公園には小動物園があった。
クジャク。お猿さんも。
シカやウサギなどいろいろいた。
小動物園を見たあと、山頂の展望台に行ってみることに。
カートでは上がれないのでコチャも歩く。右の写真の建物の上にあがると・・・
こんな景色が広がる。
矢印のあたりに、うだつの上がる町並み。
展望台からの眺めは良く、頑張って上がったかいがあった。
のぼってきた山道をくだり、うだつの上がる町並みの駐車場まで歩く。歩くのにちょうどいい気温で、楽しいお散歩になった。
公園には小動物園があった。
クジャク。お猿さんも。
シカやウサギなどいろいろいた。
小動物園を見たあと、山頂の展望台に行ってみることに。
カートでは上がれないのでコチャも歩く。右の写真の建物の上にあがると・・・
こんな景色が広がる。
矢印のあたりに、うだつの上がる町並み。
展望台からの眺めは良く、頑張って上がったかいがあった。
のぼってきた山道をくだり、うだつの上がる町並みの駐車場まで歩く。歩くのにちょうどいい気温で、楽しいお散歩になった。
ネットでひなまつりイベントの検索をしたとき、明治大正昭和のお雛様や美濃和紙で作られたお雛様が70軒に展示と書かれていたのだが、特に賑やかな催し的なものはないようだった。(やらなかったけど、スタンプラリーはあったらしい)また、足助の『中馬のおひなさん』では、あそこにもここにも・・・と、お雛様が並んでいるが、ここでは歩いている他の方も「あまり、みあたらないわね」と言われていた。
なぜか、ひな壇にガンダム(笑)
ガラスの向こうなので、反射してうまく撮れてないけど昭和50年のお雛様。
土びな。 この写真をみて気づいたのだが、写真の左下に町並みのおひなさまのチラシがあるっぽい。お雛様のあるおうちの地図だったのかな。う~ん、それを持っていたらたくさんのお雛様を見逃さずにすんだかな。残念。
ぶらぶら歩いていると、気になるお店が。字が薄くしか写ってないけど『クリームわらび大福』と書いてある。「買う?」
「買う」ということで購入(笑)
まん丸な大福餅にきな粉。中はわらび餅とクリームとあんこ。美味しかった~。また行ったら買おっと。
さてさて、お出かけの話に戻になくちゃっ。赤い枠のところがうだつの上がる町並み。矢印のところに公園があるようなので歩いて行ってみることにした。
てくてく歩いて小倉公園へ。
小倉山城の模擬櫓。ここを通り過ぎると小動物園。
つづく
今年のひな祭りの日は、上着がいらないくらい暖かな日だった。ひな祭りとパパが休みの土曜が重なったので、お雛様関係のイベントを検索してお出かけすることにした。
高速を走り、長良川SAのランで休憩。
ちょうど他のワンコさんたちがランを出たあとだったので、4ワンも遊ぶことができた。
コロがなんだか一番ご機嫌さんだった。
SAを出て、着いたところは美濃市の『うだつの上がる町並み』。ここは毎年『美濃和紙あかりアート展』で出かけているのだがそれは夜。昼間に歩くのは初めて。
町並みに着いた直後、4ワン連れで歩いているのが珍しいからか、たくさんの方(10人くらい)が集まりワンズをナデナデ。マロは大喜び。カートに乗ってる子はビビリだとお伝えしたので、コチャのことはナデナデではなくお声がけしていただけだったが、それでもチャロはブルブル・ガクガクになってしまい、歩き始めてしばらくはカートに後ろ向きで立って、時々手を伸ばして抱っこ~と言っていた。カートに乗っているので抱っこはしなかったけど。ここのところ、人に対するビビリがますます強くなってきたなぁ
。
つづく
金曜日、チビーズと大高に行った。
白梅。
紅梅。
まだ蕾の木もあったけど満開の花をパチリ。
昨日はとても暖かかったので、まだ開いていなかった蕾も一気に咲いたかも。
梅を見たあと傾斜のある広場で遊ぶ。
走り回って楽しそうなふたり。
最後に木の枝をみつけてガジガジ。木を囓って遊ぶのは大好きだけど、裂けた木片を飲み込むとこわいので、ほんのちょっと囓ったところで「もう行くよ~」と切り上げさせる。
ランの横を通るとき、中を見て入りたそうなチャロ。でも、マロがいるからこの日は入らなかった。また今度ランで遊ぼうねっ、チャロちゃん。
1月中旬にケアマネさんと相談して、年末に体験入所してきた施設に2/1からお世話になることに決めた父。2月いっぱいはマンションを借りたままにして、毎日施設からマンションに通い片付けをしたというところまで書いたのだが、その間のことをまとめようと思う。
マンションに引っ越したとき、一人暮らしなのに前住んでいた家から荷物のほとんどを持ってきてしまった。が、父はすごく真面目な性格で、いいかげんなことが大嫌いなため、すべての荷物に目を通して仕分けをしないと気が済まないタイプ。なので、きっちり進めていきたいのだが、そうしたいと思っても、体が自由に動かないことと『思い出のものだから』とか『もったいない』の気持ちが強く、思うように片付けが運ばなかった。私は父の荷物に対して思い入れがあるわけではないので、退去する日にちから考えてさっさと片付けたいため勝手に仕分けしようとすると、口には出さないけれどムッとする顔をする父。日にちが足りないと言うことで、最初は土日も片付けに行き、しばらくは親子間で険悪な(?)雰囲気になることもあった。
(衣装ケースの大量の服も仕分けが大変だった。業者さんが来られる日より前に、押し入れの中もスッキリ)
遺品整理だと家族や業者さんで仕分けして処分するわけだが、生前整理となると本人がいるので「全部まかせるから片付けて」と言ってくれるタイプの人でないと、ものすごく大変だと言うことをつくづく感じた。また、持ち家の場合片付けに期限があるわけではないのでゆっくりできるが、賃貸だと片付けだけのために借りていれば、住んでもいないのに家賃を払い続けなければならないのでとにかく早く片付けたい。
(90近いおじいさんの一人暮らしとは思えない雰囲気の部屋(笑))
業者さんの見積もりのとき、綺麗に片付けなくてもそのままでいいですよ、こちらがやりますからと言っていただき私も父も気が楽になり、土日はマンションに行かないで休むと決めた。が、残り数日になったところで、やっぱりあれも持ってくこれも持ってくと言いだし、何度もマンションと施設を往復することになった。
(いらない物をまとめては縛ったり箱に入れたりして和箪笥の上にまとめ、持ち帰ったりエコステーションに持って行った)
搬出当日は、父が淋しい気持ちになると思い、私一人で立ち会うことにしたが、ちょうど娘も仕事が休みということで来てくれた。風もない暖かな日だったので、ドアが全開になっていても全く寒くなかったので助かった。かなりのものをリサイクルステーションに持って行ったり、ゴミとして出したりしたので、業者さんに持って行っていただくものは少なくなったが、それでも昔のずっしり重いたくさんの背広など運ぶのが大変な物など残してあったので、段ボール箱に何箱も持ち出されていった。
(マンションに来て一度も着ていないという、すごく重たい背広がたくさん入っているタンス。この中身はそのまま業者さんに処分をお願いした)
業者さんに持って行ってもらおうと思っていた本やCDは退去数日前に、スーツケースに詰め込んで買い取りのお店に持って行ったら、なんと8000円を超える金額になった。本は5~20円のものがほとんどで、高くても400円だったがCDは1000円で売れる物もあった。
(マンションに忘れ物をして、夜、取りに行ったときに見た夜景)
今はネットを利用し、自分で値段をつけて売ることもできる時代だが、写真を撮って送ってっていうことまでやる気力が無いので、せいぜい私にできることと言ったら買い取りのお店に持って行くことくらいだった。電化製品や家具などは綺麗でも、年数によって値段がつかない事が多いらしい。小型の家具を2つ持って行ってみたけど、300円と無料引き取りだった。
(父はこの6年間、天気のいい日は夕方ベランダに出て「今日も1日無事に過ごせました」と夕日に手をあわせていたらしい)
かなり片付けてあったにもかかわらず、エレベータでの移動と言うこともあり運び出しは2時間半近くかかった。
(家財道具の運び出しのあとのがらんとした部屋)
タンスの下に耐震用の強力ジェルを使っていたが、強力すぎてタンスが動かず、最終的にはタンスの板が剥がれた。あ、でも、このあと板もジェルもちゃんと剥がすことができたのでよかった。
(業者さんたちもこれのせいで、タンスや食器棚を動かすのに苦労されていたが、耐震効果は抜群ってことなんだな)
荷物がすべて運び出された翌日(2/28)父と、お世話になった同じ階の方や、父のことを気にかけていただいた方のところにご挨拶にうかがった。淋しいと言って泣いてくださる方もいて、そのときまでお会いしたこともなかったのに私までもらい泣きしてしまった。マンションの鍵を管理人さんのところにお返しする前に、一部屋ずつ「今までお世話になりました。今までありがとうございました」と言っている父の背中が淋しそうだった。
(マンションとお別れする時の父)
あとは父が施設の生活に慣れれば、今までのようにずっと一人きりではなく1日に何回かは人との交流もあるし、何かあっても職員の方が駆けつけてくださるので安心かなと思う。食事の心配をしなくていいこともホッとする。父の片付けを手伝ってみて、私自身も何年も使っていないいろんなものを、これから少しずつ整理していく気持ちになった。体が動くうちに、やれることをやっていこうと思う。といいつつ、テレビ・電気ストーブ・扇風機などいろいろもらってきてしまい置き場に困っているのだが
(結局いろいろ持ち込んだ施設の部屋。これからお世話になります)
2月は、自分のブログの更新以外ほとんどパソコン前に座る時間もありませんでしたが、また、皆さんのブログにもゆっくり訪問させていただきま~す
昨夜から今朝にかけて、台風のような風雨の音で何度も目が覚めました。今朝6時頃には雷もなりました。そんな春の嵐で始まった3月1日の今日、
コクマチャ日記は11周年を迎えました~
クロを迎えたあと『コロクロ日記』としてこのブログを始め
13年にマロを迎え『コロクロ+マロ日記』とタイトルを変え
15年に、私のワンコ人生でたぶん最後の子になるだろうチャロを迎えて『コクマチャ日記』となりました。
昨日で父は住んでいたマンションを完全に退去しましたが、片付け中に部屋に飾ってあった、過去に飼っていたワンコたちの写真を持ち帰りました。その写真をアップしてみようかなと思いましたが、我が家で仕分けをしようと思って持ち帰ってきている大量の荷物に紛れてしまい発見できず。(自分の記憶には残っていないのですが私が生まれた頃にいたコッカーさんと、小学校高学年の頃に来たヨーキーさんの写真はありました
)この他にも黒いコッカーさん、小学校低学年の頃に来た狆くん、私が結婚するまでいた2代目ヨーキーさん、私の人生にはずっとワンコたちがいました。その子たちの写真もあるはずなので、いつか機会があればまたアップします。
でも、結婚するまで飼っていた子たちは、ほぼ母が面倒を見ていたので、自分で育てたのは今いるコクマチャだけ。なので、この4ワンには思い入れが強いです。コロクロはだんだん年を取ってきて、お別れの日を考えることも出てきています。考えるだけで涙が出てきてしまったりもします。いなくなったとき、その寂しさに耐えられるだろうか。4ワンいれば楽しい気持ちは4倍になり、辛い気持ちは4分に1にって思うけれど、本当にいなくなってしまったら4分の1の寂しさではなく、やっぱり心に大きな穴が開いてしまうと思います。どうか1日でも長く4ワン生活が続きますように。コクマチャ日記が少しでも長く続きますように。
遊びに来てくださる皆様、今はお出かけ記事や記念日などを中心に書いている『コクマチャ日記』を、日常生活を綴っている『クロの花まる日記』とともにどうぞよろしくお願いします。