田井ノ浜で元漁師さんにお話を伺い、かつては湊町として栄えていたという由岐に興味を持った。

せっかくだから町を歩いて見よう。 浜のベンチでストームクッカーを使ってお湯を沸かし、ラーメンでお昼ご飯を済ませると、町まで移動。
***
クルマを停め、町を歩いてみる。 まずは、八幡様に参拝。

さすが湊町である。 海上安全の神様であった。
***
通りには、かつての名残を残した建物も多く残っている。

ある家では、玄関の軒下に貝が吊り下げられていた。 おお、これは!
沖縄あたりでは、このようなトゲトゲの突き出した貝を、魔除けとして飾る習慣があるが、そのような流れの一つだろうか。 うちでも、この貝とは違うが、沖縄の浜で拾って来たスイジ貝を庭に置いている。
漁港にやって来た。 カゴの中には、自然の石を利用した錘。 そして他の石には屋号か名前が書かれている。

石も、大切な道具なんだなあ。
***

舫ってある漁船を眺め、写真を撮っていると、一人の方が自転車でやって来られた。 見ると、自転車の後ろには”仕掛け”が積まれている。 漁師さんだ。
『こんにちは。 ここの船は、何を獲る船なんですか?』 『今は太刀魚じゃね。 延縄漁』
『ここに積んであるのは、その仕掛けですか?』 『そうよ。 これははえ縄の最後に付ける板よ。 ここに鉛を付けとるからしっかり沈んで、長い延縄の糸が弛まずに、海の底から船までしっかり伸びるようにするもん』 『これは手作りですね』 『そうよ。 自分で作る』

『昔は藻ジャコ漁いうのをやりよった』 『はい、さっき浜で出会った元漁師さんから話を伺いました』
『あれはな、切れた流れ藻に居着くブリの子供を獲るんよ。 網で流れ藻を囲って捕まえ、生簀で活かす。 そうして編み目の大きさを何段階にも変えて、大きさで分けていくんや』 『なんでですか?』
『混じっとったら、大きなやつが餌を全部たべてしまうやろ。 じゃから同じくらいの大きさのやつを集めて一ヶ月ほど育ててから出荷しよった』 『なるほど、そうやって歩留まりを上げてたんですね』
***
『ここの船は、キャビン言うんですか、操縦室が大きくて立派ですねえ』 『昔は吹きっさらしじゃったがなあ。 快適になっとるよ。 今の若いもんは冬の寒さや厳しさには耐えられんじゃろうなあ』

『あの、上に付いとる丸い輪っかみたいなのはなんですか?』 『あれは方向探知機。 方探いうて言いよる。 無線で連絡したら、それで電波を出した船の方向が分かる。 仲間の船を近くに呼ぶ時に便利なんよ』
『今じゃあGPSがありますよねえ』 『それがな、GPSで場所を言うたら、仲間じゃない他の船にも位置が分かってしまうじゃろう。 そしたらせっかく釣れよっても、回りに船が集まって来たら漁がしにくいじゃない。 じゃから、今でも方向探知機がええんよ』 『なるほど。 同じ漁船でも、地域や港でいろいろ違うんですねえ』
***
『漁師さんにもいろいろ話を聞くんですが、GPSじゃ、レーダーじゃ漁探じゃいうて、お金が掛かるらしいですねえ』 『ほうよ。 結構掛かる。 でも今の若い漁師は、ああいう機械を使いこなすけえ、早う一人前になりよるなあ』と笑う。
『昔は山立てして、底の地形も覚えて、いうて一人前になりよったんじゃが、今じゃあ同じ場所に行こう思うたらメモリーしときゃあええんじゃけん』
『ここの船も、漁がえかった頃は6年位毎にエンジンを載せ換えよった。 けど、今じゃあ15年もののエンジンがほとんどよ』 『そうでしょうねえ。 エンジンも高い言うて聞いとります』
***
『ところで、私の地元、広島の呉には、
家船を使った太刀魚漁で有名な豊島』いう島があるんです。 ここでも太刀魚の延縄漁をやられとるいう事ですが、聞かれたことはありませんか?』 『うん、たしかに昔は、広島から夫婦で旅して来る漁師がおったのう』 『え、そうですか!』
『船の前の方にテントを張っとる船じゃろ。 ここの港には入りよらんかったが、わしらも淡路島の方まで漁に行きよった頃に一緒になったことがあって、それで知っとるんよ』
『あの人らは、短いときでも一潮。 長い時には半年ほど、家船で夫婦で遠くまで出掛けたそうです。 対馬や大分、長崎。 こっちの方では和歌山の方にも行きよったいうて聞いとります』
豊島の家船と、実際に一緒に漁をしたことがある方に、ここ徳島で出会うことができた。 感慨無量!
まさに旅は『縁』である。 四国に漕ぎに来て良かった。
***
様々な出合いに恵まれた今日一日の幸せを噛みしめながら、蒲生田岬の近くにある『船瀬温泉』に戻り、ゆっくりと風呂につかって潮を抜き、体の疲れを癒す。

今日は、この近くで車中泊。 明日は風が落ちてくれるといいなあ。