さすがに自分が可哀想だが) と
言っていいくらい無い。 



いつの日か、
自然に、流れのままに、生きていくことは素晴らしい!!
・・・などと、思えるようになれればいいなと思う。 


そんなことを考えている目の前で、
太鼓の音に合わせ、面をつけた「おかめさん」が踊っている。


今日、明日は、(あっ、日付変わっている。 昨日、今日・・・か) 神社の秋祭り。
テンテン、テテン、テン、テテン・・・。

9月27日(日) 朝  曇り空・・・。

祭りだ、祭り・・・。
テンテン、テテン、テン、テテン・・・。

廃屋始末

2015年09月26日 23時53分42秒 | 考える
9月26日(土) 午前

私の存在感、アイデンティティー・・・。
この所、そんな言葉ばかり、頭に浮かぶ。  


私は他人にとって、一体、どんな価値があるのだろうか?
(そう、必要なのは、ただそれだけだ。)

彼にとって、私は、単に住居の提供者・・・ 
それ以外の存在ではない。
(正直、そうは思いたくないのだが・・・。)



町で、身体が思うように動かないお年寄りを見るたびに思ってしまう。
私がああなってしまったら、彼はどう対応するだろうか?
     ??


私の思いのように、空に雲が増えてきた。 


バスに乗る。  
傘を持たずに家を出たが、この後、天気の保障はない。

バスの通り道の横に、今にも崩れそうな廃屋が1軒あった。 

通るたび、建て替える資金が無いのかな、などと勝手な想像をしていたが、
今日はきれいな更地になっていた。


所詮、人の住めぬ廃屋は、所詮、解体されて更地になる運命らしい。  

何の仕事も見つからない私、
最後は、あの廃屋同様の道を辿るのかも知れない。


そう、他人のことまで悩めるような立場では無い。

お互い、個性を持った大の大人なのだ。


人は、人の運命は、本当にその時になってみなければ分からないものだ。
今晩はともかく、明日の朝、何が起きているかは想像もつかない。


出来るのは、皆に、素晴らしい朝がやってくるのを願う事だけだろう。  


しかし、だからといって、迷っていても仕方がない。
迷いは相手があってこそ、初めて起こる。

相手に私が見えていない以上、当方が迷う必要など、これっぽっちも無い。


必死になって守るべきもの (雨の日に)

2015年09月25日 21時10分04秒 | 考える
失うものが大きいということは、知ることも多い

 自分の幸せを守ることに必死になっていた時には、見えなかったものが、
いま、少しずつ見えて来たような気がする。
 生きるということは、つらいことだと、思うけれど、痛みをかかえながら
生きるということは、身の幸せを守るために高い塀をめぐらしながら生きる
よりも、学ぶことはたしかに多い。

森村 桂 作家(1940~2004) PHP 1978年8月号掲載
「前向きに生きる100の言葉」より
  


私の長所短所。
成功と失敗。
失敗も一つの経験、成功への踏み台だ。 


まずは自分を知る。
(相変わらず同じ事を・・・進歩がない!!)
いわば 「自己調書」
自己表現の確立。
・・・まだまだ 「自分」の売り込み が弱い。


9月24日(木) 快晴
定期診断に行ってきた。
「タバコは止めた方がいい」 と先生が仰っていた。
当然の話。

この所、逆にタバコを吸う量が増えた。 

心せよ!!


9月25日(金)

今日は、朝から雨。
それもかなりの大雨だ。 
人の心と秋の空・・・とは、よく言ったものだ。

あっ、この表現、いいな。
自画自賛。
これなら、男女、いずれからも苦情は来ない・・・はずだ。



森村先生の言葉。

「自分の幸せを守ることに必死になっていた時には、見えなかったもの・・・。」

そもそも、私には、「必死になって守るべき幸せ」が、未だに見えてこない。

私は、ずっと、今日の空のように、分厚い雲の中を彷徨ってきた。


朝からの雨のせいだろうか、
窓より空を見上げ、そんなことを考えている。

この雨、まだ、しばらくは、やみそうにない。