柴犬多頭飼い コクマチャどん

コロクロ日記で07年に開設したブログ。15年から『コクマチャ日記』、さらに24年から『コクマチャどん』になりました。

母のこと 7 (最終回)

2017-12-10 08:13:20 | 介護

他の記事が間にいくつも入り、とびとびになってしまった母の記事ですが、これで最終回となります。(ブログ、右欄にある『カテゴリ』の下の方にある『介護』に、今までの記事がまとめてあります)

今年の7月にまた誤嚥性肺炎で入院し、その時点でもう口からものを食べることは無理ということとなり、退院後は今までいた特養を出なければいけなくなり、24時間看護士さんのみえる施設へと変わりました。そこから母が亡くなるまでのことは『母のこと 1』(→【こちら】)に書きました。

新しい施設に入所してから亡くなるまでの間、母が穏やかな優しい顔で過ごせ、マロの名前を呼んでみたり、鼻歌のようなものを歌ってみたり、帰り際に手首から先で手を振るような仕草を見せたりしたりしたことは、本当に奇跡としか思えません。

眉間に皺をよせたまま無表情で過ごしていたことの多かった特養にいた時には、自分に課した義務のように週一で母に会いに行っていた私も、最後の2ヶ月間(入院時も入れると約3ヶ月間)は、母に会うのが楽しみで毎日施設に通っていました。パパや子供たちも特養にいたときはあまり母のところに行っていませんでしたが、何度も会いに行ってくれました。ワンズも何回か連れて行き、母はワンズの姿をずっと目で追い認識していました。いろんなことのあった22年間でしたが、穏やかに静かに逝けたことが、母にとっても家族にとっても、ありがたいことでした。

父は、アルツハイマーの母を残して先に死ぬことはできないとつねづね言っていました。その役目を果たすことができてほっとした気持ちがあるのと同時に、父は今、疲れが出てきています。2~3年ほど前から杖をついて生活していましたが、母が亡くなってからは体力も落ちてきていて、杖をついていても歩くのが困難になってきているため、老人ホームに入ることを検討し始めています。平日は私が手伝いに行ったりしていますが、施設に入所していた方が父も安心できるようなので。

生まれたばかりの赤ちゃんが成人する期間より長くアルツハイマーと闘ってきた母。定年退職したあと第二の仕事も勤め上げ、これから母とゆっくりした時間を過ごそうと思ったと同時に母の病と闘うことになった父。人生は予測不能ないろんなことがありますね。この先、今度は自分がどうなっていくのか、それも不安です。

『母のこと』の記事の中で、徘徊や昼夜逆転、穏やかだった母の人格が変わってしまったことなど、アルツハイマーによる経験を綴りましたが、この病気は人によって出てくる症状はいろいろのようです。もっと症状の軽い人もいれば重い人も。それらはみな、本人が悪いのではなく病気がそうさせています。わかっていても、介護をしている人にとっては大変なことです。高齢化社会の世の中、どの家庭でも家族がこの病気にかかる可能性は0ではありません。もし、家族の誰かがそうなってしまったら支援を受けられるところを利用したりして、決して一人が抱え込まないようにしてくださいね。

      【 不思議な話 】

母が亡くなったその時刻に、父の腕時計が止まっていました。

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