今回の中川運河~名古屋港界隈散策で見つけたちょっと気になる昭和な風景をご紹介します。
■中川橋たもとの昭和の風情が残る家並み
■中川橋西で見つけた琺瑯看板
■地下鉄築地口~名古屋港界隈に残る古い建物
■ガーデンふ頭北側の工場群~日本製粉の建物は外観デザインからすると戦前モノか?
近代建築ではありませんが、わたし好みの昭和の哀愁が漂う物件をご紹介。
こういうディープなのに出会えるのが、まさに町歩きの醍醐味。
■一見普通の民家風の薬局
■家族計画の自販機の横には「ごきぶりホイホイ」のホーロー看板。「づつうにノーシン」も良い味で、昭和がにじむ・・・
■つげ義春的ムード満点の「丸根旅館」
■牛豚ホルモン専門店。営業中なのが嬉しい。せんまい店という屋号がまたよろしい。
■「学生寮 ときわ荘」~どんな学生が下宿しているのかしらん
撮影:2015/01/25
瀬戸の古い町並みは、名鉄尾張瀬戸駅から東側、瀬戸川沿いの旧瀬戸街道を中心に広がっています。
細い路地を気の向くままに散策すると、懐かしい昭和の風景に出会えます。
■古い木造家屋が建ち並ぶ瀬戸川沿いの風景
■スクラッチタイル貼りの洋風住宅の奥に、ペディメント付の窓のある洋館が垣間見えますが、全容が見えないのが残念!
■路地に入ると塗籠造や下見板、スクラッチタイルなど様々なタイプの古い住宅が残っています
■瀬戸の町は歩くのが楽しくなる、まさに「昭和の隠れ里」
撮影:2015/01/25
瀬戸の町には瀬戸川の南北に二つの古い商店街があります。
いわゆるアーケードのある昔ながらの「昭和の商店街」ですが、コンビニや大手チェーン店の進出、ライフスタイルの変化などで客足が遠のき、以前の活気はないようです。
古い商店街でも名古屋の大須のように元気なところはひとにぎり、地方の駅周辺の商店街はどこも同じような状況です。
気軽に立ち寄れる地元の商店街は、特に高齢者にとってはありがたい存在です。
これからの高齢化社会を見据えて、地域に根差した昔ながらの商店街の活性化が望まれます。
■瀬戸川の南側、古い町並みのなかにある末広町商店街
■アーケードに並ぶ商店を冷やかすのも町歩きの楽しみです
■戦前からと思われる古い店舗が残っていました
■昭和の哀愁が漂う字体が泣かせます
■昔ながらの日本旅館も少なくなりました
■昭和の映画を支えた小さな劇場は役目を終えました
■こちらは瀬戸川の北にある「銀座通り商店街」
銀座と名のつく商店街は全国いたる所で見かけますが、最近はシャッター通りと化したところも多いようです
■ドアやショーウインドウの幾何学的デザインと豆タイルが良い感じです
店舗廃業後、お雛様の展示場所として使われていました
撮影:2015/01/25
本日は連休の中日、絶好の秋晴れということで揚輝荘(名古屋市千種区)の伴華楼がある北園と聴松閣のある南園を訪れました。揚輝荘は松坂屋の初代社長伊藤次郎左衛門祐民によって覚王山に開設された別荘で、当初の敷地面積は1万坪を誇りました。現在敷地の真ん中にマンションが建設され南北に分断されていますが、揚輝荘の建物としては伴華楼(北園)と座敷、聴松閣(南園)が現存しています。
以前北園の伴華楼を訪れた時は、このブログにもアップさせていただきましたが、まだ南園の聴松閣が一般公開前だったので、今回の訪問は建物内部も公開されている聴松閣がお目当てです。まずは伴華楼のある北庭園の紅葉を楽しみました。
■北庭園・伴華楼の紅葉
■北園から日泰寺五重塔を望む
北園をあとに南園にある揚輝荘に向かいます~
南宮大社一の鳥居がある垂井宿の中心は、東西に走る中山道(県道234号線)と南北に走る県道257号線が交わる交差点で、昔ながらの宿場町の風情を感じる町並みが残っています。
■一の鳥居南側の町並み
■一の鳥居北側の町並み
■257号線沿いに残る洋風建築
■いにしえ感漂う街道沿いの食堂
■旧旅籠長浜屋~現在は垂井宿お休み処として使われています
■油屋宇吉家跡(国登録有形文化財)
■古い商家や町屋が残る街道沿いの町並み
■垂井宿の西の入口西見附跡付近~垂井宿に別れを告げJR垂井駅へ向かいます
■駅へ行く途中の煉瓦塀の路地
■美濃赤坂駅とは対照的な現代的な新しい垂井駅舎から東海道線に乗り家路につきました
中山道は垂井町に入り相川の手前で美濃路と合流、相川橋を渡ると垂井宿の東の入り口東見附跡です。
ここから中山道を西へ向かい垂井宿の中心街にむかいます。
■中山道・美濃路追分
■垂井宿東見附跡付近
■奥へ延びる道が中山道で垂井宿の中心へ向かいます
■旅籠丸亀屋~1777年創業当時の姿を残しています
■脇道に入ると垂井曳山まつりのやまを入れる蔵がありました
■中山道垂井宿の町並み
■地元岐阜や愛知の酒の看板が並ぶ酒屋さん
ねのひ(愛知県半田市)と菊川(岐阜県各務原市)はいつもお世話になってます
■街道沿いに残る立派な商家
■「水」のかわりに「water」とするところがモダンです
■こちらは街道名を入れた特注瓦かと思いきや、表札を見ると中山さんでした・・・
■垂井宿の中心、本陣のあった南宮大社一の鳥居付近に到着です
赤坂宿をあとに中山道を西へ向かうと昼飯と言うちょっと珍しい名前の町があります。
昼飯は「ひるい」と読みますが、当初は文字通り「ひるめし」と呼ばれていたそうです。その由来は、むかし長野の善光寺に大阪から如来を運ぶ一行が、途中ここで昼飯(ひるめし)をとったという故事からきています。
それからこの地を昼飯(ひるめし)と言うようになったのですが、「ひるめし」ではどうも下品でいけない。そこで飯の字を「いい」と読ませて「ひるいい」にしよう。そしていつのまにか「い」の字も一字省略されて、現在の「ひるい」になったそうな。(大垣市史より)
おあとがよろしいようで・・・
■昼飯町を歩いていたらちょうどお昼過ぎ、お腹がすいてきました
■中山道の北側には古い石灰工場が並びます
■戦前からの立派なお屋敷が点在しています
■玄関の鬼瓦の上に鎮座する鍾馗様
■東海道本線のガードをくぐると昼飯町から青墓町です~しかし青墓と言う地名も興味をそそられますなあ
■青墓の芦竹庵・円願寺跡~牛若丸がこの地に立ち寄った際、芦の杖を地面にさしたところ芦竹になったという伝説が残る
■県道216号線と交わり青墓に別れを告げます
■216号線を渡り青野町に入ります
■美濃国分寺(現在は美濃国分寺跡歴史公園)への道標
■青野の一里塚(中山道一里塚跡)
■駒引の交差点を過ぎると不破郡垂井町です
西濃鉄道の踏切を渡るとすぐ左手に本陣跡があります。
皇女和宮が泊まったことで有名な赤坂本陣はすでにありませんが、毎年「中山道赤坂宿まつり」で皇女和宮行列が再現され、まつりの目玉になっています。
■現在本陣跡は公園になり石碑が建っています
■本陣跡に設置されている赤坂宿散策マップ~中山道(赤)と谷汲街道(オレンジ)、養老街道(緑)が交わる地点が四ツ辻になります
■本陣跡からさらに西へ向かうと赤坂宿の中心四ツ辻です
■四ツ辻は中山道と養老街道から延びる谷汲巡礼街道が交差する赤坂の中心
■四ツ辻の南西角には登録文化財に指定されている矢橋家母屋があります
■四ツ辻から南へ延びる養老街道
■赤坂の往時の面影を伝える養老街道
■四ツ辻から北へ延びる谷汲巡礼街道
■いつまでも残して欲しい丸ポストのある風景
■街道沿いに下見板貼りの洋風住宅発見~窓が縦長なのがポイント
■中山道赤坂宿のちょうど真ん中にあたる四ツ辻から、さらに西へ向かいます
■左手に赤坂宿脇本陣跡の石碑が建つ榎屋旅館があります(大垣市景観遺産)
■中山道沿いには戦前の古い町屋がまだたくさん残っています
■鹿光堂~築250年以上の土蔵造りの建物(大垣市景観遺産)
■赤坂宿の西端まで街道筋には古い町屋が並びます
■人通りの途絶えた中山道赤坂宿をひたすら西へ歩くのどかな昼下がり
■しかしまったく人が歩いていませんな・・・
■廃線になった西濃鉄道石灰製造工場への引き込み線の踏切~ここで赤坂宿に別れを告げ垂井宿へ向かいます
矢橋大理石周辺の散策を終え、中山道赤坂宿を歩きます。
まずは赤坂宿の東口にあたる赤坂大橋西の交差点から中山道を西へ、赤坂港跡へ向かいます。
■赤坂宿の東入口から中山道を西へ向かいます
■街道沿いには歴史を感じる古い住宅や商店が残っています~門構えが立派!
■安東広重の描いた赤坂宿の浮世絵のディスプレイ
■赤坂港跡の火の見櫓が見えてきました
■赤坂港跡~明治40年頃から舟運で栄えましたが、大正8年の美濃赤坂線開通により急激に衰退しました
河川改修により船の運行が困難になり、当時の面影はまったくありません
■明治41年に建立された常夜灯が当時のままぽつりと残っています
■赤坂港会館~写真パネルなどで赤坂宿の歴史を紹介
建物は明治8年赤坂の中心地中山道と谷汲街道の交差点に建てられた大垣警察第五分屯所を復元したもの
■当時の建物が残っていないのが惜しまれます
■赤坂港会館前の煙草屋~「まだこんな店が残っていたのか」と嬉しくなりました
■まさに「たばこやさん」と呼ぶにふさわしい堂々たる店構え、二連結の大きなショーウインドウが感涙モノです
■煙草屋の並びに建つこちらも昭和の匂いがする洋館住宅
■赤坂港会館前から中山道をさらに西へ向かいます
■左へ曲がると矢橋本社へ向かいます
■赤坂本町駅跡の踏切~向かって右側に赤坂本町駅跡の石碑があります
■金生山と美濃赤坂を結ぶ西濃鉄道の線路~店舗専用の踏切が設置されています
さらに中山道赤坂宿を西へ向かいます・・・・
美濃赤坂駅の東側には矢橋大理石の本社があり、周辺には石材加工関連の工場が広がります。矢橋大理石は明治34年(1901)近くの金生山の大理石を加工販売する矢橋大理石商店として創業、その後建築用大理石の分野で大きく成長し、現在も矢橋を筆頭に美濃赤坂の大理石産業は国内一のシェアを誇っています。
この界隈は本社事務所を中心に戦前の木造の建物が多数現存しており、黒塗りの木造の工場建築が建ち並ぶ風景は、大正~昭和の街角の風情を今も色濃く残しています。また本社敷地内には二代目矢橋亮吉が建てた洋館と、すぐ北側の中山道赤坂宿の本家住宅が現存していて、大理石で繁栄を極めた矢橋家の歴史を知ることができます。
■矢橋大理石の古い木造の建物が今も残る赤坂の町並み
■奥のコンクリート造の建物が矢橋大理石本社
■本社西側の道を北に向かうと旧中山道です
■周辺には歴史を感じさせる邸宅が点在しています
■本社前の道から雰囲気のある細い路地を西へ入ると、そこには矢橋家の洋館が建っていました
■高い塀越しに瀟洒な洋館が垣間見えます
■門構えからしてそこいらの邸宅とはグレードが違います
■煙突のそびえるこれぞ本格的西洋館
■本社南側に隣接する原石ヤード~世界の産地から輸入された大理石や花崗岩などの原石が置かれています
■敷地南側には年代を感じるレンガ塀の小道があります
■この辺りはちょっと歩きたくなる小道がたくさんあります
9月最後の日曜日、天気も秋晴れ、久しぶりにぶらっと町歩きに出かけました。今回は以前歩いた中山道醒井宿(滋賀県)から岐阜県側に入った赤坂宿~垂井宿間を歩こうと思い立ち、JR東海道線でまずは大垣駅へ向かいました。
■大垣駅で総延長たった5kmの美濃赤坂線に乗り換え、終点美濃赤坂に向かいます
■3番ホームの西端に2両編成の列車が到着、そのまま折り返して美濃赤坂へ向かいます
■途中東海道本線から分岐して単線になり、荒尾駅を過ぎるとすぐに終点の美濃赤坂に到着です
■すぐ東側には屋根つきの貨物用プラットホームが設置されています
■ホームから美濃赤坂駅舎を望む~駅舎は大正8年開業の味のある木造駅舎
■駅前の古い洋風建築が、貨物線の西濃鉄道事務所として使われていました
■美濃赤坂駅構内の東側には、本線よりかなり立派な側線の貨物ホームが広がります。
元々は石灰石の輸送用として設置されたものですが、現在も使われているのでしょうか?
■駅の西側には金生山からの石灰石輸送のための貨物線が通っていますが、現在は廃線になっている様子
■駅南側の線路沿いにある古い石灰石工場
長良橋南の湊町、玉井町、元浜町界隈は通称「河原町」と呼ばれ、16世紀斉藤道三が上流から舟で運ばれる物資の集散地として川湊を設け、江戸時代には倉庫や問屋など物流にかかわる商家が軒を連ねる湊町として栄えました。現在も河原町の街道筋には当時の建物が多数現存し、古い町屋や蔵を利用した飲食店や土産物店などが通りに軒を並べ、長良川観光の拠点としてにぎわいを見せています。
■鵜飼観覧船乗船場がある長良橋南の湊町
鵜飼の屋形船がずらりと係留され、夜の出番を待っています
■岐阜街道沿いには昔の面影を残す町屋や商家が軒を並べる
■赤レンガの門構えがシックな飲食店
■蔵造りの古い建物が町並みに溶け込んでいます
■古き良き時代の風情が残る玉井町界隈
撮影:2014/09/7
JR飯田線小坂井駅から豊橋経由で東海道線に乗り換え愛知御津(みと)駅で下車、今回訪問の最後は旧御津郵便局と旧今泉医院です。駅のすぐ北西にある旧御津郵便局を訪ねたあと、県道384号線を南に向かい旧今泉医院まで御津の町を散策しました。
■愛知御津駅の西側を南北に通る県道384号線を南へ歩きます。
左手の廃墟のような建物が旧御津郵便局。
■かつては御津町の中心として栄えた県道沿いには、数は少ないながら往時の面影を残す古い商店が点在しています
■タイル使いが味わい深い元洋服店
■かつてはどこの町でも見られた完全飼料の琺瑯看板(各メーカーごとのバージョンあり)ですが、最近はめっきり見かけなくなりました
撮影:2014/05/03
新城の建築探訪を終え、再び飯田線に乗って豊川駅で下車。近代建築ではありませんが、せっかく豊川に来たので、日本三大稲荷のひとつ豊川稲荷に寄りました。豊川駅から右手に向かうと、ほどなく門前通商店街に出ます。商店街入り口には「豊川いなり表参道・なつかし青春商店街」のアーチがかかり、たくさんのお詣りの人でにぎわっていました。
実は愛知県人ながら豊川稲荷を訪れるのは今回が初めてです。岐阜県境の犬山から豊川は結構な距離があり、今までなかなか訪れる機会がありませんでした。初詣もせいぜい名古屋の熱田神宮止まりでしたが、これを機会に次回はぜひ初詣に訪れてみたいものです。
■JR豊川駅前~たくさんのキツネが踊っています
■門前通商店街の入り口
■古い町屋が観光案内所として利用されていました
■この界隈は味のある古い建物が残っています
■これぞ昔ながらの食堂
■商店街を抜けると豊川稲荷の総門です
■豊川稲荷前のにぎわい
■さすが日本三大稲荷、境内が広いです
■豊川稲荷本殿
撮影:2014/05/03