散歩・つぶやき・粘土細工・文章|文章を散歩に譬えれば、脳より率先して動き出す両脚だろうか。散歩中、岐路や三叉路をどっちに進むかを決めるのは脳。たが、私たちは脚の細やかな動きを意識的にコントロールしながら歩いているわけではない。脚は、先験的に勝手にしなやかにバランスよく動く。そして、目線の移動によって見える景色がどんどん変化する。小さな発見があり、思い付きが湧き出し、それを心でつぶやく。つぶやいた単語や言葉の欠片で、いいなと思うものをその場でスマホに書きつける。その後、それらの断片を取捨しながら、粘土細工のように文章の形を捏ねくりだす。「これは象と麒麟を合わせたような未知の動物です」と複数の事物を掛け合わせながら、意味を後付けしていく。言葉が連鎖し始め、文脈が見え、何ごとか書けた気分になってくる。自分が何を言いたいのかは、書くというプロセスによって導かれる。書くことで、言葉の枝葉が外に向かって伸びていく。/タイトルの指定も入稿の義務もない文章を書くときは、おおかたこういうプロセスを辿っている。/文章は結論ではなく過程。どんなに結論付けても、処理しきれないほど大量の思惟や疑問が、脳内にいつも渦巻いているのだから、仮初(かりそめ)の結論に満足などしない。/小さな自己満足と大きな自己不満足の間を、常に行ったり来たりしている。
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