東日本大震災から13年が経過しました。東北地方太平洋沖地震によって、大津波が発生、福島第一原子力発電所が停止し、多くの人々が非難を余儀なくさせられました。その影響は今でも続いています。
地震が発生した当時、15時5分頃だったでしょうか、大津波警報が出たと報道され、名古屋駅に近い事務所の3階にいた私も揺れを感じたのです。
あれから13年、地震対策では、南海トラフ 巨大地震について、国は死者最大32万人、被害額220兆円超の想定をしました。津波避難タワーの整備や学校の高台移転など、国が助成する特別措置法がつくられ、対策がなされました。
3月11日といえば、田口八重子さんの長男・飯塚耕一郎さんと大韓航空機爆破事件(1987年に実行した北朝鮮の元工作員)金 賢姫(キム・ヒョンヒ)さんが、韓国釜山で面会してから、15年が経過しました。
母親が乳飲み子を残し無理やり引き離され、身を裂くような望郷の思いであろう当時の田口八重子さんの心情を思うと、やりきれない気持ちで一ぱいです。時が過ぎているとはいえ、何もできないでいる現在の状況は虚しさを覚えざるを得ません。
拉致問題という非 人道的な問題に早く終止符を打たねばなりません。再び起こさせないためにも常に問題を意識し、「北朝鮮の拉致」という内容報道をし続ける事がせめてもの防衛策ではないでしょうか。
写真:田口八重子さん
写真はインターネットから借用