A whiSper Of memOrieS

☬Murmure de mémoire☬

Aomori-5

2020-05-14 | Tohoku
最近、googleの日英翻訳機能を使いながら、pluginの販売サイトの担当者と何度かメールでやり取りをしてみた。/すでにこれを使って海外の人とやり取りをしている人には、なんの驚きもないであろうが、私は初めてで、あまりにスムーズにコミュニケーションが取れることに驚いている。こちらが投げかけた技術的質問に、相手から詳細なメールが返ってくると、自分が完璧に英作文を操れるかのような錯覚に陥る。/そこで、思い付いたのが、このグーグル翻訳機能を使えば、世界中にペンフレンドを作ることも夢ではないのではないかということ。/グーグル翻訳には現在なんと108もの使用可能言語がある。英語やドイツ語、フランス語だと在り来たりなので、たとえば最近追加されたオリヤー語使用者と交流してみてはどうだろう。なんやねん空手か柔道の気合いみたいなこの言語は。/wikiで調べると、オリヤー語は東インドのオリッサ州の公用語。『マハーバーラタ』がオリヤー語に翻訳されたり、オリヤー語には祈祷系の詩が多いんだと。面白そう。/でも、だめだ。インドに行ったことはないし、インド文化のことなんてほとんど何も知らへん。興味があるのは、せいぜいインドカレーと(ほしいけど演奏が難しそうな)シタールと(森下スタジオで一度だけ舞台を見たことがある)カタカリ舞踊劇と(一度は行ってみたいインド北西部の文化都市)ウダイプールぐらいものだ。…結構知っているじゃないかって?これしきで知ってるなんてインド文化に失礼っちゅうもんや。/でも、いくら翻訳機能を使ってコミュニケーションが取れたとしても、話題がなければ会話も関係も長続きしない(ユニコーンの「すばらしい日々」の歌詞みたいだ)。英語を勉強するのもまったく同じことや。具体的な目的や興味がなければ、その外国語は何語であろうと結局は「使えへん」。そういう意味ではアニメやコスプレは、言語でもなく、学校の授業で勉強するわけでもないのに、すでに立派なグローバル「言語」になっとる。/「グローバル化」という用語自体、大変いかがわしいが、これは本来、英語のことや欧米に興味を持つことのみを指すわけではないはずだ。慣れ親しんだ自国の文化は横に置いておいて、どこかの国またはエリアの言語や文化のなかへと、身を挺してダイビングしていくこと、それがグローバル化であり、そういうことができるのがグローバル人間(人材という言葉も、企業の駒を意味するのであえて使わない。人間は材料でも資材でもない。)だ。大体、欧米文化(例えば英米文学)に興味もないのに、みな一律に英語を学ばなければならないなんて、人生の限られた時間と資質の壮大な浪費だ。そういう意味でも少数言語というのは、使用者にとっても学習者にとっても、アイデンティティが明確なので居心地がいい。独自文化も濃厚。/前段の思い付きをいとも簡単に翻意してしまうが、翻訳機能を使って、世界中にペンフレンドを作るなんて所詮、徒労なのであった。本当に興味のある海外文化があるなら、その言語を選べばいいだけのこと。グーグル翻訳がどんなに優れていても、相手に対して深い興味や敬意がなければ、文字通り「話にならない」。/日本や日本文化にしか興味がない人は、基本的に外国語なんか勉強しても無意味だ。だから外国語が嫌いなひとに、善かれと思って面白いから勉強してみなよとプッシュする必要もない。でも、社員として会社に貢献するために、止むを得ず外国語を勉強する人もおる。それはそれで生活がかかってるから無意味ではないが、仕事で使わなくなった途端に、その言語能力は急激に退歩し、いずれ片言になる。でも、それもごく自然なことで、何ら憂うことではない。/外国語をうまく使える人はとかく優越感をおぼえがちだが、外国語を使わなくも仕事や生活できる人が、劣等感を感じる必要などない。/優越感も劣等感も、どちらもかなりの部分が恣意的なもの、つまり当人の思い込みであり、他のひとは必ずしも同じようには見ていない。//Google翻訳の話をしていたのに、話が別方向へ飛んでしまった。一時間ぐらい犬と散歩をしてたら、別の町の知らない路地に迷い込んでしまい、ワクワクしてる感じ。
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