佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。
まずは、この本です。
佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』
ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。
国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第１章 逮捕前夜
□第２章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
□第３章 作られた疑惑
□「背任」と「偽計業務妨害」
□ゴロデツキー教授との出会い
□チェルノムィルジン首相更迭情報
□プリマコフ首相の内在的ロジックとは？
□ゴロデツキー教授夫妻の訪日
□チェチェン情勢
□「エリツィン引退」騒動で明けた２０００年
□小渕総理からの質問
□クレムリン、総理特使の涙
□テルアビブ国際会議
□ディーゼル事業の特殊性とは
□困窮を極めていた北方四島の生活
□篠田ロシア課長の奮闘
■サハリン州高官が漏らした本音
□複雑な連立方程式
□国後島へ
□第三の男、サスコベッツ第一副首相
□エリツィン「サウナ政治」の実態
□情報専門家としての飯野氏の実力
□川奈会談で動き始めた日露関係
□「地理重視型」と「政商型」
□飯野氏への情報提供の実態
□国後島情勢の不穏な動き
□第４章 「国策捜査」開始
□第５章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第６章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。
サハリン州高官が漏らした本音
１９９８年３月初め、ビターリー・エリザリエフ・サハリン州国際交流対外経済関係局長が訪日した。
エリザリエフ氏はソ連時代、ユジノサハリンスク市共産党委員会書記で、同市のトップだった。前述したファルフトジノフ氏は旧ソ連時代、ユジノサハリンスク市執行委員会議長（市長）だったが、ソ連の制度では市長は共産党組織のトップである書記の完全統制下に置かれていたのである。
ソ連崩壊後、共産党組織が崩壊し、ファルフトジノフ氏が知事になったのでエリザエフ氏はその部下になったが、サハリン州政治エリートの層は薄いので、ほとんどは共産党幹部が民主派に「衣替え」しただけであった。旧ソ連共産党幹部のエリザリエフ氏は強力な人脈と侮れない影響力をもっていた。エリザリエフ氏は対日強硬論者と目されていたので、訪日中に同氏の対日観を改善することを外務省は重要課題にした。
エリザリエフ氏は鈴木氏との会見を希望した。鈴木氏はあえて向島の料亭で夕食会を行うことにし、そこには私を含む外務省関係者も何人か招かれた。旧ソ連時代から生き残っている政治家は例外なく酒が強い。エリザリエフ氏のペースに煽られて、日本酒、ウイスキー、ウオトカを文字通り浴びるほど飲んだ。
私を除く外務省関係者は、通訳を含め全員が酔いつぶれ、中途で退散する羽目となった。残ったエリザリエフ氏、鈴木氏、私の３人でひたすら乾杯を繰り返す。ロシア流で鈴木氏に注がれたウオトカは私が飲むのであるが、私もそろそろ限界だったので、ときどき中座し、大量に水を飲んでは手洗いで吐き、極力アルコールが身体に残らないように用心することも忘れなかった。
その席で、エリザリエフ氏が一言漏らした。
「鈴木先生、南クリルの電力事情はほんとうに深刻なんです。ファルフトジノフ知事は地熱発電にこだわっているが、そんなこと言っていられないような状況なんだ。喉から手が出るほど電気が欲しい。ディーゼル発電でもいいんだ。しかし、ディーゼル発電機の供与を日本から受けたら、その後、重油もメインテナンスも日本に頼らなくてはならないので、南クリルは日本に首根っこを押さえつけられてしまう」
鈴木氏は真顔で、「エリザリエフさん、日本人はそんな卑劣なことはしない。困ったときはお互い様だ。遠いモスクワよりは近い日本だ」と応えた。
その後、私はエリザリエフ氏をホテルニューオータニに送ったが、再び同氏の部屋で酒盛りになり、ミニバーの酒を全て飲み干してから退散した。
既に終電が出てしまったので、外務省の仮眠室に泊まることにした。外務省に向かってタクシーで移動している途中で私の携帯電話が鳴る。鈴木氏だった。
「佐藤さん、あんた大丈夫か。エリザリエフは相当でき上がっていたようだが、大丈夫か」
「私はあまり大丈夫ではありませんが、エリザリエフは大丈夫です。しっかりしています。あれからホテルでもう一度飲み直し、ミニバーを成敗しました。腹で話ができるようになりました。久し振りにモスクワ時代を思い出しました」
「そうか、それはよかった。ところで、さっき、エリザリエフの言っていた『日本に首根っこを押さえつけられてしまう』というのはとてもいい話ではないか」
「大臣、そう思います。あれが彼らの本音でしょう」
翌３月５日、鈴木氏は篠田ロシア課長に電話をする。
この電話については、ロシア課が記録を作り（平成１０年３月５日付報告・供覧）、当時の丹波實外務審議官、西村六善（むつよし）欧亜局長、東郷和彦総括審議官らに配布している。私の公判で、この文書が証拠として採用されたので、正確に引用しておこう。
〈５日、四島住民支援に関し、鈴木北海道・沖縄開発庁長官と篠田欧ロ長（著者注：欧亜局ロシア課長の略）の間で電話にて行われたやりとり次のとおり。
（鈴木大臣）現在訪日中のエリザリエフ・サハリン州対外経済局長は、ファルフジーノフ（著者注：原文のママ）同州知事も従来から提唱している地熱発電の話をしていた。四島においては電力が不足して困っているとのことであったが、例えばディーゼル燃料による発電で協力することなどは考えられないか。
（篠田欧ロ長）自分としても、その問題についてはまさに同じ方向で考えはじめていた。ディーゼル発電機とその燃料を、電力事情において危機に瀕している住民への緊急人道支援として供与することはありうるのではないかと考えている。過去においてもディーゼル発電機を供与した例があると記憶する。
（鈴木大臣）是非その方向で考えてもらいたい。また考えがまとまったら報告してほしい〉
こういう経緯で鈴木氏は、ディーゼル発電機供与事業に巻き込まれていったのである。
【解説】
その席で、エリザリエフ氏が一言漏らした。
「鈴木先生、南クリルの電力事情はほんとうに深刻なんです。ファルフトジノフ知事は地熱発電にこだわっているが、そんなこと言っていられないような状況なんだ。喉から手が出るほど電気が欲しい。ディーゼル発電でもいいんだ。しかし、ディーゼル発電機の供与を日本から受けたら、その後、重油もメインテナンスも日本に頼らなくてはならないので、南クリルは日本に首根っこを押さえつけられてしまう」
鈴木氏は真顔で、「エリザリエフさん、日本人はそんな卑劣なことはしない。困ったときはお互い様だ。遠いモスクワよりは近い日本だ」と応えた。
（中略）
「……ところで、さっき、エリザリエフの言っていた『日本に首根っこを押さえつけられてしまう』というのはとてもいい話ではないか」
「大臣、そう思います。あれが彼らの本音でしょう」
狐と狸のばかしあいのようですが、国益を守る政治家として、鈴木宗男氏の対応は正しかったと思います。
獅子風蓮