A whiSper Of memOrieS

☬Murmure de mémoire☬

Ota-58

2021-02-16 | Tokyo
嘘か真(まこと)か〔Are these fiction or reality?、거짓말인가 사실인가、¿Es mentira o verdad?、是真是假?、Энэ худлаа юу эсвэл үнэн үү?、Est-ce un mensonge ou est-ce vrai?〕:①最近、言葉遣いが尾木ママ化してる。ビジネス現場、スーパー、教壇、パン屋、スタジオ、クリーニング屋などで、無意識にポロっと出てしまったらどうしましょ。☜ こういう語尾にちょこっと入るやつ。||継続は力なりシリーズ:昔から日本語と中国語の、四字熟語を無闇に蒐(しゅう)集するクセがある。電子辞書にはすべて載ってる?ネットで調べればすむこと?そういう無味乾燥な作業ではないし、簡単に調べ尽くせるような分量ではない(取之不尽、無窮無尽)。|ここまで書いたところで、「蒐」という文字に、ふいに憑りつかれた。だって、草冠に鬼って不気味ではないか。まるで、叢のなかに鬼が隠れていて、虎視眈々とこちらの様子を伺っているかのよう。すぐに、過去に見た狂言の「首引」「清水」「節分」や諸星大二郎の『天孫降臨~稗田礼二郎のフィールド・ノートより』(集英社、1993年)などを想起する。書名は忘れたが、鬼がテーマの少女漫画のことも。昨今の漫画よりも怖いのではないか。いや、昨今の鬼漫画を読んでいないのに、適当なことを言うてはいけなかった。|さて、漢字に意識が釘付けになったこういう時にこそ、白川静氏の『字通』や『字統』(いずれも平凡社)を紐解きたい。しかし、残念ながら手元にはない。実家の父の書斎にはあり、ページを捲ったことがあったが、いま思えば、父も同じような興味があったのだろう。買うべきか買わざるべきか。|象形文字は絵的であり、ひとつひとつの文字に謂れがある。漢字に潜む歴史や物語を知ることができれば、それを音楽に結びつけることもできる。文字だから、歌詞の方が直截的と思うかも知れないが、それがしは俄然、漢字 ☞ 音にござる。訓読み、音読みや中国語読みもあるし、形(視覚情報)よりも、音(聴覚情報)として「けたたましさ」を感ずる。そもそも、数千年の由来を持つ文字に読み仮名が付いており、いまもそれを音にできるなんて驚きではあるまいか。さてもさても、しぶときことかな。|では、叢のなかの鬼が発する音とはどんなものか。シュウシュウ?キリキリ?シャカシャカ?ガリガリ?わからない。昔、衝撃を受けた高橋克彦『鬼』(角川春樹事務所、1996年)にその答えがあるかもしれぬ。夢枕獏『陰陽師』(文藝春秋、1988年〜)の作品群からもたくさんの音や音楽が聴こえた。|かくして、鬼にまつわる曲のためのネタが少しずつ揃ってくる。ただ、曲のことを考えるより、まずはグラニュラーシンセ+三線(琵琶の代わり)+声(呻き?)などで思うがままに音を組み合わせよう。「鬼+音楽と言えばアニソン」のイメージはみどもにはござらん。|口先で言うだけの段階だが、言葉のメモでイメージの外堀を囲い込む。|*ノリノリ、ポップさからはなるたけ離れよ。*ダウナー感を出すが、ドゥーム的にはならないように。*ヘヴィ+ダウナー+静謐+草枯れ。*あるいはHeavyなSilent Poets?…Art Zoydをもっと生っぽく聴きやすくしたもの…かも知れぬ…ぞ|鬼は…蔭に潜ん…でおら…ねば…なら……ヌ。四字熟…語の奇…譚はい…ずれま…た… ……||BGM:“Portishead”(Portishead, London / Umgd,1997)
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