にゃんこのヨガ的生き方

毎日をゆったり、元気に機嫌よく暮らす

ちゃびのこと

2022-03-16 15:08:54 | ねこ
ちゃびの闘病生活は約1年半ほど続きました。

2020/11 腎不全と診断される。自宅での皮下点滴を始める。週2回
2021/9 移行上皮癌により膀胱全摘、おむつに。1日3回交換
2021/10 皮下点滴を毎日に
2021/12 歯槽膿漏その他で食べられず、経鼻チューブ設置。1日4回ミルク投与開始

おむつを替えたと思ったらあっという間にミルクの時間がやってきます。
点滴のため、夜は寄り道をせず早く帰宅し、時間を決めて食事を切り上げます。
子どもの面倒を見るにあたっては、「子どもが成長する」という希望がありますが、介護にはそれがありません。介護の終わりは、命の終わりです。
(いつまでこんなことが続くんだろう)と思う時もありました。

2022/2、腹部に異物ができました。検査の結果、腫瘍転移でした。もって1-2か月と余命宣告されました。
それまでは週末が待ち遠しかったですが、1日1日をだいじに過ごさなくては、と思うようになりました。

人間と比較して、犬猫の一生は短い。
人間の1週間が、犬猫には1か月以上に値する。
そう思うと、1日たりともおろそかにしたくありませんでした。

朝家を出る前、5分だけでも抱っこするようにしました。
夕食後、できるだけ抱っこして過ごすようにしました。

時間が経つにつれ段々と食欲が落ち、それとともに体重も減っていきました。
病気前は5.4kgだったのが、3kg近くになりました。
療法食などとうに食べず、とにかく食べてくれるものをと猫缶を開けても、食べて小さじ何杯か。何とかミルクで命を繋いでいました。

気持ちの落としどころが見つからない毎日でした。
自分の気持ちを保つために、Webで言葉を拾い集めました。
たくさんのちゃびの動画と静止画を撮りました。
だいすきだよ、と声掛けしました。

ちゃびの命が終わった後も、私の人生は続いていきます。
私はいつか、暫くしていない外食をし、三線を弾き、買い物に出かけ、両親に会いに故郷に帰り、島旅をする。それは私の望みでもあり、限界でもありました。

「にゃら」の時もそうでしたが、猫は体調が悪くなるとあっという間です。
というより、最後の最後まで体調が悪いところを見せないのかもしれません。

亡くなる数日前、激しく数回嘔吐をしたあと、一切食べなくなりました。
水も飲まなくなりました。水飲み場の前に行くのですが、水を飲まずに長いことぼーっと座っているのです。
人間も動物も、食べない飲まないから死ぬのではない。死が近いから食べなくなり、飲まなくなるのだ。死に近い存在に、攻めの治療はかえって苦痛をもたらす。私にはこの説が自然に思えました。

(そうしようと思えばできるのに)点滴とミルクをやめると決断するのは結構辛いものでした。しかしちゃびが自分から水を飲まない以上、自然と体が枯れていくのを待つことにしました。

最期、ちゃびはよろよろと歩いて倒れ、床に突っ伏したかと思うと、足を突っ張りました。
抱き起こすと、瞳が光を失ってビー玉のようになっています。
目を見開き、ゆっくりと口を開ける・閉じるを繰り返します。息が吸えないのでしょうか。
それを何度か繰り返した後、心臓が止まりました。
抱っこしながら大好きだよと声をかける以外に、私たちにできることはありませんでした。
体重は2.5kgを切っていました。

ちゃびの最期を看取るのが、私はずっと怖かった。
腎不全の最期は痙攣することがあると聞いていました。
苦しむちゃびを見たくなかったのです。
そういう意味では、比較的穏やかな最期だったかと思います。

いつかこの喪失感が癒え、ちゃびの可愛かった記憶と楽しかった思い出に純粋に感謝できる日が来るのを待ちます。

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にゃーのこと。ちゃびへの手紙

2022-03-16 14:17:07 | ねこ
ちゃびしゃん。君は3/14 に旅立った。

硬直して冷たくなっていたけど、見た目はまるで寝ているかのように穏やかで可愛くて、君の亡骸がこの家にある間は、悲しいけれど寂しくはなかった。何度も何度も抱っこして頬ずりしたよ。
でも君が小さな壺に入って帰ってきてから、君の姿がどこにもない。夜、お布団にも入ってこない。君がいないということが、とても堪える。心にぽっかり穴があいているみたい。君は確かにこの家にいたのに、君の痕跡がなくなってしまった。君のいた証がほしかった。夕日がさす廊下の綿ぼこりの中に君の毛を見つけた時は嬉しかった。ブラシや膝掛けに君の毛がついているのを見つけて集めたよ。

君がこの家に来て11年半。まだ赤ちゃんだった君を抱っこすると、ちょうど電灯の紐が目の前にきて、君は必ずそれを前脚でちょいちょい、ってしてた。そのことを思うと、ずいぶん長いこと一緒にいたんだなあとも思う。Aさんが拾ってきたのに、君は私に懐いてくれた。私も君が大好きになった。毎晩腕枕で寝てくれたね。

私は君に会えて本当に幸せだった。君は私にとってこの世で最も大切な存在のひとつだった。君は神様からの贈り物、私の宝物だったんだ。君は何をしても可愛かった。死んで冷たくなっても、骨になっても。毛まで可愛い。

この家に来てくれて本当にありがとう。この家にずっといてくれてありがとう。私の傍にいて、私のことを好きでいてくれてありがとう。
君がくれたものは、私が思っていた以上に大きかった。君がいなくなった今になってそれに気づいたよ。そのうちこの喪失感は和らぐのかな。
君はどうだろうか。この家にいて、私といて幸せだったろうか。そうだったらいいな。

ちゃびしゃん、ありがとう。いつかまたこのおうちにおいで。きっとまた会おう。だいじな、だいすきな、ちゃびしゃん。


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にゃーのこと。退院しました。

2021-10-03 17:19:53 | ねこ
「ちゃび」が無事退院しました。
もうこのまま帰ってこないかもしれない、という状態だったことを考えると、この家でまた一緒に暮らせるようになったことは奇跡だと思います。

ただ心配は尽きません。

切除部を検査した結果、移行上皮癌という悪性の進行癌であることがわかりました。再発や転移など、経過に注意が必要だそうです。crea4.2と、腎臓の状態もよくありません。

ごはんをたくさん食べてくれたり、甘えてきたりすると嬉しい。
おしっこの量が少なかったり、声が出なかったり、ベッドの下にこもっている時間が長かったりすると心配です。ちゃびの様子に、一喜一憂してしまいます。

人も動物も、命には終わりがあります。
いつかその時がやってきます。
それに向き合い、受け止めてあげることが、その子の命に対する敬意。

そう思ってはいても、今でさえ不安になったり、涙が出たり、食欲がなくなったり、よく眠れなかったり。
私ってこんなに弱い人間だったんだなぁ。

ねぇ、ちゃび。
私は1日でも長く、君と一緒に暮らしたいよ。
君が少しでも穏やかに、心地よく暮らせるようにするからね。

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にゃーのこと。膀胱全摘しました。

2021-09-22 20:04:05 | ねこ
6月あたりから猫の「ちゃび」が、頻繁にトイレに行くようになりました。
多分膀胱炎でしょうということで薬を貰いましたが、よくならず2か月経過。

超音波検査の結果、膀胱三角部に腫瘍ができていることがわかりました。

場所が場所だけに腫瘍だけを取ることができず、膀胱全摘となる。
大手術のため体力がもつかはわからない。
膀胱を全摘したからと言って、腎臓がよくなるわけではない。
膀胱三角部にできる腫瘍は悪性のことが多い。
膀胱がなくなるため尿を溜めておくことができず、おむつをすることになる。

手術する決心がつかずにいた1週間で、ちゃびの様態は急速に悪化していきました。
本格的に尿道閉塞がおきていました。
尿が出ない、ごはんを食べない、吐く、元気がない。

これ以上辛い不愉快な思いをさせず家で静かに看取るか。それとも僅かな可能性に賭けるか。
一か八か賭けてみようと緊急で手術をしてもらうことにしました。

手術は成功しました。
ここからどうなるかはわかりませんが、一命を取り留めました。
有難いことに、少し食欲が出てきているようです。
3時間にわたり執刀してくれたM先生、スタッフの方々に感謝です。
人見知りだと思っていたのに、今日はスタッフの方に撫でてもらって甘えていました。

ちゃびしゃん。きっと元気になって戻っておいで。
そうしてまた皆で一緒に暮らそうね。
私はやっと食欲が出て眠れるようになったよ。












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にゃーのこと。そして幸せ。その後

2021-03-08 19:46:50 | ねこ
クレアチニンとBUNの数値が悪いと診断されたにゃー「ちゃび」ですが、その後劇的に数値がよくなりました。
毎日だった点滴は2日に1回となり、現在では1週間に1回となりました。
点滴をするほかに、ラプロスという薬を1日2回飲ませています。

初めて飼った「にゃら」は、体が強い子でした。
19才で神様の元へ行きましたが、腎臓が悪くなったのは晩年でした。
そのこともあって、にゃーを飼うことが経済面で負担だと思ったことはありませんでした。

現在、治療にかかっている費用は以下のとおり。

点滴1回1,100円、週1回。1か月4,400円。
ラプロス1日300円、毎日。1か月9,000円
療法食、400gで1,200円。1か月4,800円。
血液検査、1回5,500円。2か月に1回。1か月2,750円。
合計、1か月あたり20,950円。

にゃーも病気になることがある。
病気になったとき、何をしてあげられるか。
どこまでしてあげられるか。
可愛いだけでは済まないことがある。
今回のことで、人間と同じようににゃーも病気になるのだと痛感しました。

この子は神様からの贈り物だと思っています。
このおうちに来てくれてありがとう。
私のそばにいてくれてありがとう。

ちゃびしゃん。頑張って、元の健やかな機能を取り戻そうね。
これからまた10年、一緒に過ごそうね。

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にゃーのこと。そして幸せ

2020-12-13 15:48:03 | ねこ
うちの猫の腎臓の数値が悪いことがわかりました。

ここ1~2年、食欲が少し落ちてきた時が何度かありました。手で食べさせると食べます。
(夏の時期で暑くて食欲がないんだな)とか(年を取ってきたのかな)と思っていました。

1か月程前、食べたものを吐きました。暫し様子を見ましたが食欲が落ちていきます。(これはまずい)と思い医者に連れて行きました。

血液検査の結果、クレアチニンとBUNの値がひどく高いことがわかりました。
とにかく食べさせてください。食べてくれるならなんでもいいです。毎日点滴が必要です。なるべく水分を取れるようにしてあげてください。

どうして気づいてやれなかったのか。
なぜもっと早く医者に連れて行かなかったのか。

この子がいなくなるかもしれないという不安に押しつぶされそうでした。
喉のあたりに何かがつかえて、暫くは食べたいという気持ちがおきませんでした。
仕事をしていても、ふっと隙間ができると、今どうしているか大丈夫かと不安になります。

不安でたまらず、あちこちのWebを見ました。
そして「とにかく、できることをやろう」と決めました。

あちこちに水を置きました。冷たい水でなく、お湯にするとよく飲んでくれます。
置きっぱなしにせず、器を差し出してあげるとよく飲みます。
幸いなことに治療食を美味しがって食べてくれます。
毎日点滴をしています。

2週間後、数値は劇的に改善していました。
クレアチニンが3.5なのでまだよくはありませんが、2週間前とは大違いです。

多くの猫が腎臓を悪くするのは知っていました。
しかし腎臓の機能の7割ほどが失われないと症状が出ない、というのは知りませんでした。
腎臓は一度悪くなると改善しない。
できることは点滴、水分補給。これは尿を出すためで、悪くなった腎臓を治療するというわけではない。
20年以上猫を飼っていながら、この体たらく。

今回のことでつくづく思いました。
私が元気なのは身体を動かしているからだと思っていたけれど、それは違う。

自分にとって大切な人たち、猫たちが元気でいてくれること。
とりあえず食べていけること。
雨露をしのげる住まいがあること。
何とか仕事を普通に続けていられること。
身体のどこも悪くないこと。

失われそうになって初めて、自分が幸せだったことに、恵まれていたことに気づきました。
私よ、おごるなかれ。感謝の心を忘れないように。

この子が少しでも長く元気でいられるよう、できることをしていくつもりです。
目標はまず3年。そのあと3年。そしてもう3年。
20才まで元気で生きるんだよ。一緒に頑張ろうね。
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にゃらのこと

2016-04-23 10:10:03 | ねこ
我が家の愛猫「にゃら」は、守護天使になりました。いつでも私たちを見守ってくれています。

ありがとう、にゃら。

君のことを思いだすとまだ涙が出るけれど、今度、別の子をお迎えに行くね。その子にまた、ここでゆっくり過ごしてもらおう。そしてにゃんこと、にんげん、お互いにしあわせな時間を過ごそう。
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我が家のにゃんこが亡くなりました

2016-03-27 16:02:15 | ねこ


「にゃら」が亡くなりました。19才でした。

元々にゃらは、のらねこでした。ゴミ捨て場の焼き鳥の串をアウアウ言いながら舐めていたこともあります。娘たちは内緒でゴハンを上げて、仲良くなっていきました。当時は住まいが賃貸だったため、動物を飼うなど考えたこともなかったのですが、上の娘が「飼う」と言い張り、結局家族の一員になりました。その時、にゃらは生後半年。

当時子どもだった娘たちはふたりとも社会人に。にゃらは健康でしたが、それでも着実に年を取っていきました。動作が緩慢になりました。ベランダの手すりや台所のカウンターには、いつの間にか登れなくなりました。毛並みがぼそぼそになりました。ここ1年ほどは私のベッドに乗り降りするにも踏み台が必要でした。腎臓を悪くし薬をあげていましたが、「じいちゃん」になってきたのだと単に思っていました。

つい1週間ほど前、食欲が落ちました。一日中大きな声でワオワオ鳴いています。(おかしいな)とは思いましたが、それまでにも何度か同じようなことがあったので、その時はまだ大したことだとは思っていませんでした。うるさいから静かにしなさい、と怒ってしまったくらいです。

それからの変化は実に急なものでした。好物でさえ殆ど食べない。よたよたとしか歩けない。トイレに行っても支えていないとトイレの中で崩れ落ちてしまう。(もう時間の問題だ)と思い、仕事を休みました。体力がなく横たわっているしかないのに、何度か身体を起こしてトイレに行こうとします。それでもおしっこは出ない。いいよ、もういいよ。おしっこ、タオルの上でしていいんだよ。午後、お日さまの当たる場所に寝かせてやり、しばし静かな時間を過ごすことができました。

夜から呼吸が荒くなりました。時々口を大きく開けて苦しそうにします。それでも終わりが来ない。夜半も過ぎて、私がにゃらに添い寝することにしました。(もしかしたら回復するのでは)という微かな希望はもうどこにもなく、後はとにかく苦しまずに逝けるようにと、それだけでした。呼吸が弱まってきていました。未明、しゃっくりをするようにしゃくりあげ始めました。迷いましたが、すぐに家族を起こしました。何度かしゃくりあげた後、心臓が止まりました。まだ温かいし柔らかいのにぐったりと動かないにゃら。魂はどこへ行ってしまったんだろう、と思いました。泣きながら、皆で何度も何度もかわるがわるにゃらを抱っこしました。

私は誰かが亡くなるところに立ち会ったことがありません。近しい人を亡くしたことはそう何度もありませんし、その時も亡くなったと知らせを聞いて駆けつけています。苦しいのになかなか楽になれない、「その時」が来ないと死ねないというのも大変なことなのだと、今回付き添って思いました。また延命治療はしないと決めていましたが、(もう少し早く異変に気づけば、何とかなったかもしれない)という悔いは残っています。


にゃらへ
今まで一緒にいてくれて本当にありがとう。きみと過ごせた時間はしあわせでした。きみの存在はあまりに当たり前すぎて、きみが亡くなることがこんなに辛いとは思ってもいなかった。今はきみがいないことが辛い。そっちで待っていてね。それとも毛皮を着替えて、またこの家に来てくれるかな。








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