エドヴァルド・ムンクの絵画のなかで、僕がもっともこころ揺さぶられた絵がこの「病める子」だ。少女がベットに横たわっている。母親らしき人物が、少女の手を握り哀しみにうずくまる。
少女の目は窓の外をじっと眺めている。
痩せこけた、でもその表情は穏やかだ。いずれ来るであろう死を、透徹した眼差しで見つめる。
ムンク自身も云っているように、この作品は彼の精神的な転機となった作品だ。
人が死を想う時、どんな心境なのか?
僕は死を想う。そうして僕の体験からはその実態が見えない。
仕事柄、けっして少なくない方々の死に直面する。
突然の死は残酷だ。でも、長い時間をかける死は、家族や夫や妻に重大な精神的疲弊をもたらす。
精神は麻痺し、本当は言いたくもない言葉が口をつく。
大事な人。
それだけに優しくできない瞬間もある。疲れているんだ。
いいよ。無理しないで。
僕の家族にもかつて死に近い人がいた。
癌だ。
そんな父親の背中を見ながら酒を飲んだ。
僕は僕が解らなくなる。
「病める子」
この絵が内包する優しさ,哀しみ、祈りどうしようもない感情の嗚咽。
生きることを放棄する事も可能だろう。
でも、真剣に死と向き合っている人に向かって 「死にたい」という言葉を発する資格が誰にあるのだろうか?
僕にはわからない。
でも、僕は生きることを望み、願い選択した。
「病める子」
この絵を見るたびに、自分を奮い立たせる。
負けたくない。
生は常に死を内包している
いまこの瞬間にも僕らは常に死と対峙している
そのことに気が付くことから何かが始まるのかも知れない
Memento-Mori
(死を想え)
少女の目は窓の外をじっと眺めている。
痩せこけた、でもその表情は穏やかだ。いずれ来るであろう死を、透徹した眼差しで見つめる。
ムンク自身も云っているように、この作品は彼の精神的な転機となった作品だ。
人が死を想う時、どんな心境なのか?
僕は死を想う。そうして僕の体験からはその実態が見えない。
仕事柄、けっして少なくない方々の死に直面する。
突然の死は残酷だ。でも、長い時間をかける死は、家族や夫や妻に重大な精神的疲弊をもたらす。
精神は麻痺し、本当は言いたくもない言葉が口をつく。
大事な人。
それだけに優しくできない瞬間もある。疲れているんだ。
いいよ。無理しないで。
僕の家族にもかつて死に近い人がいた。
癌だ。
そんな父親の背中を見ながら酒を飲んだ。
僕は僕が解らなくなる。
「病める子」
この絵が内包する優しさ,哀しみ、祈りどうしようもない感情の嗚咽。
生きることを放棄する事も可能だろう。
でも、真剣に死と向き合っている人に向かって 「死にたい」という言葉を発する資格が誰にあるのだろうか?
僕にはわからない。
でも、僕は生きることを望み、願い選択した。
「病める子」
この絵を見るたびに、自分を奮い立たせる。
負けたくない。
生は常に死を内包している
いまこの瞬間にも僕らは常に死と対峙している
そのことに気が付くことから何かが始まるのかも知れない
Memento-Mori
(死を想え)