17年に母が亡くなったときは、たくさんの方に見送られました。でも、コロナ禍になってから、親戚が亡くなったときも身近な人(親子孫)だけの家族葬になっていたため父もそうしました。父が亡くなったときにはコロナの感染者数は減っていましたが、親戚には連絡だけして家族だけですることを伝えました。
ホスピスに入ったとき、ここを出られるときに着せてあげるお気に入りの服を用意しておいてくださいねと言われていました。父が亡くなったあと葬儀屋さんが来られるまでに、ホスピスの方が父を綺麗にしてその服を着せてくださいました。実はその服、母が亡くなったときに遺影の写真で着ていた服と同じです。父と母が唯一ペアルックで持っていた服。
葬儀屋さんがお寺に父を運んでくださり、いろいろ打ち合わせをしたとき、服はこのままにしますか?と聞かれました。お棺に入るときは白装束(死装束)を着るのが当たり前と思っていたので、え?と聞き返しました。すると今は、その人らしい服で送り出すケースもありますと言われました。白装束や傘、杖、白足袋、草履、手甲、脚絆、六文銭、頭陀袋などはちゃんとお棺の中に入れます。どうしようかと迷いましたが、私たち夫婦と息子・娘家族だけだったので、父を母とお揃いのペアルックで送り出すことにしました。高齢者の多い親戚関係がみんな来ていたら、昔から当たり前とされていた白装束にしていたと思いますが。
母は60過ぎからアルツハイマーとなってしまい、亡くなるまでに顔つきがとても変わってしまったので、遺影は元気な頃の写真を使いました。母の遺影を選ぶときは、着ていた服について何も考えていませんでした。でも、父の隣にその母の写真を置き、数十年ぶりのペアルックになってもらいました。母が亡くなったときは、まさか数年後に父とこんなふうにお揃いの服で並ぶことになるなんて、私も想像もしていませんでした。
つづく