郡上の街を南北に走る県道319号沿いの郡上八幡城下町プラザから東へ入ったところにある古い医院です。
建物外観は大幅に改修され当時の面影はありませんが、元々は戦前物件だと思われます。
建物両脇に残る門柱は当時のままで、歴史を感じるデザインです。
撮影:2013/08/16
8月16日、郡上八幡の徹夜おどりに行ってきました。
わたしは岐阜県出身なのですが、お盆の13日~16日の4日間だけ行われる徹夜おどりに行くのは初めてです。
今回は夏休みで帰省している子どもたちが、初めての郡上踊りを楽しみしているので、徹夜踊りの最終日を満喫したいと思っています。
徹夜踊りに合わせて犬山の自宅を3時頃出発、156号線で郡上へ向かいます。途中は渋滞もなく4時30分頃には現地到着。
子どもたちは小さい頃に来て以来久しぶりの郡上なので、徹夜おどりの開始の8時までのんびりと町を散策しました。
■吉田川では子どもたちが、気持ちよさそうに水遊びをしていました。やっぱり郡上に来ると日本の夏が満喫できます。
■川に足を入れて涼をとったり、浴衣姿で川べりを散策する人など、みんな思い思いに踊りまでの時間を過ごします
■夕方になり新町通をそぞろ歩く人たちも増えてきました
■日が暮れると屋台に明かりが灯り、浴衣姿の人で通りがいっぱいになってきます
■旧郡上八幡役場もライトアップされ、踊り開始に向かってどんどん人が増えてきます
■新橋から望む吉田川の夜景
■本日の徹夜踊りの会場になっている本町に人が集まり始めました
■会場では8時前にもかかわらず、ウォーミングアップの踊りが始まっています
■いよいよ8時になり徹夜踊り本番、翌朝の4時まで一晩踊りあかします
■時間が経つにつれ踊り手が増えていき、観光客も見よう見まねで踊りの列に入ります。
初めての人も気軽に参加できるのが郡上踊りの良いところです。
■9時頃になると踊り手で通りがうめつくされ、移動するのも大変な状況です
■徹夜おどりの最終日、夜がふけるにつれ踊りはヒートアップ、老若男女が朝まで踊りあかします
■今年最後の徹夜おどりの夜はふけていきます
撮影:2013/08/16
子どもたちも見よう見まねで踊りに参加し、徹夜おどりを堪能したようです。
体力的にきつくなってきて、結局11時頃にひきあげましたが、徹夜踊りはこれからが最高潮。
徹夜おどり常連の知人によると、夜中過ぎあたりからどんどんハイになり、疲れを感じなくなるそうで、そこまで踊ると本当の徹夜踊りが体験でき病みつきになるそうです。
私には無理かなあ~
帰宅途中、スーパー銭湯に立ち寄り汗を流し、心地よい疲れにみんな大満足。
子どもたち、特に娘は、初めてにして徹夜踊りにハマったようで、絶対来年も来ると心に誓ったようです。
徹夜で踊らなくても郡上踊りの素晴らしさを十分に堪能できたひとときでした。
来年はぜひ徹夜踊りに参加しようという方、浴衣を着れば最高ですが、下駄を履くだけで郡上踊りが数倍楽しめます。
足を踏み鳴らす振りが多いので、下駄を履いていると音が違います。
郡上踊り用のお値打ちな下駄が、町のいたるところの履き物屋さんで売られているので、お土産も兼ねて現地調達がおすすめです。
ちなみに娘はサンダルをダメにし、次回は絶対下駄で踊ると言っておりました。
JR四日市駅北側の本町・新町界隈の商店街には、昭和の面影を残す商店が残っています。
■昭和モダンな外観の銭湯「四日市温泉」
■洋風ファサードの商店街入口
■「明るい商店街」の看板にしみじみ感が漂う
■看板建築ファサード商店
■東海道の道標
撮影:2013/05/04
■戦前の古い倉庫群が残る千歳町~末広町界隈
■臨港橋~船舶通行時は油圧ジャッキで中央部を押し上げて開きます
■車両を止めるための遮断機が橋の両端に設置されています
■平成7年に架け替えられた相生橋
■高砂町界隈の商店
■いにしえの佇まいの日本旅館
■究極の看板建築
撮影:2013/05/04
明治、大正、昭和初めまで、四日市の近代産業発祥の地として栄えた四郷地区には、製糸、醸造業を中心とした古い建物が点在し、昔ながらの町並みの佇まいが感じられます。
しかし最近は、旧四郷村役場西側一帯にあった戦前の紡績工場が取り壊され、跡地には新築住宅がち並び、この地区の近代産業発展の象徴、旧亀山製絲室山工場は10年以上たなざらし状態で、保存のめどはたっていません。
どこの地域でも同じ状況でしょうが、開発が進み手遅れにならないうちに、現在残る古い町並みを活用しながら、地域の活性化が図られることを切に願います。
■四郷地区周辺図~丘陵地の斜面に昔ながらの町並みが拡がります
■古い醸造所や蔵が点在する町並みはどこか懐かしい風景です
■つげ義春的昭和な風景
撮影:2013/05/04
四郷郷土資料館のすぐ西側に、大正~昭和にかけて建てられた東洋ニットの倉庫がありましたが、現在は全て取り壊され跡地には新築住宅が建ち並んでいます。
周辺には昔ながらの製糸場や醸造所、酒蔵が点在し、大正~昭和初めの面影が感じられる町並みが残っています。
これから住宅地としての開発がさらに進み、昔の佇まいが消えていくのは寂しい限りです。
■戦前の織物工場らしい外観で、煉瓦の壁やノコギリ屋根が懐かしい風景を今に伝えていました
撮影:2006/11/03
近鉄西日野駅から天白川沿いの道を西へ500mほど向かうと、右手に「四郷郷土資料館」の案内板があります。北側の丘陵に向かって坂道を登っていくと、白い木造2階建ての建物にそびえる立派な塔(望楼)に目を奪われます。
建物は大正期に四郷村役場として建てられたもので、この時期の公共建築によく見られる、2階建てのハーフティンバー風の木造建築です。立派な車寄せのついた玄関や、3階建ての威風堂々とした望楼は、当時の村役場としては破格な造りで、この村出身の財界人伊藤伝七(当時東洋紡績社長)が大金を寄付し完成させたものです。
伊勢室山器械製絲場(後亀山製絲室山工場)を創立した伊藤小左衛門もこの地区の出身で、幕末から醸造、酒造、製糸、製茶業などを創業、明治に入り発展を遂げ、四日市近代産業の発祥地として大きく栄えました。
現在旧四郷役場は四郷郷土資料館(毎週土曜開館)として再利用され、地域のシンボルとして大切に保存されています。
◆四郷郷土資料館(旧四郷村役場)/三重県四日市市西日野町3375
竣工:大正10年(1921)
設計:野田新作
構造:木造2階建
撮影:2013/05/04
■建物北側
■門柱には「四郷村役場」のプレートが残る
■建物南側正面
■車寄せのある玄関
■建物東南角には3階建ての望楼がそびえる
■資料館外観
諏訪公園をあとにして、近鉄四日市駅から内部線で西日野方面に向かい、四郷地区にある近代建築を訪ねます。途中日永駅から八王子線に分岐、次の駅が終点西日野駅です。近鉄八王子線は、大正元年に三重軌道が日永駅~八王子村駅を開業、路線名の由来となっているのですが、現在西日野から先の区間は廃止されているため、四郷地区までは西へ1km程の歩きとなります。四日市駅からのバス路線もあるのですが、今回は全国でも珍しい線路幅の狭い軽便鉄道に乗りたかったので、鉄道を利用しました。小さな可愛い車両がのんびり走る姿は、いかにもローカル線らしく、なかなか良いものです。
天白川沿いを西へしばらく歩くと、道路の北側に長い塀で囲まれた旧亀山製絲室山工場が見えてきます。この工場は明治36年土地の素封家伊藤小左衛門が創設したもので、広大な敷地に33棟の工場が並んでいました。その後昭和16年に亀山製絲が購入、しかし時代とともに製糸産業も衰退し、平成7年に操業停止、平成11年にほとんどの工場が解体され、現在は南側の道路に面した洋風建築の繰糸工場や土蔵など5棟を残すのみになっています。
現在取り壊しをまぬがれている繰糸工場は、東西70mにわたる長大な擬洋風の木造工場建築で、白く塗られた下見板の外壁が明治期の工場らしい佇まいを感じさせます。平屋建てですが、外観は下に胴蛇腹の付いた高窓のため、2階建てのように見えます。この高窓と越屋根側面の窓の開閉で、採光と湿度を微妙に調整し、工場内の作業環境を一定に保ちました。
現在の繰糸工場の荒れ具合を見ると、今まで残っていることが奇跡的と言える状態です。ここまで来たらぜひ残してもらいたいのですが、建物の修復保存には莫大な費用が必要です。持ち主の企業がだめなら四日市市で何とかして欲しいところですが、当然ながらどこの自治体でもそんな余裕は全くありません。建物を取り巻く状況は大変厳しいのですが、この地域の近代化に貢献した貴重な産業遺産として、未来に伝えられことを願ってやみません。
◆旧亀山製絲室山工場/三重県四日市市室山町574
竣工:明治36年(1903)
構造:木造平屋建
撮影:2013/05/04
■道路に沿って北側には塀がめぐる
■工場中央にある豪華な造りの玄関は、東宮殿下(大正天皇)視察の折に増築された
■軒まわりの繰形付きもち送りが美しい造形を見せる
■工場西端の増築部分は、大正天皇の御座所として設けられた
■北側より工場を望む~老朽化により屋根がうねっている
■5千坪の広大な敷地の南端に一棟だけ残る繰糸工場
■前回訪問時撮影(2006/11/03)
四日市港から市の中心部近鉄四日市駅方面へ戻り、駅のすぐ東側にある諏訪公園に向かいました。諏訪公園は明治39年(1906)開園の歴史のある公園で、噴水のある広場の北側に、茶色のスクラッチタイルに覆われたちょっと洒落た建物が建っています。
この建物は御大典記念行事として、昭和4年(1929)市立図書館として建設されたもので、当時四日市銀行頭取、伊勢電気鉄道社長などを務めていた実業家熊澤一衛により、図書二千冊とともに寄贈されました。とても昭和4年築とは思えないモダンな建築で、竣工当時は、1階に事務室、閲覧室、書庫、談話室が、2階に講堂、貴賓室がおかれていました。
建物正面の玄関上部には、中央に開いた本、両脇に餅をつくウサギをデザインした白い装飾パネルが設置されています。本に記された2588(皇紀)は、この建物が昭和天皇即位式を記念して建てられたことを、ウサギは寄贈者をあらわすものと言われています。
現在国の登録有形文化財に指定された建物は、すわ公園交流館として再活用されるという近代建築としては幸せな余生を送っており、多くの地域の住民に利用されています。
■建物正面南側
■玄関脇には登録有形文化財のプレートが設置されています
■皇紀2588は昭和天皇の即位式(昭和3年)、三つの星は天皇の象徴でしょうか
■ウサギの装飾は、「月台」という雅号を持ち歌を好んだ寄贈者の熊澤をあらわしていると言われています
■建物北側~出入り口があるのは2階ですが、小山が建物に接しているため平屋建てに見えます
■建物東側
■公園南側より、すわ交流会館を望む
◆すわ公園交流館(旧四日市市立図書館)/三重県四日市市諏訪栄町22-15(諏訪公園内)
竣工:昭和4年(1929)
設計:清水組名古屋支店
施工:清水組名古屋支店
構造:鉄筋コンクリート造2階建
撮影:2013/05/04
※国指定登録有形文化財