にゃんこのヨガ的生き方

毎日をゆったり、元気に機嫌よく暮らす

みな、順番

2012-06-30 13:54:06 | 日々の暮らし
先日、娘と話をする時間がありました。
結局、ひとり暮らしをする気持ちに変わりはない、とのことです。

この家が嫌で出て行くわけではない。むしろ出て行くのは寂しい。
でもやっぱり、自分がどんなことができるのか試してみたい、と。
わかった、自分がしたいようにしなさい、と答えました。

若い頃は希望に満ちています。私もそうでした。

18才で大学に入学するため地方の実家を出て、
そのまま家へは戻りませんでした。

今でもよく覚えていますが、家を出る時、不安など微塵もありませんでした。
ただただ、憧れ、期待、希望でいっぱいでした。
母親が不満そうな顔をしているのを見て、
なぜ一緒に喜んでくれないのだろうとさえ思いました。

今の娘も同じなのでしょう。

彼女がそうしたいと望むならば、快く送り出してあげなくちゃ。

以前、祖母が言いました。
あんたが行きたいなら、どこへ行ったっていいんだよ。
あんたが元気でいてくれさえすれば。

実は寂しくて寂しくて、しかたなかったろうに。

みな、順番なんだなぁ。
おばあちゃん、ありがとう。ごめんね。

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体調を見る

2012-06-30 13:34:47 | インポート
毎日の生活の中で、その日の自分の体調を見るようにしています。

だるくないか。
肩は凝っていないか。
首は痛くないか。
お腹の調子はどうか。
食欲はあるか。

いいとか悪いとかを判断することなく、
ただただ自分の体に意識を向けて、静かに観察します。

体に凝りがある時はストレッチを行います。体がほぐれて楽になってきます。

自分の心と体に気を配ることで、時々、心と体が同期するような感覚がします。
自分の中に静かに気が満ちてきます。
それが心地よい。
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こどもたちとの時間

2012-06-26 21:54:26 | 日々の暮らし
10才年上の人と話をしました。彼には娘さんがふたりいます。
上のお子さんは既に結婚して家を出ていて、
現在、奥さんと下のお子さんの3人暮らしです。

上のお子さんが結婚する時寂しかったですか、と訊きました。

「結婚する前日、お父さんハンコいる?と言うんですよ。
本人は軽い気持ちで言ったのでしょうが、
ああもう同じ苗字じゃなくなるんだなと。
その時随分こたえました。今でも同じ気持ちです」

若い時は親の気持ちなど考えもしないけれど、
自分が親の立場になって初めてわかるものなんですよね。
そう言いながら、涙が出そうになるのをこらえました。

我が家では上の娘が、「ひとり暮らしをする」と準備を進めています。
若い頃は家から出たいものでしょうし、
一度は出た方が、当人も色々見えてくるでしょう。
それでもやはり、「夏には契約したい」と聞くと、
これまでの時間と、残された時間が貴重に思えてきます。

先日、外付けHDDの入れ替え作業で、以前の写真を見ました。
彼女が12才の頃の写真です。
可愛くて、見ていると涙が出てきます。

今振り返ってみるに、当時の子どもたちとの時間は、実に貴重なものでした。
今見ても、きらきらと輝いています。
どうして当時、気づかなかったのでしょうか。
あの頃は自分のことばかり考えて、早く大きくならないかな、
と思い、邪険にしたりしたこともありました。

タイムマシンに乗って、小さかった頃の子どもたちに会いたい。
だいすきだよ、だいじだよって、もう一度彼女らを抱きしめたい。
そして今一緒にいる彼女たちも、抱きしめる。だいすきだよ、と。

どうせ結婚したら別々に住むんだから。
それまでは一緒にいようよ。
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若いということ

2012-06-24 17:50:03 | インポート
若いということは、時に傲慢であります。

20才の時、バイト先で、36才の女性が憂鬱そうに言いました。
「今日、生理なのよね」。
(36才でも生理があるんだ)、と当時の私は思いました。
あるに決まっているじゃん、と今の私は思う。

30代前半の頃、TVの健康番組で、肌が綺麗になるマッサージを紹介していました。
50才代半ばと思しき女性が言いました。
「私、友人にこれを聞いて毎日やってるのよ」
(この年でまだ肌が綺麗でいたいんだ)、と当時の私は思いました。
いや、いくつになってもそう思うものでしょう、と今の私は思う。

30代半ばの頃、遠い知人が恋愛関係になったと聞きました。
48才と、50代半ばです。
女性が言いました。
「でもまだ判りませんよ、男と女のことですから」
(えぇっ!? 男と女のこと!?)、冗談で言っているのかと当時の私は思いました。
いや、60才でも70才でも、人によっては恋心はなくならない、と今の私は思う。

相手の方々、その時はすみませんでした。
今では私も、逆にそんなふうに思われる年齢になりました。




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今日の太極拳

2012-06-24 17:31:37 | 体を動かす
今日の太極拳でも、呼吸に集中してみました。
すると、先週と同じように気の玉を感じました。
手を動かす時に、空気を押す抵抗を感じます。

呼吸がカギなのかしら。


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梅雨時の体調

2012-06-24 17:24:34 | インポート
今日は太極拳へ、素足にサンダル、半袖で出かけました。
しかし最高気温24度は、私にとっては暑くないようです。
足元がすーすーします。
(やっぱり、これくらいの気温ならまだソックスと靴だな)
失敗した、と思いました。

家にいても、半袖だと心許ない感じです。
床に座って三線を弾いていたら、ちょっとおなかが冷えました。

今は薄手の羽毛布団で寝ているのですが、
早朝に(寒い)と目が覚め、別の布団をひっぱりだしました。

めんどくさい体ですが、まめに調節しないと。

この時期、体調を崩して風邪を引いている人も多いようですね。
(あれ、ちょっと変だな?)と思ったら、1枚はおる。早く休む。
早めに手当てをして、被害は最小限に抑えましょう。

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お年頃

2012-06-23 22:47:20 | インポート
先日同僚が言いました。

「ここ2ヶ月ほどだるいのよね。
これまでだるいなんてことなかったのに、何をするのもかったるくて。
ちゃびりさんが言ってた『だるい』って、こんなことなのかなぁ~って思った」

同僚は同い年です。
これまで「だるいと思ったことがない」というのがすごい。
彼女は体力がある方で、睡眠時間も短い方。
それがこのところ体調が今ひとつ。だるい、何もしたくない、と。

ねぇそれ、お年頃じゃないの?と訊くと、
「うん、そうかもしれない」。

あれは一昨年の夏でした。

何もしたくない。だるい。やる気がない。
週末だというのにどこへ行く気にもなれない。
ジムに行き始めて半年、体を動かすことで
それなりに気分転換はできていたはずなのに。

真っ暗な部屋で電気を消して、何をするでもなく横たわっていると、
訳もなく涙が出てきます。
仕事をしていても気が上がりません。
人と話すとき、努力しないと話せません。
胸のあたりに何かがつかえているような気がします。
しまいには、(生きていてもしかたないな)と思うように。

(これはまずい、心療内科に行かなくては)と思いました。
検索するとしかし、この年代ならまず婦人科に行くように、とあります。
そこで婦人科で診察をしてもらうことにしました。

診断は更年期。
ホルモンバランスが乱れています。治療しますか?
そこでホルモン補充療法を選択しました。
薬で、少量のホルモンを補います。
一週間も経たないうちに元のとおり元気になりました。

治療は今も続けています。

その時に思いました。
食べたい、買いたい、欲しい。
欲望は煩悩ではあるけれど、ある意味、活力でもあると。
全ての欲がなくなった時の私は、抜け殻のようでした。
今は抜け殻ではありませんが(笑)、かつてと比較して欲がなくなってきています。

同僚に言いました。

「私、今に悟りを開いて、出家するかもしれないから」
「にゃんこに早朝に起こされて怒っているようじゃ、出家はまだまだ」

アハハ。確かにまだまだ煩悩の塊だね。
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やっと暑いと思えるようになりました

2012-06-21 21:56:31 | インポート
先週末あたりからやっと、暑いと思えるようになりました。
お布団も、冬用から春夏用へと変更です。

今日は薄手の長袖シャツ1枚で出社しました。
一応カーディガンは持参しましたが、出番がありませんでした。
半袖シャツにジャケット着用より、長袖シャツ1枚の方が塩梅よさげです。

それでもまだ用心して、ソックスに靴。
サンダルは真夏になってからです。

しかし今頃になって暑いとは、やっぱり私は変温動物でしょうかね。
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死と意識

2012-06-21 21:38:46 | インポート
母方の祖母と父方の祖母、私にはふたりの祖母がいました。

一緒に住んでいたのは母方の祖母です。
小さい頃こそ祖母は畏怖の対象でしたが、私はおばあちゃん子でした。

私はませた子でした。
小学生の頃、同居の母方の祖母に聞きました。

私:『ねぇ、おばあちゃん。これまで生きてきて、長かった?短かった?』
祖母:『長いようで、あっという間だったねぇ』

その頃祖母は60才台だったと思います。

祖母は長生きしました。
肉親や友人に先立たれ、本人には知らせませんでしたが、
可愛がっていた実の息子にも先立たれました。

今でも覚えていますが、常日頃祖母は、『死にたくない、死にたくない』と言っていました。

ひるがえって、父方の祖母はさばけた人でした。
死ぬのは怖くない、と言っていました。
脳溢血で倒れ、危なかったところを回復しました。
お見舞いに行って『よかった』と泣くと、
『やっと楽になれると思っていたのに』と不満そうでした。

ふたりの祖母の、死に対する態度は、実に両極端でした。

母方の祖母は、4年間寝付いた後、亡くなりました。
父方の祖母は、再度の脳溢血で、あっという間に亡くなりました。

人として、私は母方の祖母が好きでした。

母方の祖母は、なぜ死にたくなかったのでしょうか。
死ぬことが怖かったのでしょうか。
人生に未練があったのでしょうか。
無になることが怖かったのでしょうか。
父方の祖母は、なぜあんなにもさばけていたのでしょうか。


哲学者、池田晶子氏。彼女はこのように書いています。

『あれ、おかしいね。君は、「自分がない」ということを考えようとしていたはずだよね。
なのに、「自分がない」ということを考えようとすると、
「自分がある」ことに気がつくことになってしまう。
自分について考えているそこには、必ず、考えている自分があるからだ。
「自分がない」と考えいているそこにすら、考えている自分があるからだ。
自分が考えるのである限り、自分がないということは、
絶対考えられないことになっているんだ。すると、人は、
「自分がなくなる」という言い方で、何を言っていたことになるのだろう。
自分がないということは絶対に考えられないのに、
なぜ人は、自分は死ぬと思っているのだろうか。

・・・君は、たぶん、死ぬのを怖いと思っているだろう。
死んだら何もなくなるんじゃないかって。
でも、何もなくなるということは「ない」はずだ。
なぜって、「ない」ということは、「ない」からだ。
じゃあ、なぜ、「ない」ものが怖いんだろう。
ないものを怖がって生きるなんて、何か変だと思わないか』

(『14歳からの哲学』池田晶子著、株式会社トランスビュー)

他人の死は確かに不在ですが、自分の死は、自分の意識から見たら存在しようがない。
この考え方は私にとっては、目からウロコでした。

死を間近に迎えた時、私はじたばたとあがくのでしょうか。
それとも達観するのでしょうか。
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2012-06-20 22:05:03 | 日々の暮らし
台風一過の今朝は、眩しいほどの青空。
朝出かける時、思わず「きもちいい~」の声が出ました。

光合成するよ。たくさんするよ。
お日さまパワーをいっぱい貰うんだ。

夏も間近。
八重山諸島か台湾へ行きたい~!
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