にゃんこのヨガ的生き方

毎日をゆったり、元気に機嫌よく暮らす

ちゃびがいなくなって2年が経ちました

2024-03-17 16:22:45 | ねこ
猫「ちゃび」がいなくなって2年が経ちました。

やっと泣かずにちゃびのことを話せるようになりました。
フォトフレームのちゃびの写真に、毎日「おはよう」「行ってきます」「おやすみ」と話しかけます。
何かを食べたい、何かをしたいと、また思えるようになってきました。

ちゃびしゃん、ありがとう。だいすきだよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次の猫を迎えるということ

2023-11-26 11:08:52 | ねこ
先日猫の保護シェルターに行ってきました。
迷いはあったのですが、できれば茶トラの子猫ともう一度暮らしたいと思い、とりあえず見学に行きました。

生後5-6か月というその子はとても軽く、抱っこしても嫌がりません。大人しく抱っこされています。可愛くて、愛おしいと思いました。久しぶりの感覚でした。

でも、本当に引き取っていいものか決心がつかずに帰ってきました。
帰ってからもその子のことを考えていました。
その間、私はちゃびを失くした寂しさを忘れていたように思います。

今日シェルターのWebを見て、その子の里親が決まったことを知りました。
これまでにも何匹か可愛いと思った子がいたのですが、里親が決まったと知ると(よかった)とほっとしていました。
今回は違いました。もしかしたら我が家に来たかもしれない子だったのに、他所へ行ってしまった...
自分が優柔不断だっただけで、誠に勝手な言い草だとわかっているのですが。

自分たちの年齢、毎月のかかり、先住猫との相性、またいつか訪れるだろう辛い別れ。そんなことを考えると、一歩を踏み出すことができずにいます。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あれから1年

2023-03-13 10:41:34 | ねこ
ねこ「ちゃび」がいなくなって明日で1年です。

この頃やっと気持ちが落ち着いてきました。
以前は写真を見るたびに泣けたものですが、今は(ありがとう、だいすきだよ)と、温かさと寂しさが交じった思いで眺めています。

ちゃびしゃん。
このおうちに来てくれてありがとう。
私のことを好きでいてくれてありがとう。
私のそばにいてくれてありがとう。
きみと過ごした12年間は幸せな時間でした。

きみはもうどこにもいない、会いたくても会えない。
そのことをやっと受け入れられるようになったよ。
寂しいけれど、私は前を向いていくね。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポッケの旅支度

2023-02-19 15:23:42 | ねこ
ポッケの旅支度
イシデ電さん著のコミックエッセイです。

たまたま新聞広告を見つけ、試し読み。号泣。

単行本を買い、読んでまた号泣。

大切な存在をなくした哀しみは極めて個人的なものです。他人に話を聞いて貰うことで気持ちが軽くなる時がありますが、それで哀しみが消えるわけではありません。それに言葉にすると何か違うような気がすることもあります。
結局、哀しみも、愛おしさも、不在の辛さも、自分の中に抱えていくしかないんですよね。それは痛みではあるのですが、幸せでもあるような気がします。

同じように自分だけの思いを抱えている人がいる。その思いを大切にしていこう。前に進んでいこう。そう思える本でした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちゃびがいなくなってもうすぐ1年

2023-02-11 18:37:46 | ねこ
我が家には今、キジトラがいます。
彼が1歳の時、シェルターから引き取りました。

彼を撫でながら(この子はねこだ)。そう思いました。

何を当たり前なことを、とお思いでしょう。

これまで私は何匹かのねこと暮らしました。
虹の橋を渡った子もいれば、脱走して帰ってこなかった子もいます。
でも皆ねこでした。

私にとって「ちゃび」は、ねこではありませんでした。
ねこというくくりを越えていた、という方が正しいかもしれません。
生物として種が違い、共通の言語を持つわけではないのに、いつの頃からかちゃびは私にとって特別な存在になっていました。
ちゃびも私に、愛情と信頼を寄せてくれました。

ちゃびがいなくなって1年弱。
ちゃびの写真を見ていると、ちゃびがこの世界にいないことを未だに変に思います。
ちゃびはどこに行ってしまったのでしょうか。

君は私の中にいるよ。
いつでも私と一緒だよ。
そう思って私は生きていくことにするね。












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちゃびがいなくなって、半年経ちました

2022-10-03 20:12:23 | ねこ
先日保護猫譲渡会に行ってきました。もう一度茶トラを赤ちゃんの時から育ててみたい。でも決心がつきませんでした。

暫くは新しい子をお迎えしない。そう決めました。
決めた途端、ほっとした自分がいました。
(もう暫く君と一緒にいるよ)
それまでは寂しく哀しいだけだったのに、少しだけ「ちゃび」を身近に感じるようになりました。

ちゃびが旅立って半年以上。
フォトフレームにちゃびの色々な表情を収め、流しています。
今でも時々(ちゃびがいないのは何かの間違いではないか)と思うことがあります。

当然のことながら私とちゃびは生物としては別種です。共通言語も持っていません。
それでもちゃびは私に、たくさんの愛情と信頼を寄せてくれました。
ちゃびに対する思いが、私の中で出口を見失ったままです。

哀しみはその人だけのもの。
哀しいのは、愛しいから。
愛情と哀しみのかたちはさまざまです。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Mさんへ

2022-08-28 20:56:00 | ねこ
M様

12年程前、東京駅で茶トラの仔猫(ちゃび)を譲っていただいた者です。その節はありがとうございました。

随分ご無沙汰いたしておりますが、お元気でしょうか。

いただいたお名刺の固定電話、携帯電話にかけてみましたが、どちらもM様には繋がりませんでした。一度はご連絡するのを諦めましたが、最後にもう一度と思いメールをお送りいたします。

2022年3月14日、ちゃびは虹の橋を渡りました。ガンでした。腎臓も悪くしておりました。膀胱全摘という大手術に耐えましたが、手術から半年後にガン再発のため旅立ちました。11才半でした。

あの子は私にとって、神様からの贈り物でした。かけがえのない存在でした。
こどもであり、親友であり、恋人でもありました。
ちゃびはたくさんの幸せな時間と、愛情と、信頼を私にくれました。
ちゃびがいなくなって約5か月。未だに涙が出ますが、私は少しずつ前を向き始めています。

M様のおかげでちゃびと出会うことができました。
お礼を申し上げるとともに、ちゃびの最後のことをお伝えしたく、メールをお送りいたしました。どうかこのメールがM様に届きますように。

暑さの折り、どうぞご自愛ください。


ちゃびと暮らすきっかけとなったMさんに電話で連絡を取ろうとしましたが、連絡がつきませんでした。メールを送りましたがエラーで返ってきてしまいました。
何らかの形でMさんに伝わればという思いでここに掲載します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちゃびしゃん、ごめんね。

2022-07-31 10:03:11 | ねこ
飼い猫「ちゃび」と過ごした最後の時間で、私はちゃびに謝りたいことがいくつかあります。

・毎日の点滴やおむつ替え、カテーテル給餌を負担に思い、(いつまでこんなことが続くんだろう)と思ったこと。

・最後の方は瘦せたためか点滴の際輸液が漏れ、二度三度針を刺しなおすことがよくありました。これが心理的にきつい。その度に「もう!」と不機嫌な声を出したこと。

・癌が進行して食欲が落ちたちゃび。私としては何とか食べてほしくて猫缶を開けるのに、ふいと横を向く。溜まっていく猫缶。「なんで食べないの。食べないなら もういいよ」と苛立ちまぎれに言ったこと。

・痙攣して苦しんで亡くなるところは見たくない。朝起きたら亡くなっていたなど、私が知らないうちに最期を迎えてくれた方が気持ちとしては楽かも。そんな風に思ったこと。

・こんなになるんだったらいっそ手術しない方がよかったかも。とうに諦めがついて今頃は気持ちを切り替えられていたのに、と思ったこと。

ちゃびは膀胱を全摘、尿管を皮膚に繋ぎました。絶えず尿が皮膚に染み出てくるため、おむつをしていました。腹部は毛刈りをしていましたが、人間と違って洗い流すことができず拭くだけです。最期の方はもう先はないとわかっていたので、毛刈りのために病院に連れて行くことはしませんでした。においが蓄積していきました。

歯槽膿漏による痛みのせいで、口から食べることができなくなりました。そのままでは餓死です。考えた末、経鼻チューブでミルクを補給することにしました。経鼻チューブは鼻に留め、鼻から喉に通します。前脚で掻いてチューブを取ってしまわないよう、常にカラーをすることになりました。傍にいる時はなるべくカラーを外してあげましたが、カラーがあるせいで思うように毛づくろいをすることができなくなりました。

猫は毛づくろいをすることで体を清潔に保ちます。においもありません。綺麗好きな生き物です。ちゃびも綺麗な子だったのに、最後の方は常に尿のにおいがし、ミルクで所々毛がガビガビしていました。当時は仕方ないと思っていましたが、今から思えば可哀想なことをしました。手術して半年延命したことがよかったのか、何とも答えが出ません。

私はちゃびが大好きでしたが、自己中心的で弱くて愚かでした。今でもそうです。自分を責めて許しを乞うつもりはありません。ただ、言っておかないとフェアではないと思いました。
ちゃびしゃん、ごめんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちゃびの夢を見ました

2022-07-16 06:38:29 | ねこ
ちゃびの夢を見ました。

私はどこかのホテルに宿泊していました。厨房スタッフが外猫にごはんをあげています。
(にゃらはどこに行ってしまったんだろう。この人たちなら知っているかもしれない)と思い、「白い猫を知りませんか」と尋ねました。
白い猫はいませんでしたが、足元に茶トラが擦り寄ってきました。
ちゃびに似ていました。首輪を確認すると確かにちゃびでした。

どこに行ってたの。よかった。

抱き上げ、脇に抱えました。さほど汚れていません。部屋に連れていくことにしました。
私が部屋を出入りする際にまた逃げたりしないかな。
それにしても、にゃらはどこに行ったんだろう。

そこで目が覚めました。
ちゃびがいなくなって初めてちゃびの夢を見ました。何かのしるしのようで嬉しい。

今でも時々、ちゃびがいないということが変に感じられる時があります。
この4か月、たくさん泣きました。当たり前ですが、いくら泣いてもちゃびは戻ってこないということもわかりました。

「ごめんね」よりも「今までありがとう」という思いの方が、すこしずつ大きくなってきています。そろそろ一歩を踏み出そう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちゃびの記録

2022-03-21 20:15:15 | ねこ
2010年、君はこの家にやって来た。
電車の中で猫を連れている人がいて、Aさんが話しかけた。それがきっかけだった。
君は生まれて間もない迷い猫で、Mさんが保護、故郷の知り合いに引き渡しに行くため新幹線に乗るところだった。けれどその知り合いは『宅急便で猫を送ってください』と言うような人だと。『そんなところに貰われて行っても幸せになれない、よかったらこの子を引き取って貰えませんか』と。

Aさんから連絡を受けた時、私はたまたま外出していた。自宅にいたら多分、出かけるのを断っていたと思う。
東京駅でMさんAさんと落ち合った。一目見て、Mさんが信用できる人だと判った。
君は生後1.5か月、500g。お目目が半分塞がり、鶏ガラのように痩せこけていた。
正直に言うと、引き取るのは半分義務みたいなものだった。判りました、大事に育て最後まで面倒見ますねとMさんに伝え、君を引き取った。Mさんは泣いていたよ。2-3日君と一緒にいて、情が移っていたんだ。

君は小さく瘦せこけていた。手のひらに乗る大きさだった。私が連れて来たから私が面倒みるね、とAさんがリビングで何日か添い寝して君の面倒をみた。Aさんに踏みつぶされやしないか私は不安だった。Aさんが寝返りを打っても大丈夫なぐらいに早く大きくなればいいのに、と思ったことを覚えているよ。

獣医さんで診てもらったところ、君は白血病ウィルスのキャリアだと判明した。陽性だった。3年で発症する可能性大。発症したとして、症状は腹痛、貧血、白血病、口内炎、免疫低下。君はインターフェロン療法を何度か受け、無事陰性に転じた。

君はすくすくと大きくなっていった。
私は君が鳴くと、コアラみたいにパーカーの懐に入れて運んだっけ。大きくなっても時々そうしたね。

本当のことを言うとね。私は君のことを、同じ年の春に家出して帰ってこなかった「ちる」の生まれ変わりなんじゃないかと思ったんだ。ちるが3月に家出して、君が8月にこの家に来た。同じ茶トラで、やることなすことよく似ていたからね。君のことを、ちるだと思って可愛がってやろうと思った。だけど君は「ちる」じゃなく、「ちゃび」だった。

2016年。先住猫の「にゃら」が亡くなった。君は寂しそうにしていた。相棒の「さく」を迎え入れることにした。
あの時君はさくにマウンティングをしたね。さくはひどく怯えた声を出した。私は君のことを怒ってしまった。後にも先にも、君のことをあんなに怒ったのはあの時だけだった。君はすぐにやめたけど、あれで君とさくとの関係が決まってしまったような気がする。
皆の関心がさくに集まったこともあり、君は次第に声が出なくなった。何度か嘔吐するような素振りをみせ、食欲が落ちて、やっと私は君の異変に気付いた。それからはご飯でも声掛けでも、とにかく君を優先、君に気を配るようにした。君はきっと君に向けられた愛情がなくなったように感じ、(ぼくは一体どうなるんだろう)と不安だったんだよね。君が普通の状態に戻るまで暫くかかったっけ。

君が好きだったこと、よくしたこと。
トイレのふたの上に乗って、タンクから出る水を飲むこと。
洗面台の蛇口から水を飲むこと。
毛玉や小物などを前脚でちょいちょいと蹴って遊ぶこと。
抱っこされること。抱っこされると安心してすぐに寝たね。
グリルで魚を焼くと、台所に来て伸びあがって匂いを嗅ごうとしたこと。
台所の引き出しを開けると、かつお節を貰えると思って来たこと。

君が怖がったこと。
雷、地震、花火。
どれもこれもちょっと音が聞こえただけで怖がって、押し入れによじ登っては奥で息を潜めていたね。仕事をしていて夕立になり雷が鳴ると、君のことが心配になったよ。夏祭りの花火などは長く続くから、君にとっては怖い時間だったよね。ドライヤーも三線も、苦手だった。

手帳を見たら私は2017年に「ちゃびは大切な存在」、2019年に「ちゃびは神さまからの贈り物」と書いていたよ。もっとずっと前からそう思っていたように思うんだけど、どうなんだろう。土日の午後を君と陽だまりの中で過ごしたくて、外へ出かけることは少なくなっていったよ。君はいつの間にか、私のお宝ちゃんになっていたんだ。

2020年、君は腎臓の数値が悪いことがわかった。自宅で点滴をする日々が始まった。
2021年、君は何度も何度もトイレに行くようになった。膀胱炎との見立てで抗生剤を飲んだけど治らなかった。君は癌を発症していた。変異した部分だけを取り去ることができず、膀胱を全摘した。大手術だったのに君は耐えてくれ、家に帰ってきてくれた。尿をためておくことができないからおむつをすることになったね。

それでもね。点滴をしていさえすれば小康状態を保って、もっと一緒にいられるかもしれないと思っていたよ。でも癌が転移するのは早かった。膀胱全摘手術から半年、桜が咲く前に君は旅立ってしまった。

君が病気になったのは壁紙リフォームのせいかもしれない。全ての部屋の壁紙を貼りかえるのに半年かかった。カビが生えている箇所は防カビ剤を使い、接着剤、有機溶剤、色々な薬剤を使ったと思う。『作業している間は猫ちゃんは部屋の外に出さないでください』と言われそれに従ったけど、残留した薬剤を吸ったり、脚に付着した薬剤を舐めたこともあったかもしれない。リフォームが始まってすぐ、君は一度食欲がなくなっている。リフォームが終わった後、君は嘔吐した。それまで君は嘔吐することなどなかった。

君を失った原因は、或いは私のせいだったかもしれないと思うと居たたまれない。当時はこんなことになるとはこれっぽっちも思っていなかった。それどころか家中綺麗になって嬉しかった。この家に住んで20年。壁紙はあちこちボロボロだった。あの時しなくても、遅かれ早かれ壁紙を替えることになったと思う。自分を責めてみても、君はもう戻ってこない。

ちゃびしゃん。君との毎日は温かくて穏やかで楽しくて幸せだった。ありがとう。そしてごめんね。涙が乾くまでもう少しかかりそうだよ。

後で気づいたよ。「ちる」が家出したのが3/13。君が旅立ったのが3/14。君とちるは、やっぱりどこかで繋がっていたのかな。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする