NHK「デフ・ヴォイス」を観ました。
2つの殺人事件が絡んだミステリー仕立て。
筋立てにちょっと無理があるのでは?と思うところもありましたが、私の心を揺らしていきました。
多くの聾啞者が俳優として参加しているとか。
聾唖者が話す声は聴者の声とかなり違います。そんな聾啞者の声や、声にならないような音や、息の漏れる音などをそのまま聞かせる。
そして手話。手話は手で表すだけではありません。表情も対です。
これらにより、聾唖者の描き方が自然なものとなっています。
私は両親が聴覚障害者です。18才で家を出るまで「CODAとして」してこなければならなかったことがたくさんあります。
今回「デフ・ヴォイス」を観たことで、懐かしさとともに、どこにも持っていきようのない怒りにも似た感情が再びふつふつと沸き上がってくるのを感じました。
(何で私があんなことしてこなきゃいけなかったの。こどもだったのに)
本当はそういう思いを書こうと思っていたのですが、今日改めて「コーダ あいのうた」を観たら、そんな後ろ向きの思いは吹き飛んでしまいました。
元気でるわ、この映画。
2つの殺人事件が絡んだミステリー仕立て。
筋立てにちょっと無理があるのでは?と思うところもありましたが、私の心を揺らしていきました。
多くの聾啞者が俳優として参加しているとか。
聾唖者が話す声は聴者の声とかなり違います。そんな聾啞者の声や、声にならないような音や、息の漏れる音などをそのまま聞かせる。
そして手話。手話は手で表すだけではありません。表情も対です。
これらにより、聾唖者の描き方が自然なものとなっています。
私は両親が聴覚障害者です。18才で家を出るまで「CODAとして」してこなければならなかったことがたくさんあります。
今回「デフ・ヴォイス」を観たことで、懐かしさとともに、どこにも持っていきようのない怒りにも似た感情が再びふつふつと沸き上がってくるのを感じました。
(何で私があんなことしてこなきゃいけなかったの。こどもだったのに)
本当はそういう思いを書こうと思っていたのですが、今日改めて「コーダ あいのうた」を観たら、そんな後ろ向きの思いは吹き飛んでしまいました。
元気でるわ、この映画。
地上波放送で「コーダ あいのうた」を観ました。
4人家族で両親と兄は聴覚障害者。妹のルビーだけが健聴者。ルビーは幼い頃から家族の通訳をつとめており、現在も家族にとってはなくてはならない存在。歌うことが好きなルビーはやがて家族に見送られ、歌という自分の道を歩みだす。
封切り時に観に行きたいと思いつつも、結局億劫になり行きませんでした。
地上波で放映されることを知り録画。両親に「こんな映画見たよ」とFAXするつもりで軽い気持ちで観始めました。
アメリカの手話なので読み取ることはできません。それでも、声がないのに手話のなんと饒舌なことか。うるさいぐらいです。
手話をする際の表情、息が漏れる音、相手を呼ぶ際に机をトントンしたり、相手の背中を叩いて呼んだり。
健聴者とちょっと違う振舞いをする両親。
私はいつも家族のために通訳してきた、というルビー。
私の両親も聴覚障害者です。(ああ、こんなだった)と忘れていた記憶が一気に甦り、悲しいような懐かしいような何ともつかぬ思いがこみ上げ、泣きながら観ました。
明日にでも両親にFAXを送ろう。
4人家族で両親と兄は聴覚障害者。妹のルビーだけが健聴者。ルビーは幼い頃から家族の通訳をつとめており、現在も家族にとってはなくてはならない存在。歌うことが好きなルビーはやがて家族に見送られ、歌という自分の道を歩みだす。
封切り時に観に行きたいと思いつつも、結局億劫になり行きませんでした。
地上波で放映されることを知り録画。両親に「こんな映画見たよ」とFAXするつもりで軽い気持ちで観始めました。
アメリカの手話なので読み取ることはできません。それでも、声がないのに手話のなんと饒舌なことか。うるさいぐらいです。
手話をする際の表情、息が漏れる音、相手を呼ぶ際に机をトントンしたり、相手の背中を叩いて呼んだり。
健聴者とちょっと違う振舞いをする両親。
私はいつも家族のために通訳してきた、というルビー。
私の両親も聴覚障害者です。(ああ、こんなだった)と忘れていた記憶が一気に甦り、悲しいような懐かしいような何ともつかぬ思いがこみ上げ、泣きながら観ました。
明日にでも両親にFAXを送ろう。
アルゼンチン映画『家へ帰ろう』を観てきました。
アルゼンチンに住む88才の老人が主人公です。娘も孫もたくさんいるのですが、自宅は娘たちが売り払い、彼自身は老人ホームに入ることになっています。身辺整理をしている際、彼は突然旅に出ることを決意。飛行機、鉄道を乗り継いでポーランドに向かいます。彼の目的が何なのか、観客は見ている間にわかってきます。彼は人生の終わりを迎えるにあたり、親友に会うという約束を70年ぶりに果たすために旅に出たのです。
彼はホロコーストを生き延びたポーランド系ユダヤ人です。彼の回想や彼の話から、彼と当時の家族がどのような目に会ったのかがわかってきます。回想も彼の話も凄惨なものではありません。静かに淡々と語られます。だからこそそこに観客は、彼の怒りを、悔しさを感じます。
彼は今でも、自分たちを迫害した連中への憎しみから「ドイツ」「ポーランド」という言葉を一切口にしません。特にドイツの土地には一歩たりとも足をつけないと決めています。そんな頑固で偏屈な老人が、様々な人に助けられながら旅を続けます。駅で知り合ったドイツの女性は、彼の心に温かな楔を打ち込み、彼の心を少しずつ溶かしていきます。ポーランドの看護師は彼が親友を探しあてる手助けをします。そして彼は親友を探し当て、約束を果たします。『さあ、家へ帰ろう』。親友に促され、彼は一緒にかつての家へ向かいます。
上記のあらすじにひと癖もふた癖もある人々が絡み合います。老人自身が頑固ジジイといった体もあり、前半は何ともスペインぽさが炸裂(スペインとアルゼンチンの合作)。特に宿泊施設の女性オーナーとのくだりがいい味。笑えて、そして泣ける。人生後半に向かいつつある大人のための映画です。
しかしさ。
パリの鉄道駅で老人がスタッフに『スペイン語は話せますか?』と訊いたのに対し、『スペイン語は話せません』と答えているのは仕方ないとしても。『じゃ、英語は?』と訊かれて『英語も話せません』と言ってるけど、どうなのよ? この映画は2017年製作。今でもフランスでは英語を話さないのかいな。
アルゼンチンに住む88才の老人が主人公です。娘も孫もたくさんいるのですが、自宅は娘たちが売り払い、彼自身は老人ホームに入ることになっています。身辺整理をしている際、彼は突然旅に出ることを決意。飛行機、鉄道を乗り継いでポーランドに向かいます。彼の目的が何なのか、観客は見ている間にわかってきます。彼は人生の終わりを迎えるにあたり、親友に会うという約束を70年ぶりに果たすために旅に出たのです。
彼はホロコーストを生き延びたポーランド系ユダヤ人です。彼の回想や彼の話から、彼と当時の家族がどのような目に会ったのかがわかってきます。回想も彼の話も凄惨なものではありません。静かに淡々と語られます。だからこそそこに観客は、彼の怒りを、悔しさを感じます。
彼は今でも、自分たちを迫害した連中への憎しみから「ドイツ」「ポーランド」という言葉を一切口にしません。特にドイツの土地には一歩たりとも足をつけないと決めています。そんな頑固で偏屈な老人が、様々な人に助けられながら旅を続けます。駅で知り合ったドイツの女性は、彼の心に温かな楔を打ち込み、彼の心を少しずつ溶かしていきます。ポーランドの看護師は彼が親友を探しあてる手助けをします。そして彼は親友を探し当て、約束を果たします。『さあ、家へ帰ろう』。親友に促され、彼は一緒にかつての家へ向かいます。
上記のあらすじにひと癖もふた癖もある人々が絡み合います。老人自身が頑固ジジイといった体もあり、前半は何ともスペインぽさが炸裂(スペインとアルゼンチンの合作)。特に宿泊施設の女性オーナーとのくだりがいい味。笑えて、そして泣ける。人生後半に向かいつつある大人のための映画です。
しかしさ。
パリの鉄道駅で老人がスタッフに『スペイン語は話せますか?』と訊いたのに対し、『スペイン語は話せません』と答えているのは仕方ないとしても。『じゃ、英語は?』と訊かれて『英語も話せません』と言ってるけど、どうなのよ? この映画は2017年製作。今でもフランスでは英語を話さないのかいな。
ボヘミアン・ラプソディを観てきました。
私が10代の頃、Queenは絶頂期でした。私はフレディの胸毛と、すぐに上半身を見せるところがどうにも苦手でした。Bicycle Raceだったと思いますが、上半身裸のねーちゃんが自転車にまたがってステージに出てくるような演出も気持ちが悪かった。彼らの音楽はと言えば、クラッシックの要素を取り入れているのを(軟弱だ)と思い、聴こうともしませんでした(もっと尖った音楽が好きでした)。
ファンでもないのに映画を観に行ったのは、評判がいいので単純に映画として観てみたいと思ったからです。
観に行ったのが週中日。今日で4日目。私の頭の中は今でもQueenでいっぱいです。とにかく泣けました。涙と鼻水でぐしゅぐしゅになりながら、何度も嗚咽をこらえました。
なぜあんなに泣けたのか。
自分の出自への劣等感。
性的少数者である自分。
家族、特に父親との確執。
メンバーとのぶつかり合い。
どうしようもない孤独感。
音楽への熱情。
生への渇望と死への恐れ、諦念。
彼らの曲がかかる際に訳が字幕で流れるのですが、それがまた切ない(特にボヘミアン・ラプソディ)。まるでフレディ自身が将来自分に起こることを予期していたようにも思えます。私たちはフレディがとうにこの世にいないことを知りながら映画を見ている。彼の生と死を思う。だからこそ泣けるのでしょう。もしフレディが今でも生きているのなら、ここまでの感動はないでしょう。それを計算に入れてこの映画は作られているのです。この映画はドキュメンタリーではありません。映画です。とてもよくできた映画です。
We will rock youやRadio Ga Gaを聴くと気が満ち満ちてきます。Bohemian Rhapsody、The show must go on、Who wants to live foreverは出色。Rockというカテゴリではくくれませんね。
フレディは猫を愛していたようで、映画にはたくさんの猫たちが登場します。猫たちを捉えるカメラワークがまたよい。もう一度観に行きたいと思っています。
私が10代の頃、Queenは絶頂期でした。私はフレディの胸毛と、すぐに上半身を見せるところがどうにも苦手でした。Bicycle Raceだったと思いますが、上半身裸のねーちゃんが自転車にまたがってステージに出てくるような演出も気持ちが悪かった。彼らの音楽はと言えば、クラッシックの要素を取り入れているのを(軟弱だ)と思い、聴こうともしませんでした(もっと尖った音楽が好きでした)。
ファンでもないのに映画を観に行ったのは、評判がいいので単純に映画として観てみたいと思ったからです。
観に行ったのが週中日。今日で4日目。私の頭の中は今でもQueenでいっぱいです。とにかく泣けました。涙と鼻水でぐしゅぐしゅになりながら、何度も嗚咽をこらえました。
なぜあんなに泣けたのか。
自分の出自への劣等感。
性的少数者である自分。
家族、特に父親との確執。
メンバーとのぶつかり合い。
どうしようもない孤独感。
音楽への熱情。
生への渇望と死への恐れ、諦念。
彼らの曲がかかる際に訳が字幕で流れるのですが、それがまた切ない(特にボヘミアン・ラプソディ)。まるでフレディ自身が将来自分に起こることを予期していたようにも思えます。私たちはフレディがとうにこの世にいないことを知りながら映画を見ている。彼の生と死を思う。だからこそ泣けるのでしょう。もしフレディが今でも生きているのなら、ここまでの感動はないでしょう。それを計算に入れてこの映画は作られているのです。この映画はドキュメンタリーではありません。映画です。とてもよくできた映画です。
We will rock youやRadio Ga Gaを聴くと気が満ち満ちてきます。Bohemian Rhapsody、The show must go on、Who wants to live foreverは出色。Rockというカテゴリではくくれませんね。
フレディは猫を愛していたようで、映画にはたくさんの猫たちが登場します。猫たちを捉えるカメラワークがまたよい。もう一度観に行きたいと思っています。
蟲師。カテゴリとしては映画というよりアニメですが。この正月休み、「続章」をやっと観ました。蟲師を知ったのはもう10年以上前。上の娘が教えてくれ、コミック、アニメはもちろん、サントラにまではまりました。
話は毎回完結です。結構切ないものがあります。蟲に取りつかれ実際はとうに亡くなっている子どもをそうとは知らず育てる親。死んでしまった大事な人を産みなおし再び一緒に暮らす島。吊り橋から谷底へ落ちて里へ戻ったが既に人ではなくなっている恋人。
時代背景はまだ貧しかった頃の日本の村です。アニメは一話ごとに音楽があり、その音楽がまた映像を盛り立てる。アニメの完成度の高さには目を見張るものがあります。
蟲師のサントラを聴くと、生と死のはざまにいるような気がして(ああもう、生きていなくてもいいや)と気持ちが沈むため、なるべく聴かないようにしていました。それが年を取ったせいか、ここ数年心地よい。仕事帰り、電車内で聴くのにちょうどいいのです。私の生のゲージも目盛りが段々後半に近付きつつあるってことですかねぇ。
話は毎回完結です。結構切ないものがあります。蟲に取りつかれ実際はとうに亡くなっている子どもをそうとは知らず育てる親。死んでしまった大事な人を産みなおし再び一緒に暮らす島。吊り橋から谷底へ落ちて里へ戻ったが既に人ではなくなっている恋人。
時代背景はまだ貧しかった頃の日本の村です。アニメは一話ごとに音楽があり、その音楽がまた映像を盛り立てる。アニメの完成度の高さには目を見張るものがあります。
蟲師のサントラを聴くと、生と死のはざまにいるような気がして(ああもう、生きていなくてもいいや)と気持ちが沈むため、なるべく聴かないようにしていました。それが年を取ったせいか、ここ数年心地よい。仕事帰り、電車内で聴くのにちょうどいいのです。私の生のゲージも目盛りが段々後半に近付きつつあるってことですかねぇ。
勤労感謝の日から土日を含め五連休。遅い夏休みを取りました。旅行でもしようかと思いましたが、結局遠出はしないことにしました。映画を見たり、都内の温泉に出かけたり、行きたかったごはん屋さんに出かけたり。そんなふうにのんびり過ごしました。
映画、『湾生回家』。「湾生」という言葉を今回初めて知りました。
--------------------------------------------------------------------------------------
湾生(わんせい)とは、日本統治時代の台湾で生まれ、第二次世界大戦後に日本本土へ引き揚げた日本人を指す言葉である。
第二次世界大戦終結に伴い、日本の統治下にあった土地や占領地から多くの引揚者が日本本土へ引き揚げた。日本統治下にあった台湾でもこうした日本人引揚者は多く、軍人や軍属を含めて約48万人いたと言われる。この内、湾生は約20万人いたとされる。
日本人のほとんどが戦後に本土へ引き揚げたが、湾生は生まれた土地が台湾であるため「私にとって故郷は台湾」と話す湾生もいる。
戦後数十年を経て台湾へ渡り、幼少期に過ごした場所や思い出の地を探し、その地を訪れる湾生も少なくない。
(Wikipediaより)
-------------------------------------------------------------------------------------
仕事で台湾と取引するようになってから10年以上。恥ずかしながら当初は、台湾がどのような国なのか、どのような歴史を持つのか、全く知りませんでした。日清戦争、台湾割譲、そういえばそんなふうに日本史で習ったような。台湾R.O.Cって何のこと? その後台湾の歴史を知り、二二八記念館を訪れ、歴史書を読み、映画『台湾人生』を観たり。そして今回の『湾生回家』。
私は泣きました。声を出さぬよう、しゃくりあげて泣きました。涙が出てきて仕方ありませんでした。人は誰でも自分が生まれ育った場所を懐かしく思うものです。特に年を取れば取るほど。強制的に(見知らぬ国である)日本に送還された湾生たち。懐かしい祖国、台湾。帰りたいのに、帰れなかった人たち...
台湾に行き始めた頃はまだ、日本語を話す台湾のおじいちゃん、おばあちゃんが多くいました。スーパーマーケットで買い物をしていると、日本人?と話しかけられたものです。十数年経った今、その人たちは高齢化しています。これもまた、歴史を感じるひとこまです。
我愛台湾。
出身や立場により色々な見方があるでしょうが。それでももし機会があれば、ぜひ観てください、『湾生回家』。
主題歌『念郷』 <= 音楽が鳴ります
映画、『湾生回家』。「湾生」という言葉を今回初めて知りました。
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湾生(わんせい)とは、日本統治時代の台湾で生まれ、第二次世界大戦後に日本本土へ引き揚げた日本人を指す言葉である。
第二次世界大戦終結に伴い、日本の統治下にあった土地や占領地から多くの引揚者が日本本土へ引き揚げた。日本統治下にあった台湾でもこうした日本人引揚者は多く、軍人や軍属を含めて約48万人いたと言われる。この内、湾生は約20万人いたとされる。
日本人のほとんどが戦後に本土へ引き揚げたが、湾生は生まれた土地が台湾であるため「私にとって故郷は台湾」と話す湾生もいる。
戦後数十年を経て台湾へ渡り、幼少期に過ごした場所や思い出の地を探し、その地を訪れる湾生も少なくない。
(Wikipediaより)
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仕事で台湾と取引するようになってから10年以上。恥ずかしながら当初は、台湾がどのような国なのか、どのような歴史を持つのか、全く知りませんでした。日清戦争、台湾割譲、そういえばそんなふうに日本史で習ったような。台湾R.O.Cって何のこと? その後台湾の歴史を知り、二二八記念館を訪れ、歴史書を読み、映画『台湾人生』を観たり。そして今回の『湾生回家』。
私は泣きました。声を出さぬよう、しゃくりあげて泣きました。涙が出てきて仕方ありませんでした。人は誰でも自分が生まれ育った場所を懐かしく思うものです。特に年を取れば取るほど。強制的に(見知らぬ国である)日本に送還された湾生たち。懐かしい祖国、台湾。帰りたいのに、帰れなかった人たち...
台湾に行き始めた頃はまだ、日本語を話す台湾のおじいちゃん、おばあちゃんが多くいました。スーパーマーケットで買い物をしていると、日本人?と話しかけられたものです。十数年経った今、その人たちは高齢化しています。これもまた、歴史を感じるひとこまです。
我愛台湾。
出身や立場により色々な見方があるでしょうが。それでももし機会があれば、ぜひ観てください、『湾生回家』。
主題歌『念郷』 <= 音楽が鳴ります
映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を観ました。
実は本命の映画を借りるついでに何気なく借りた映画でした。本命が酷かったので、気分直しに半ばヤケ気味に観始めたところ、すぐに映画に入り込んでしまいました。
9・11の事件で父親を亡くした少年が主人公。父親の部屋で1本の鍵を見つけた少年は、それが父親が残したメッセージと考え、鍵が入った封筒に書かれた「ブラック」という人名を頼りに、「鍵で開く物」を求めニューヨーク中を探し回ります。太陽の光や熱が地球に到達するには8分かかる。たとえ太陽が消滅しても、人類は8分間はその事実を知らない。パパが死んだ後のその8分間を永遠に引き延ばせるかもしれない、と...
少年はたくさんの「ブラックさん」に出会います。少年が「ブラックさん」から何かを受け取るだけでなく、少年との出会いがブラックさんに何かを残していきます。ついに鍵の謎を知る少年。彼は父親の死を受け入れ、母親との関係を結びなおしていきます。
少年が受けた心の傷、母親の悲しみ、苦しみ、両親の息子への愛情、多くの「ブラックさん」との触れ合い、そして物言わぬ「間借り人」。この「間借り人」のじいちゃんがまたいい。
多分にアメリカ的良心を描いているところはありますが、それはそれで私は泣けました。いや、泣くというより、しゃくりあげて泣き通しました。今日は1日中目が腫れています。
この少年は「アスペルガー症候群の疑いあり」ということで描かれており、「生意気でおしゃべりな少年に全く感情移入できなかった」という辛いレビューが多いようですが、私は(ちょっと生意気だけど何と可愛くて賢い子だ)と、全く違和感がありませんでした。図書館に本も予約しました。
久しぶりにEs mi estilo (私の好み)と思える作品。
ちなみに少年の父親役はトム・ハンクス、母親役はサンドラ・ブロック。でも観てる間、ちっとも気づかなかった。私の目は節穴か。
実は本命の映画を借りるついでに何気なく借りた映画でした。本命が酷かったので、気分直しに半ばヤケ気味に観始めたところ、すぐに映画に入り込んでしまいました。
9・11の事件で父親を亡くした少年が主人公。父親の部屋で1本の鍵を見つけた少年は、それが父親が残したメッセージと考え、鍵が入った封筒に書かれた「ブラック」という人名を頼りに、「鍵で開く物」を求めニューヨーク中を探し回ります。太陽の光や熱が地球に到達するには8分かかる。たとえ太陽が消滅しても、人類は8分間はその事実を知らない。パパが死んだ後のその8分間を永遠に引き延ばせるかもしれない、と...
少年はたくさんの「ブラックさん」に出会います。少年が「ブラックさん」から何かを受け取るだけでなく、少年との出会いがブラックさんに何かを残していきます。ついに鍵の謎を知る少年。彼は父親の死を受け入れ、母親との関係を結びなおしていきます。
少年が受けた心の傷、母親の悲しみ、苦しみ、両親の息子への愛情、多くの「ブラックさん」との触れ合い、そして物言わぬ「間借り人」。この「間借り人」のじいちゃんがまたいい。
多分にアメリカ的良心を描いているところはありますが、それはそれで私は泣けました。いや、泣くというより、しゃくりあげて泣き通しました。今日は1日中目が腫れています。
この少年は「アスペルガー症候群の疑いあり」ということで描かれており、「生意気でおしゃべりな少年に全く感情移入できなかった」という辛いレビューが多いようですが、私は(ちょっと生意気だけど何と可愛くて賢い子だ)と、全く違和感がありませんでした。図書館に本も予約しました。
久しぶりにEs mi estilo (私の好み)と思える作品。
ちなみに少年の父親役はトム・ハンクス、母親役はサンドラ・ブロック。でも観てる間、ちっとも気づかなかった。私の目は節穴か。
『ローマの休日』を観ました。オードリー・ヘップバーンの何という美しさ、何という気品。グレゴリー・ペックの格好よさ。何度観てもいい映画ですねぇ。
初めて観たのは十代でした。今でも覚えていますが、(このふたりはもう二度と会えないの?)と涙したのを覚えています。
今回確かにうるっとは来ましたが、その涙は十代の頃とは違いました。王女と新聞記者との会見の中では、限られた言葉しか口にすることができません。相手への思いを眼差で伝えようとするふたり。その切なさにぐっときます。彼らはその後何十年に渡って、それぞれの義務(職務)に従いながらも、記憶を大切に抱えて生きていくのです。
しみじみ。
初めて観たのは十代でした。今でも覚えていますが、(このふたりはもう二度と会えないの?)と涙したのを覚えています。
今回確かにうるっとは来ましたが、その涙は十代の頃とは違いました。王女と新聞記者との会見の中では、限られた言葉しか口にすることができません。相手への思いを眼差で伝えようとするふたり。その切なさにぐっときます。彼らはその後何十年に渡って、それぞれの義務(職務)に従いながらも、記憶を大切に抱えて生きていくのです。
しみじみ。
『オール・アバウト・マイ・マザー』(原題:Todo sobre mi madre)を観ました。
http://www.youtube.com/watch?v=Xu-pvluduRo
サグラダファミリア。
バルセロナの街並みと、音楽。
息子を亡くしたマヌエラ、女優のウマ、息子を出産し亡くなるロサ、性転換者のアグラード。
私はこの映画を観て泣かないことはありません。ひとしきり泣いた後に、この映画に登場する女性たちの力強さにいつも勇気づけられます。もう20年越しペドロ・アルモドバルのファンですが、彼がこんなにメジャーになるとは思ってもみませんでした。『ライブ・フレッシュ』も『私の秘密の花』も好きですが、この映画が一番好きです。最初から最後までどこを取っても文句のつけようがありません。
見終えた今でも、予告編を観るとまた観たくなります。サントラCD買おうかな。それにしてもスペイン語の美しさよ。
http://www.youtube.com/watch?v=Xu-pvluduRo
サグラダファミリア。
バルセロナの街並みと、音楽。
息子を亡くしたマヌエラ、女優のウマ、息子を出産し亡くなるロサ、性転換者のアグラード。
私はこの映画を観て泣かないことはありません。ひとしきり泣いた後に、この映画に登場する女性たちの力強さにいつも勇気づけられます。もう20年越しペドロ・アルモドバルのファンですが、彼がこんなにメジャーになるとは思ってもみませんでした。『ライブ・フレッシュ』も『私の秘密の花』も好きですが、この映画が一番好きです。最初から最後までどこを取っても文句のつけようがありません。
見終えた今でも、予告編を観るとまた観たくなります。サントラCD買おうかな。それにしてもスペイン語の美しさよ。